熊野 kumano (14) 2010

Pasted Graphic 14


(つづき 1

譜面どおりとはいっても、作曲されたもののなかの演奏家の即興性も一つの大きな前提となっている。作曲行為ではあるが、演奏家との共同作業的な面が強く、それは作曲家としての質の高さは無論だろうが、演奏家の質の高さ、いいかえれば演奏家の音への普段からの態度がいかに密度が高いかによって、出現した音楽空間の密度がそのまま決まるように作成されているようにみえる。八村さんと対峙しながら何かを教わったり、曲に借りて自らを表現したりするというより、八村さんと一緒に音を進めるようにひくと、その作品の魅力が発揮しやすいのではないかと私には思える。

作曲家としての個とすべての演奏家の個のつきぬけた場そのものによって、場のなかに浮かび上がる音が多面体を呈し、作曲家と演奏家を超えて呼吸しだし、それが聴衆に自由に開かれることにより、聴衆が音をあらゆる方向からとらえることによって、時空が多様に変化していく。その作曲行為による音楽のあり方はそのような、まるで非常に熟練された即興の形と近接して位置するようにあるような作曲の方法であり、瞬間の持続的呼吸が印象付けられる。

八村さんのようなアウトサイダーから発見する何かは、音楽のジャンル分けをこえて、音と音の糸をつなぐということであり、それは個が異様な強度をもった個性となり個が個をつきぬけるとき、内部の音の糸が人間の糸をつなぐということであろう。八村さんは非常に寡作だったのも、異様な個性の表出への厳しさが作品数を抑制したということだろう。

個々の音が個々であることに、各々の人間が各々の立場で相互に注目することによって、ある重要な微細なサインおよび変化をみのがさないこと。それは量の論理が一つの質の個別性と特殊性を覆わないあり方であり、質の深みから糸を紡ぎ、どこかの未知の糸、あるいはいまここで私の知らない糸とを最良の形でつなげるあり方である。このことは臨床医学にも応用しうる。

医学の手法に言い換えれば、医学において何万人ものデータのエビデンスを基礎に普遍を結論づける手法よりも、たった一つの非常に特異な疾患と症例のふるまいから、眼には見えない病因の糸を探り当て、糸が糸をつなぐように現象の底にある普遍の生体の糸をさぐる方法を八村さんはとったということである。

過去の経験と分析を現在にあてはめて適応していく応用のあり方ではなく、過去を未来という未知、いわば過去の幽霊をひきだし、幽霊をいったん浮遊させ、その未来を現在にひきよせながら、現在を来るべき未来と混在させつつ実践していくあり方、過去によって規定される変動のなかに定まった未来を今が受け入れるというよりも、今の実践が、常に未来を変化させうるあり方。音は過去の積分ではない。だが、次の音は今の音の微分でもない。今の音にすでに未来が含まれている、というより未来が積極的に今の音に宿っているような音の印象だろうか。時間の錯綜が静寂を基調として漂う。

飛躍かもしれないが、たとえばそのあり方は、未解明の低容量の放射線被害による発癌が将来生じるまえ、あるひとつの特殊な症例からその影響の特色を呈する重大なヒントを見出し、すでに起こったことをもとにレトロスペクティブにあるいは確率論的に検証する(そのときはもう遅いのだ)まえに、事態の推移を微細に予知し、未来に生じるべき様態をあらかじめ察知する(そしてこの場合それを極力回避しうる)ようなあり方を導くことはできないだろうか。

それは科学的根拠の再現性を待たない行動であり、未来が現在にいながらにして現在を決定し、その現在がふたたび、過去へではなく未来へとかえされていくあり方ともいえる。それはたんなる予想や想定ということではない。科学が今後進化するとすれば、その実証的方法が身体感覚(道元ならば、いわば感覚の論理、八村ならば「錯乱の論理」 (八村さんの曲のひとつのタイトルである) といえよう)を言葉(脳)の論理と等価同質に、かつ連携的に扱うときである。

こうして未来と現在が整然とせず分別しがたく区切られないことによって導かれる、極力にまで高められた緊張と密度の身体ー「錯乱の論理」。その音楽が澄んでいて厳しいのは、その精神がこのあまりにも内的に透徹した過程によって貫かれているからである。(作曲行為は言うまでもなく多くの音楽的背景と考察を経ているのだが。)このコンサートの表題のようにもし八村さんにアジアをみるなら、こういう見方が私にはしっくりくる。それのどこがアジアかと問われれば、うまく答えられないのではあるが。

それにしても八村さんの自作自演がないものかと思いながらも、コンサートのラスト、八村さんの残した晩年の曲「Breathing Field」を聴いていた。パーカッションとハープの演奏が良かったので納得できた。この終わりはやはり氏の死を予感させる。

エッセイ集のなかのインタヴューで、今後何を題材としたいかと問われ、方丈記と雨月物語をそのなかに上げていた。帰りの新幹線のなかでこれをみたときには、八村さん自身の幽霊を我が身に感じた。今、八村さんが生きていたらどんなことをしていただろうか、思いはさらに募る。