筋目書き(三十六)雨月3 白峯の夢

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塩尻/奈良井宿 shiojiri, 2011





松山の浪のけしきはかはらじをかたなく君はなりまさりけり




雨月物語 白峯



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筋目書き(三十六) 雨月3 ー白峯の夢ー


 

 墓の前での西行の歌によって崇徳院の怨霊が登場し、場面は夢の音楽のなかにいるような両者の対話へと突入する。歌に始まる夢の音楽は、生者の思考を連れ去り、魂を運び、死者の思いをこの命に与える。

 「記憶を喪った現在と、だれの理性にももはや捉えられぬ未来を前に、私たちはいずれ生を終えるのだろう、せめてあと少し留まりたいとも、たまには戻ってこられればと思うことなく(W・G・ゼーバルト『カンポ・サント(聖苑)』)」。ヴァルター・ベンヤミンは言う。「ある日、魂たちは絶望へと目覚める。これが、すなわち、日記の生まれる日である」 。またこうもー「幽霊的なもののなかには、生命を生み出すすべての形式が、存在形式としてあらかじめ形成されている」。

 ある歌のひびきが、夢とも現ともつかない状態からさらに脱却して、具体的な夢のなかへとみちびかれるきっかけだとすれば、ひびき始めた音楽は、夢の実体ということになる。音楽という経験が、物理的振動や耳のなかに入ってくるものの身体的咀嚼や共時的共感あるいは違和感だけではなく、音楽の構成要素と考えられる音も、失われた感覚があたらしく芽生えつづけては消えていく動く経験の全体のなかの一つの主要なあらわれにすぎず、この日常で音楽として認知されている音から外れているような、シャッターを切るような身体と世界に擦るような響きの感触のような、いわば聴こえない音もが含まれた身体的摩擦すべてのかたまりのプロセスから、音楽というものをもう一度とらえなおしてみるだけでも、音楽は無限につかむことができないものということがわかる。そして音楽における音自体の優位性も減じられ、意識のみならず、耳という器官のなかでさえ音自体がより対象化されにくくなるように感じられてくる。妙な言い方だが、そういう音楽は、音楽自身について何も知らないだろうし、音楽とは、音とは人間にとって何かという問い自体も、音楽の経験の内部からは成り立たない。そういう実経験ともいえないような過ぎ行く過程は、夢に等しいだろうが、夢とはまた具体的な代物だ。

 しかし、この自分自身を知らないこどものような音楽は、たとえばマチスがそうしたように、陶淵明のように自由で、演奏している行為の夢のような自然状態へと向かうことができるのかもしれない。音楽が経済化した現代では、思考の裏側に生きているような音楽が、生死のはざまで魂を運んでいて、生きているものと死んでいるものをつないでいるのではないかという想像にすら、なかなか気がいかない。逆に、いま自問し言葉で考えて、音楽とはなんだろうと問わなければ、世界の裏側にあるようなこうしたことにすら気づかない。陶淵明も政治を問題視し、現実を直視したからこそ、無弦の琴の夢のなかで語られている。そして魂の泉である音楽、その風にのっかっている魂も同じように、魂自身について何も知らない。だからいま、人間には思考と行為が課せられている。音の意味や魂への思いを身体に取り込めば取り込むほど、息はかえって魂自体からはなれ、孤独になるが、「意味は、夢の言語においては、像のあり方にしたがい、なんらかの判じ絵となって隠れている(ふたたびベンヤミン)」。

 歌がその力によって死者を呼び起こすというのも生者の傲慢な見方かもしれない。言い方を変えれば、夢のなかで死者が歌うとき生者が音楽を聴くのだ、ともいえるかもしれない。崇徳院が世界を現実化させる預言者であるなら、彼こそが歌を歌い、西行にこの歌を語らせたともいえるのではないだろうか。この歌がきっかけとなって、生者も死者も音楽という両者にとっての夢のなかに投入されると言ったほうがしっくりくる。秋成はそうした音楽の夢を、彼の内側からではなく、彼の外側から言葉で描いているようにみえてくる。音楽という生者にとっての夢が、死者においては世界の実体だとすれば、生きているものが歌をつくるということは、人生と分け隔てなく、死を聴くことのなかから生まれなければならないだろう。生きた自由な動きのなかにいるようでも、生者からみた音楽ではなく、そこに自分の内部にいる他者をみつめるだけではなく、死者からみた音楽がいかなるものかという想像力に思いが至らなければ、弾いている自分をそれが自分自身ではないように、外側から眺めることはできないだろう。情が論理を超えるという水準ではなく、技術でもなく、音楽が情と論理の双方をすくいあげて、議論では行き違う運命にある観念のすれちがいも、お互い譲ることのできない情念も、音楽のプロセスによって双方が双方をみとめながら、ある線が呼び出されて通い合うことのできる、数少ないだろうがそういう音楽のなかにいると、音楽は生と死が同時に絡み合って成立しているという気がしてくるのはなぜだろうか。

 音楽の始まりが仮に生の歌だとしても、一方で音楽が止むきっかけとなるのは、はじめの歌のひびきの再登場なのではなく、この音楽のプロセスのうちがわで発見されるように、鳴り響いている音楽の内部の、いわば生死のプロセスによって生み出された次なる何かが紡がれようとしているその歌だろう。この終わりの歌の言葉は、夢の音楽のプロセスの断片的空間、音の写された見えない音の像の判じ絵にしたがう、夢のなかの言葉だろう。夢は対話から生まれ出た沈黙であるのかもしれない。だが、その夢の言葉は、果たして死者が生者へ望んでいる<ゆめ>でもありうるのだろうか。





●体調がいまひとつすぐれないときは、夢をみるのが楽しい。本当に正直に言うと、できることなら何もかもやめて、社会からも離れてずっと眠っていたいのだけれど、それにしてもそういう自分が書いているのではなく、どうみても何かに書かせられている気配がするのはなぜなのだろう。けれどそうしていろんな本を読んだり音楽を聴くと、途方もなく楽しく思えることもあるのだから不思議だ。加藤周一さんの本などは、あらためて読んでいると、その鋭さに面白すぎて目から鱗が落ちる。読んだことのなかったベンヤミンの写真論以外のコレクションも、摘んで読んでみるとその繊細さに感服してしまう。ゼーバルトは文にところどころ写真を添えるが、「カンポ・サント」のなかで「写真とはひどくうさんくさい手品によって霊に形を与えたものに他ならない」と断言しているようにみえて、畏れ入る。池澤夏樹氏は、この本の解説で事故で他界した今は亡きゼーバルト氏との架空の対話を試みているし、秋成本でエッセイも寄せているが、これらは文章を書くときの力の入れ具合や力の濃淡がよい感じがして、平たく言えば書くときのコツというか、そういうものにも感じ入ることができる。それだけ彼らの書くことや、そのやり方が、いちいち深く身にしみるようになったというふうに前向きに考えてみるが、そうするとゼーバルトの死の言葉がますます身にしみてきて、どちらかというと体に悪い。そんなことで、雨月物語はいっときどこかへいってしまった。そこでつい数日前、どこか幽霊に呪われたようなこの何ともしがたい体を何とかするために、日帰りで京都の上田秋成さんのお墓を御参りしてきた。東京を離れてから影響された良寛、若冲、道元につづいて四人目となって、お墓の重みが何となくわかってくる。お墓を預かっているお寺のご住職さんに許可をえて案内していただいたのだが、住職さんが上田秋成の像にうりふたつ、本当に似ていらっしゃった。はたまた夢、いや幻だったか。時間もなかったので、なかばあっけにとられながらすぐに失礼したが、秋成研究の著名な方々も日本中から集って、時々お寺で勉強をしているという。ちょっとだったが、秋成ふうの住職さんのお話もこれがまた面白かった。また、京都国立博物館では「方丈記」の小さな特集をしていて(震災後だし、成立八百年という)、現存する最古の写本を鑑賞した。明恵上人の「夢記」が一緒に紹介されていて、これが著しく興味深かった。書かれたものはそのまま後々ものこる可能性があって、資料的価値と同時に作者の筆跡から起こる、目に見えない息が聴こえるが、同時代の書かれなかったものへの想像のまえに足がすくむ感じがする。鴨長明がいた下鴨のあたりは、まだうっそうとした森があるが、中川真氏の「平安京ー音の宇宙」によれば、ここらあたりは古代の京都の森林植生の貴重な名残だろうというから、そういう森をまたこんど、そういう気持ちで訪れるのが、記録にない声を感じるきっかけになるのだろうなと思いながら、三時間という短くも濃い京都滞在を終えた。ベースアルバムコレクションの紹介の文章もいざとりかかろうとすると、一体どう書いてよいものか途方に暮れて、なかなかきっかけがつかめないでいたが、今回これを書いてみて、夢という話題などは古くからあるが、まるで能舞台を観る時のように、自分もベース音楽のなかの夢の言葉を書いて、真剣に遊んでみたいとおもうようになった。そんな夢にいま、背中が押されて生きているような。