出雲崎 izumozaki, japan, 2010

Pasted Graphic 29

桜がほぼ満開に近くなった犬山城は多くの人で今日も賑わっていた。城に久々に登ってここに来たときのことを考えていた。犬山での生活を始めようかとはじめてここを訪ねたときも、城にのぼってこの地の生活が将来の自らを形成するのを想いながら、何かの手ごたえを感じた。そうして大学の医局を辞した。

引っ越す前の休みには、 当時祖母も百歳を迎えて、 自分の出自を模索する最後の機会だと思い、母方の故郷の群馬県の前橋市をとても久しぶりに訪ねた。何代かまえの祖先に近いところには、日本史の教科書に載るような軍事行動の首謀者がいれば、前橋の生んだ萩原朔太郎に影響を受け、萩原恭次郎や西脇順三郎らと親しい詩人も身近にいて、その時代の言葉を発していたということをはじめて知った。

そのとき私は、戦争の爪痕を少しではあるが実感をともなって垣間みるというはじめての経験をした。そうした風土や戦争という時代をひきずりながら、親が子を産み、やがて自分が生まれて今に至っているということを強烈に実感し、いろいろなことを思った。 戦争が少し身近に感じられた。戦後の経済や政治の本も、少しは私の身体の体験として読むことができた。

人間の歴史はひたすらに長い。余儀なく襲いかかってくる現実を、その都度引き受けて生きなければならない。道元の生きた時代も苦しい時代だったという。それぞれがそれぞれの人生のなかで、その時代を生きてきた。 何かを何かの行為によって伝えるということを、改めて考えなければならない。大本をたどるなら、たとえば釈迦は、ついに沈黙を打破してまで、何かを言葉で伝えなければならなかった。

そして、戦後の焼け跡の日本と経済成長を通じて達成された日本は大きく異なっているのだろうが、このたびの震災と原発事故、この自然災害と、連関されて生じた悲惨な人災から、私自身は何を学ばなければならないのだろうか。

福島では、隠蔽と人間のずるさそのものが暴露された上に、放射線にさらされ、死にさらされた人々が今もほとんど休まずに働いているという事実を思っては、毎日愕然とする。だがこの現実を考えるとき、そこに照らされた自分自身の態度こそを内側にむかって凝視しなくてはならない。そのことが今の私にとってやはり最も大事だ。

私は東京に育ち、離れてみると東京への愛着がとても深いとわかる。時折両親や兄から東京の今の模様をきく。だが一方で東京中心の世界も終わりつつある。学問という手法の限界も大きく問われるだろうと思う。これまでの私の何が大事だったのか、何が大事でなかったのか、今はどうなのか。私自身が一日一日を生きていくというその行為を、今は内的にみつめることしかできない。