granada(12), spain 2008

shapeimage_1-154

どう演奏するべきだろうか
思案する

「微明」を基軸に変化を加えて
音を2弦でだぶらせてみる
不協和音かそうでないかという区別は度外視にしてとらわれずに
空間を無理に作ろうとせず
少しづつもやもやと配置して
楽器と弓から引き出されるように音をみつつ
その余白のなかに時間を聴く
ただし時間を体内に引込んで聴こうとせずに
時間の流れをただただ見るように
音は始まる前から連続してありのままに聴く
ある程度そのままやりすごし
ある局面があらわれたところで
意思を注入し思いのままにまかせる
思いは思いでなくなり
ふと混沌があらわれるならば
あとは身を任せるだけに
終点もまたもやもやと思い描くのみとし
場にゆだねて音の終わりの後の静寂の時空まで聴く

そしてその時空間からまた
身体にしみ込ませた一つの夢を弾く

という過程を絶大なるイメージとしてではなく
あくまでデッサンとして線的に描く
人間の所有するイメージなど小さい
実際やってみることの方がはるかに大事だ
だがそううまくいくとも限らない
だがあえてその過程を踏んでみることが大事だ

そう、やはりうまく行かないが
あるところまでくると
バッハをいかに弾くかという課題がこの期に及んで残る
それが先決かもしれない
その修練と収斂として「微明」の過程は過程として存することが可能となるのだから
その両者を入り交えておき
その交叉から両者を深めることが必要である

まずは集中度を高める
身体と心も休ませつつ
しかも腕の力の抜き方と力の入り方に対処できるだけの訓練を施す
今からそれが可能か
だが例えば本番まで時間がないというのは全く本質的なことではない
時間がないのではなく
すべては心と身体の問題なのであるから
間に合う間に合わないとはまた別のところで生きることが肝要だ
そのなかに何かがあるのを身体と心が知っている
それでよい

仕事は仕事で真っ当なことを全開でいかなければならない
そうすることのなかに本当の身体と心が培われるのだから
絶対に無視できない

だけれど、
それにしても肩が張らないようにも骨の折れる作業
逆境の過程を踏んでこの機会を大いに楽しむことが肝要
逆光のロゴスならぬ逆光のパトスをもって





shapeimage_2