別府 beppu(17)2009

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明日から仕事を終えたら新潟へ旅。結局今年始めに考えていたように良寛を巡ってくるつもりだ。良寛さんの書いた真筆に出会えるのは最大の楽しみだ。良寛がいかにして親しまれていたかを知る手がかりが得られるか、それも楽しみの一つである。

ここ数ヶ月で強烈に影響を受けた人々すなわち、芳年ー国芳ー岸駒ー老鉄ー梅逸ー等伯ー若沖ー良寛、彼らを鑑賞するだけでなく、残されたものに自分がくいこんでいかなければやはり面白くない。帰ってきたらまずは大雑把に彼らの手法を少しずつ見直してみるべきだろう。各々がかなりちがっているが、どうも本質的な何かがそこに見え隠れしているように思えてならない。特に全体の構成と細部の表現、大胆な空間配置によるリズム感に注意を払わなくてはいけないと今は思っている。

それならば一度、私を度外視して分析的態度をとるべきである。感覚を直接表現するやり方もあろうが、それによってこぼれおちるものもあるだろう。感覚とはまた瞬時のものこそ瑞々しいから別個のところで、つまり自然なるものとして、身体なるものとして鍛えなければならない。聴覚も視覚もその一部であるから互いに通じ合うのではないか。

一方で分析といっても言葉が肉体的感覚を通らなければおそらく何者の形にもならない。身体とは私の内部と外部ということからさらに外にあるものであり、言い方を変えれば存在そのものといってもいいかもしれない。そうであれば分析とは存在を通じた言葉でなければならない。私はこのような分析的態度を医学の臨床においても好んで使っているように思う。これらは音楽と写真を続けていることによって支えられているし、一方で医学が音楽に寄与する側面としては、生死や人間についての直接的で感覚的態度が日常的に瞬間瞬間にとれるということである。例えば貝原益軒の養生訓を読めばその日常に即した感覚と分析的かつ実証的態度は手に取るように伝わってくる。

話がそれたが、分析的態度による形の成熟、および感覚の鋭敏さを研澄ませる身体としての日常的態度の成熟、それらはいずれも外から内への動きである。他者がいなければ私もいないし、自然という事態がなければ身体もないということに通ずるかもしれない。若沖や良寛も遠く中国の偉人たちに学び、このような動きを加速させていったように思われる。私も彼らに倣いたいと思うのだが、どうだろうか。