granada(8), spain 2008

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記憶についてこのごろ思いを巡らせていた私は、10/17に「記憶は一つの倫理性を帯びている」と書いていた。私は大学時代に倫理学で高橋哲哉先生の講義をよく聴いていた。学生時代に読んだことがあった高橋氏の「記憶のエチカ」(岩波書店)を急に思い出し今日ひも解いてみた。この本は ホロコーストと関わりつつレヴィナスやハンナ・アーレント、京都学派などの抱える問題点を浮き彫りにし、記憶について書かれた高橋氏の初期の論文集である。スリリングかつ真摯な高橋先生の生の授業を学生時代に真剣に聴いていたのも、もう十数年前になる。「記憶はある倫理性を帯びる」とほとんど自然に書くことができたのも、この授業あってこそかもしれない。「われわれのすべての能力の中で最も危うく気まぐれな記憶」を少しでも鮮明なものとするために、改めて読んだ同書からいくつか引用しておくことにしたい。

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*もともと<記憶>や<証言>の本質には、<死者に代わって>ないし<不在の他者に代わって>という構造が属している

*たしかに生者のあいだには「希望」が残る。死(者)の記憶を保持し、死者に代わって証言しつつ、生の「希望」を育むよりほかに途はない

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ひとつもない
声たちーひとつの
晩いざわめきが、時ならぬ時、おまえの
想いにさずけられる、ここで、はじめて
呼び起こされるーひとつの
目の大きさの、深い
刻みめのある果葉、それが
脂をしたたらす、傷口は
癒えようとしない

*(パウル・ツェラン「声たち」から)