犬山 inuyama(20)2009

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一日の二回目の出勤 午後の出勤は強い西日を受けての運転から始まる 信号すらみえない逆光のなかでうろたえずにそのときいられるかどうかが これまでの一日の一つの基準だった 落ち葉を掃き始めてからは 自己を照らすもう一つの基準ができつつあったのだが これは一体どういうことだったのか 今日はどのように落ち葉を掃くことができたか はいているときの加減や落ち葉と落ち葉のたまり場の距離と位置がいかにあるかによって その日 私が時空のなかにどのように存在しているのかを推し量ることが可能になってきた どういうわけか元来ものとものの距離や位置に関しては相当細かい性分なのだが これがここになければならないという感覚がざわついてくると それがしっくりくるまで何度も置く位置をかえてみる さらにややもすると病的なふうになってくると 時間のあるときには落ち葉の位置が納得いくまで掃きつづけるのではないかという不安にかられてやめる 時空が変化していくのをみることはできるが どこかに頑固にもあり続ける一つの焦燥感が 固着されている 自らの動きが本質的にそこにないのだった これではどうしても何かを払拭できなかった バッハを何度もひいて確認したかったのもいかに自分が動くことができるかという方法だったという面がある 一度で決まらない日は多いのであるが 家のまえの落ち葉の状況を把握しどこから手を付けていくか どういう落ち葉をどこにためていくか 方法は無限にあるので定まらないということ そのこと自体を楽しむことができないのだった しかしほうきで落ち葉を掃く行為をいかなる視点でみていくか その視点の転換によってバッハの演奏もおそらくかわる バッハは都合が良い偉大な代物なのだ 時空の重なりということに思いを寄せていくと ある結果と次の結果さらに次の結果そうして無限に続いていく落ち葉を掃くという行為が一つのまとまった行いとして立ちあらわれてくる ある局面とある局面がどちらが先にあったのかを完全に忘れ 落ち葉の変化の局面の重なり 野球の表裏やサッカーの前半後半のような あるポイントを区切ったまとまりでもよいのだが 原因と結果ではなく 結果からみた過程でもなく 過程の具体的推移ではなく 過程そのものといったらいいのか だが将棋の駒で王様を追いつめていくような過程とはまるで違った すべてが動きつつ調和した時空の重なりのなかに 自らの気配が消えていく 自らが時空のなかに溶け込む姿をみることがある 今日は風がとても強く 家の前の竹やぶからはじめて竹の葉がかなり揺れて落ちてきた 紅色や黄色や橙色に染まった桜と混じってひとつの美しい幻想的時空が目の前にはじめにあった そのなかへ入ってそれらを掃いてためていくなかにも 次々と新しい奇麗な落ち葉が舞い落ちてくる かれこれおそらくは一時間くらいはそうして外を掃き続けていたのだが 舞い続けてくる地面の落ち葉を掃くことは心をむなしくするということをもたらすと同時に 時空のなかの相対的な自己を正確に感じ取ることをもたらす 自己が時空の隙間に入っていくということは 風と竹と桜と凸凹したコンクリートや竹箒という道具の使う感触そうした時空をつかさどっているすべての運動の一部として 私がそこにいる そうした手応えとともにある 神であるとか循環であるとか輪廻であるとか思想を学び そこから新しい概念や観念を形成したとしてもこうした手応えはやはり薄い だがこれもまた時空の重なりから生じた大いなる思想にちがいないのだ しかし実感からはじめること本当の実学とは何か臨床とは何か 何かをわかっていくということは何かがわからないとわかることにつながっている 有限と連続した無限こそが気付きの極み 落ち葉を掃いて集めたり散らしたりすることは 最も身近で時空の重なりのなかに身を入れることのできる無限の手段 そうしたとき何かを楽しむという行為が本当に可能になるのだと頭ではないこの手がわかってきた 落ち葉を掃いているときのように演奏ができないだろうか バッハはこの家の玄関の前にもいる 東京からもってきたバッハの立像モニュメント 家の前に置いていたのだが 落ち葉とバッハもまた一つの重なりをここにおいて示した 身体はそのことを知っていた 竹箒は弓 弦は落ち葉 コントラバスは土であったらよい 今も何もない時空に一枚の葉が落ちているだろう その葉こそが時空の間隙をただよう波なのだ  バッハは今日もずっと 風に舞い落ちる落ち葉をみていただろう  


今更になって何を言っているのか私は何とお粗末な都会のぼうやたることか 今や最先端といわれているものこそ最も遅れているのかもしれない 人間は幼い反抗期から脱さなければならない 人間は成熟することができるだろうか 滅亡するにしても最後は老化した人類として世界の調和とともに子孫が人間を経験することがあるだろうか その時どんな世界が生じているだろうかと夢想は膨らむばかり