犬山 inuyama(13), 2008

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この川がほんとうに好きだった

少し人工的で少し手入れもぶっきらぼう
だが微かに品がいい美しい川だ

そこに住む人々はきっとこの川を愛していて
なおかつ無関心を装っているような気配だった

ほどほどに手入れして
ほどほどに放っておくような
川への信頼感
ちょうどいい感じがたまらなかったのだ

川に面してずっと続く桜の木肌
猛暑の匂いのなか日の光が注ぎ眼が眩しくもあれば
川岸の影はグラデーション豊かだ

川は私に自分と対話する十分な時間がないことを知っているようだった

ここで楽器が弾けたらどんなにいいだろう
それが今の私の本当の夢だ
あらゆる意味においての夢


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(追記) 
 8/6の写真と同じ川の写真です。今日また出したくなりました。8/6はある方が瀕死状態になって救急車も呼ばずにやっとのことで駆け込んできた日でした。ボールペンを握って文字を書くのも全身に最後のありったけの力がみなぎっていました。私にとって特別な日でした。ずっとその日に心を備えていたのですが、帰宅すると思い起こされて胸のつまる思いで心が充満しました。その日のブログに同じこの川の写真を選びました。その方が亡くなった日は8/12のことです。どなたかが書いておられました。詩は自分のエゴで自分のエゴを消すことだと。
 私の言葉はまだまだ稚拙ですが、長年秘かにやってきた写真もそのような詩を含むべきものと考えます。ですが、写真を詩的雰囲気あるものとするのではなく、写真を写真としていくことのなかに詩的なものが生まれてくるのだということを忘れないようにしなくてはいけないと思います。私にとってこのブログは、まさにそのための訓練なのですが、他に向かってあることによってはじめてそのことは意味を持ちます。読んでくださっている皆様ありがとうございます。