犬山 inuyama(5), 2008

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なぜ毎日毎日こうしてここに書いているのかと帰宅電車でふと考え込んでしまった
こういうときにはわが町の米屋の犬に会いたくなる
犬にあって挨拶するだけで私がいかに小さい心臓かがわかり
たいしたことじゃないとわかる

あるときから毎日毎日できるだけ欠かさずに書いてみようと思った
それもできるだけその日の心の変化にそって
微々たる変化もことによっては巨大になるから
時に変な方向に行ったり曲がりくねったりしても
それでやってみたらどうなるのかと漠然と思っているのだろう

書くことは私が私として完結することを決して許さない
書くことは私を限定することの無限である
そのことは音を出すことや写真を撮ることと通じている
ある決着をつけることは不完全なるものの門出だ
私との出会いはまさに他者との出会いだ
だから毎日続けられるのかもしれない

正確でないかもしれないけれど
そんなようなことをポルトガルの大詩人フェルナンド・ペソアがどこかで書いていたように思う

ここ数日のせている写真の愛知県の犬山という街は
ポルトガルのポルトという街にどこか似ていた

今年冬に個展ができたら昨年行ったポルトガルの写真でやってみようかと思った
一週間だったけれどいい旅だった
ポルトガルのどの犬もほんとにすばらしい犬たちで驚くほど利口だった

犬山の犬にはまだ出会っていないが
わが町の米屋の柴犬は群を抜いてすばらしい
あいつ(ヤマトという名です)も年をとってきたのだ