出雲崎 izumozaki(7)2010

Pasted Graphic 23

近くの古本屋で先日偶然みつけ、「日本写真全集/写真の幕開け」という本が気になって、買い求めてきてみたのだが、カバーをとって開いてみると、約百年前の三陸沖地震の津波直後の被害を写した一枚の写真がおさめられていた。撮影者不詳とされている。

今回の大地震後と似た、悲惨という言葉を超えた光景が印画紙に定着されている。きれいにプリントされた白黒の写真はノスタルジーのようなものを強く誘うが、この郷愁にも厳然とした意味がある。犠牲者が存在したという事実、そして過去が決して洗い流されないという事実がその裏に隠されているのだ。それが到底フィクションとはいえない事実であるというその感触、触覚感や聴覚にも似た原始的な器官のはたらきが、あるところでみることを凌いで、本当の郷愁、言葉では言い尽くすことのできない郷愁を誘う。郷愁は、単に感情的であるだけではない。

それは動物的な本能にも似て、猫の視線から猫の言いたいことを瞬時に感じ取るような、事実のいわば本能的把握なのだが、その事実が写真に定着されることによって、時間が停止し、瞬時にそこにあったはずの動物的本能がそれによって永遠の時間のなかに再び蘇生する。停止された時間の露出した一枚に、もう消えてしまったものが擬似的に宙に留められている、写真の郷愁はその一枚のなかを心が動くその動きの本能の痕跡が、再び身体を通じてその情動を揺さぶるものだ。

亡くなったものへの郷愁は、あくまでも、亡くなったという一瞬の消え去ったこの事実と裏腹にあって、その事実はいつも存在し続け、それは誰も決して消すことはできないという証、しかもそれは物質的な証だけではない、生物としての人間の生とその死の証なのであって、それが写真のひとつの大きな生命でもある。それは写真に何かを写し込ませた、そこにはいないそこに生きていた死者の存在の抵抗の一撃をみてもよい。

生きた音楽の音がなっている状態から消え去る瞬間へとむかい、その余韻からやってくるものともこの郷愁はよく似ているように思う。生き残った、そして死んでしまった被災者の命がけの声をどこかで聴くたびに、言葉を持った生物としての人間の生命とその死ということを本能的に感じ取り、言葉のあとで生じる何ともいい様のない何かに、どうしようもなく戦慄を覚え、我が身が震えるようなことも、この今というとき、しばしばある。

以前からこうしたものを感じとったとき、写真や音楽に言葉の解説や意味付けはいらないと思うときがあったことはあったのではあるが、いまはやはり、この一枚の百年前の写真を前にして想像をめぐらさずにはいられない。

人家も木々もなぎ倒され、船が陸地の内側で傾いていれば、転覆したような船もみえるし、遠くには煙のようなものもたちのぼっている光景が映し出されている。だがたった2本の木が、写真の端の方に生き残っているのがみえる。この木は今はやはりもうないだろうか。この日、二本の海岸沿いに生き残った木は、当時も希望を抱かせたに違いないと思うのだが、写真には一人の人も写されてはいない。ここにいるのはレンズのこちら側にいる撮影者だけだろうか。その視線が一つの通路となって、確固たる強いあの郷愁を帯びる形で、私の視線のなかに乗り移ってくるのだ。

となりの数ページには、これも百年前くらいにあったの愛岐震災後の写真が数枚のせらていた。これをみると、東北地方や原発事故の起きた福島からは比較的距離のある愛知県に住む私にとっても、今回のことは当然のごとく他人事ではないし、一人の医者としても、これほど大きな命に関わる問題は関係ない、あるいは自分を欺くようなでたらめな表現をして通っていくだけでは、決してすまされないということを改めて今日も思うのだ。私に書く資格があるかわからないが、ここまできて、今日はもっとさらに書かざるを得ない気持ちがしている。



人間がその思想によって所有し具現化してきた人間のための技術に、人間の存在そのものまでもが保証されているかのように人間が錯覚し、技術を我が物としてふるまうような近代の延長を色濃く反映したこの現実にも、事実上の限界がきていると感じる。それはいうまでもなく、西洋近代がどうかとか東洋思想がどうかとかの問題ではない。人間の幸福を何とするか、その何かのために何が大事であるかの問題だと思う。だが幸福はやはり言葉で定義できるものではないだろう。

そうならば、事故が起きたら扱えないような、おおよそ有機的生物としての総体としての身体とかけ離れた、人間のつくりだした技術を、世界に今後も保ち続け、さらに導入するべきかどうかということは、少なくとも人間の価値観と責任において決めることであるし、事態を少しでも修復するには、ほかならぬ人間の、謙虚な知恵が必要だ。検証することは従来のシステムを強固にするためにだけあるものではないだろう。システムを、有機的な生物総体としての生と離れたところにある新理論や異なるシステムで凌駕する時代は終わった。生きているという実感をもって、改めてこれから私も考えていかなければならない。

そして解決のおそらくできない技術的な問題に直面していながらも、人間が言葉という厄介なものをもった、他ならぬ生き物であるという点に立ち戻って、その場所に、本当に身体が目覚めなくてはいけない。死にさらされながらも、そうした身体から新しい言葉、生き方のあり方を模索しなければいけないようにも思う。

学問も世界水準ということよりも、あるいはむしろそのベクトルとは異なる方向で、そういうことをもはや今後は超越して、たとえば日本という極東の国であれば、目的をあやまった戦争や、自然災害や原発事故の経験を謙虚に生かして、新たに創造した価値観に基づいた学問のあり方をもつべき時が来ているのではないか。世界を世界基準でリードしようとするのではなく、たとえ漠然たる言い様のない淀んだ不安に苛まれていても、そのなかでもなおかつ、自らの真の幸福の為の契機としなくては、命を奪われた人々や被災地で生きている人々、そしてこれからの未来の人々に本当に申し訳が立たない。

たとえば人間が言葉をもった他ならぬ生物であるという強い自覚ぬきに、環境問題も生物多様性も意味をなさないのであるが、原発事故は、この嘘めいてはいるが大事な視点をも、さらにさらに現実的に遠ざけてしまった。これにみるように、世界、世界といいながらも、よくしてみればこれまでの人間の側ばかりにたった行為が根本から覆され、より世界の側によってたつというその契機を与えられたといえば、ほんの少しは何かがみえるだろうか。

人間がいまの言葉を持つ限り人間と世界が等しくなれないのなら、人間と世界とのあいだに、どのような距離をもつべきなのかを模索しなくてはならない。あるいは言葉のあり方そのものを変えなければならない。

こうした感触は地震の前から、少しずつあぶり出されるように、この世界に漂い始めていたように思うのだが、こんな大きな事態でも、身近な自然が本当のきっかけを与えた、そういうことを教えてくれたと思うようになることが、あと何十年か後の、少なくとも私のなかで、何らかの形としてもし叶うならば。

しかしながら、少なくともいまみえている権力者の言葉からは、その権力がなければもはや簡単にはできないような、未来の命を救うための大事な行為はおろか、その人間への態度、あるいは自らに対する態度すらにも、何の心もないように思える。そうであれば、 人間の側にすらたつことが全くできないのであれば、人間が世界の側にたつことなど到底できない、そこへの道はあまりにも遠い。

だがそれでもなお、負の遺産を抱えた未来に生きる人々にとって、今を今の個人個人がどう生きるかということは、切実な問題だ。今という現実が押し出す未来の夢の中に、誰がどのようにそこにみえるだろうか。これ以上、少なくともその心が、悲惨な未来であってはならないだろうと思う。

対物的な考え方も即物的な考え方も、単なる反省だけでも、それだけではもはや何も産生し得ない。それらをともに俯瞰したところ、それでいてなおかつ現実からかけ離れず、適切な距離、人間と世界の境界をどこらあたりにおくのかといった問いを発し、世界における人間のあり方を、生き残った者たちが、一人一人この不安のなかに模索し、この現実から、未来の想像しうる限りの幸福な姿を押し出していく時期なのではないだろうか。

私は未来は溶解しながらあらわれるというイメージをもっていたのだが、それは違っていた。未来は今のなかにあるこの動きが押し出すものといえばいいのか。その余韻がほうり出しほうり出された余韻が現実となるように、託すものが託されたものへと繋がらなければ行けない。被害による世代の絶対的な断絶は何ももたらさない。

人間は死ぬ時期を最後の最後まで本当には知らないから、この今を何とはなしに生きていけるのかもしれない。動物も植物もおそらく死ということを現実にはよく知らないように思える。だが、たとえそうだとしても、これからの未来の人間の苦難の軽減のために、一人一人の人間の意志によって、今なにができるのだろうか。

こういっている間に時は過ぎてゆく。だが、ほんとうに月並みな言葉の表現であっても、いまの私にとって長々と言葉にしていかなければいけない。自らの生物としての言葉の感覚と実感を歪まない形で、それをもっととりもどすために。言葉をかいて、これまでの言葉のあり方を自らたちきっていかなければいけない。それは言葉の形の問題ではない。言葉の想像力や言葉の表現力そしてその抵抗すら超えて、言葉の身体そのものの問題である。

言葉の主張に言葉をさらす為にではなく、言葉の批判に言葉をさらす為にでもなく、これからの人間への橋渡しをどのように、できうる最善な形でしていくか、そのために身体から発せられる言葉を書かなければいけない。それは生きている小さな自分を信じることでしかない。またそれは今、たとえ旋律がついていなくとも、どんなに長いくどくどしい文章であろうとも、ある祈りでもあり、ある歌でもありうるのだ。裏を返せばそれほど無意識によってかかっていた軸を失い意識が解放された、そういう自由な形で今、大きな何かが問われていると言い換えても、よいのだろうか。



再び写真をみてみると、一枚の写真はそこにあるだけで、静かにものを語っている。個人の物語ではなく、そこに定着された一瞬のなかに、そこに定着されなかった過去、現在、そして未来をもすべてをも想像させるかのごとく、そこにその写真がある、そういう写真は何十年経ったあとも、深く心に刻まれ、今をどうするか、今いかにあるのか、そのことを、契機として考えさせられるのだということを、はじめてこの身体が本当に経験しているのではないかと、今日感じている。

これから百年後のことをどう想像できるか。百年後この今はどう映っているのか。