犬山 inuyama(4), 2008

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赤塚不二夫さんが亡くなられた。スポーツ紙の一面を飾っているのを通勤中にみた。赤塚不二夫さんと思い起こしてみれば、昔懐かしき高校時代に思い出はさかのぼった。

高校2年生のとき、文化祭の演劇監督を指名され、何か探さなければと奔走した。別役実さんの戯曲「天才バカボンのパパなのだ」の台本を紀伊国屋で懸命になって探してみつけてきて、これをやってみないかと提案した。別役実さんのことなど全く知らなかったが、何かすごくひかれるものがあった。でもクラスで承認されなかった。大半はバカボンをやること自体が不自然だというような馬鹿な理由だった。

結局ある友人がもってきた脚本、「絵師金蔵」(通称、絵金)という江戸幕末頃の絵師の物語をやった。題材と台本はそのときの自分にも響くものがあった。この物語のクライマックスで主役の絵金が権力を傘に着た絵のあり方を批判して思いをぶつけるという場面に、同じクラスだった浦清英氏のサックスの独奏をお願いしようとしていた。しかし、これまた不自然だという理由でクラスで却下された。


自然死への過程には時間がかかり、その過程においては様々な「はみだし」が生ずる。その「はみだし」を「はみだし」として不自然なものとする視点や感情が常にどこかに付随してくるのだが、それをも自然なものとして受け入れ、その流れに任せることのなかに何か重要なことがある。それは一面において辛さとあいまった異様な光景を呈することもあるが、「はみだし」を引き受けることの困難さと制度とのはざまで、冷静な状況分析と人間の感情とのはざまで、一つ一つ流れを見極めなければならない。