夢枯記007 John Lindberg | Luminosity

contrabass solocdmusic & arts programs of america1996 
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Lindberg(wikipedia)


007jhonlindberg

ジャケットは「カンジンスキー Composition VI 1913」、タイトルの「Luminosity」は「未来への輝き」、副題で「デヴィット・アイゼンソンに捧ぐ」とある。

デヴィット・アイゼンソンときけば、たしかストックホルムでのライブ、ゴールデン・サークルのオーネット・コールマントリオのベーシストだ。僕はそのむかし、ジャズ喫茶でかなりきいていてどこかでこの名前を覚えていたから、少し興奮しながら音を待った。それ以上のことも知らなかったが、あのトリオの演奏は僕の記憶に強く残るものだった。そしてあのジャケットも素晴らしいデザインだった。

夢枯記のプロセスでもっとも心がときめくのは意外にも音楽を聴いているときではなく、アルバムのはじまりの音を待っている数秒といっても差し支えないかもしれない。ある意味そのはじまりの空白にその音楽のすべてがある。夢へ突入していく一日のうちに数秒だけの非常に稀有な時間が、このときに一瞬だけ流れる。だからこのわずかの空白を大事にするようになった。そこで何がイメージされているかは、あらかじめ観たジャケットデザインによる部分がやはり大きいと思う。さらに、いま書いていることは音楽の終わりの余韻においてでしかないが、音楽の始まりの心の色と、その終わりに生じている心の色の変化は、僕にとってのその音楽がいかにあったかを物語る重要なファクターのように思える。

音楽的嗜好からすればジョンさんの音のあり方に根底的な共感をすることはできなかったから、その色はたいして変わらなかったー確かに淡白にそう言えないこともないだろう。しかしこのことは無論、このこと自体でその音楽を否定すべきものではない。音楽への嗜好性を暗黙に前提にして聞いた耳からふりかえる音楽の結果的な印象と、スピーカーから出ている音から何か余計なものを剝ぎ取りながらその音楽を聴くことで身体へ投影されてくる音の影、その時空にもたらされている隠された意味を問いながら音楽を聴くプロセス自体とは、全く別物である。音を聴くことと音を弾くことは圧倒的に違うように感じるが、でも僕はこのアルバムにおいて、音を弾く状態にたちながら、音を聴いていた、そんな気がいましている。

ライナーノーツの英語の解説を読んでいると、ジョンさんは17歳の時、高校を中退してアイゼンソンに教えを受け、師であって親友でもあったアイゼンソンには並々ならぬ敬意を抱いておられたようだ。ジョンさんは、発表されていないアイゼンソンの曲から2曲を選んで、この録音に入れている。その一つ、このアルバムの最大の聴かせどころは7曲目、「I am a leaf for today」だろう。題名がいい。シンプルなコードのなかにベースを弾いているジョンさんのしゃべり声が入る。その声は低く、アメリカの歴史を多分に含んでいるように感じられる。この曲では、僕の音への嗜好性は全くといってよいほど影を潜め、その声と、声の内側にある誰かの声が聴こえだして、誰か、たぶんアイゼンソン氏がここにその姿をあらわしてくるようだった。僕はこの曲を何度か繰り返して聴いた。

思えば、あのオーネットの“self-taught”なバイオリンと、それにからみつくデヴィット・アイゼンソンの熟達したベースの弓弾きのおぼろげな記憶が、このジャケットの絵をみたときからすでに思い起こされていたのだろう。カンジンスキーの絵の音楽性があのトリオの演奏に結びつき、もしかすると僕のなかで、主役であるはずのジョンさんの入る隙間が、はじめから狭くなってしまっていたのかもしれないが、それ以上にひたすら、ゴールデンサークルのオーネット・コールマントリオの演奏の記憶が、ジョンさんの演奏を通じてずっと心に定着していたのだ。

しかしその頑な心をも凌駕し、アイゼンソンのベースの記憶を突き破るように「I am a leaf for today」は鳴っていた。その輝き、luminosityによって、音楽の形態やジャンルなどは二の次の問題になる。それはデヴィット・アイゼンソンへのジョン・リンドバーグの心の歌でもあったが、ジョン・リンドバーグの音楽的創造性によってデヴィッド・アイゼンソンの姿が音に立ちあらわれる瞬間だった。アイゼンソンの亡くなった数年後、「私がこの“Leaf”をバイオリンを弾くデヴィッドの息子に教えていたとき、心が動きました。それにはデヴィットのすべてのエッセンスがあって、デヴィットが彼のベースとともにそこに立っていて、この曲を書いているのがしっかり見えたのです。」

アルバムの始まるまえの数秒、あの空なる時間に差し込んでいたオーネット・コールマントリオとカンディンスキーの夢、その未来への夢の光と、アルバム途中の「I am a leaf for today」の音の輝きはつながっていて、音の夢の枯れたいまもある色彩を放っている。その前後で色の明暗は全く変わらないものだったが、その色温度はずいぶん違っていたのだ。

ジャケットは、その音楽の内容を外側から表象しているだけではなく、その音楽の内部プロセスによって変化してみえてくる。このジャケットに採用されたカンジンスキーの絵は、ジョンさんのデヴィット・アイゼンソン氏への敬意の念のあらわれとみてまず間違いないだろう。しかし一方でその行為の尊さはベーシスト、ジョン・リンドバーグにしか表現できないものであり、そのプロセスこそがこの録音から伝わってくるのである。さらにアルバムタイトルの「Luminosity」はこのアルバムラストのジョンさんの曲でもあるのだが、この言葉は、ジョン・リンドバーグの身体を通じたデヴィット・アイゼンソンのメッセージにちがいない。