筋目書き(二十九)


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下呂 gero (23), 2012



拈一はこれ流なり。拈一これ不流なり。一回は流なり。一回は不流なり。



道元


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筋目書き(二十九)


存在へとむかう意識を解放し存在からはなれていく。たとえばジャコメッティの極小の男、あの立像へと意識が向かっていくような音の過程とは反対に、立像に近接した地点にはじめから立って存在の骨格から意識をはなす。振り返れば男はますます小さく微かに空間に浮遊し幻影すらみえない。目標点あるいはうごく立脚点すらを失った意識はうすれていく。だが意識が遠ざかっていくほどに、男の側からではなく複数の方向からからだを包むように音が聴こえだす。闊達な脳神経をやり過ごし存在の骨格を浸さないよう気を配り、伝達通経路としての柔らかい脊髄の反応を聴きながら弾く。骨格の外側、だが脊髄の内側でもあるような空間的矛盾点を時間が裂く時空の非統一場に解放され、存在の骨髄をまわりながら骨格を離れていく身体の言葉の密度の高い呻き、だが浄化された水のように響く音が。そして音楽の終結音が外部の微かな現実の音に映しだされる、内部の音楽が外部の音へと逆転写される音の終結に立ち会うとき、あの小さな不動の男がいつのまにかふたたびあらわれている。彼はいまや現実の音によって歩きだす。この静止した小さな立像のような、浮遊しながらもはっきりとした存在の傍らで弓を弾く手を動かし始め、存在から離れることによってこれをゆさぶり立像を揺動させ、立像の動きを時空に招き入れる音楽のプロセス。そのためにあの立像の傍にいる日常を歩む日々の生地を丁寧に織っていくこと。




●正法眼蔵の「山水経」から。山は不動なものであるという固定された意識から離脱する仏のプロセスについて。京都の海住山寺の十一面観音像に影響されてこの断片をとった。



●バール・フィリップスさんのツアー最後の演奏、埼玉県深谷「スペース・フー」で「バール・フィリップス・沢井一恵・高橋悠治 」のトリオ演奏を聴きにいった。はじめて訪れたが、演奏は無論、適度な空間、聴衆、会場をとりまく周囲の環境もよかった。演奏そのものよりも演奏の終わりの雨音が強く印象に残っている。残響の中にうかびあがる外部の音の鮮明な動き、それをもたらしていた音楽に身体が揺り動かされたようだった。

私はかつて自分で幼いながらも独学でコントラバスを始めたころ、おそらく音楽を切り詰めて存在に近づこうと躍起になっていたのだと今はおもう。その身体的残余がいまだにあって演奏を小さくしていることから逃れられていないのかもしれないと、前半の演奏後にふと思っていた。だからそうではないあり方、それも自然なあり方を求めてきたのだろうか。もう十年以上もかかっている。うまく言えないが、そのあり方の極致をこの三人の熟練された演奏やその姿勢に観た思いがした。それらははっきりと、全く別な行為であり、結果、別な音のあり方だろう。去年ずっと考えていたことはこのことだったという感触がわいた。だが、意識でわかってはいても実践のプロセスはそれとは違う。

振り返ってみれば私にとってはジャコメッティの絵画や彫刻あるいは彼の残した言葉が、自分という存在への意識のより普遍化された芽生え、その出発点だった。存在へと向かうことが自分にとっての至上命題だった。だが東京を離れて三年半経ってみていまはどうだろう。昨今、名古屋で「松尾芭蕉展」を見に行き、田中善信氏の俳聖としてではない芭蕉の生き方についての本を読んでみているが、彫刻の傍らにいながらにしてそこから離れていくこと、主体と客体の逆転は、人間の生が大方そうであるように私個人の生とってのいわば転生ともいえる時期だといってみても、とりわけ大袈裟でもないだろう。

数日後、京都府南端の海住山寺にある十一面観音像が特別公開されていて、日帰りで訪れる機会があった。「十一面観音像における動きの表現は祈りの結果としてあらわれる奇瑞の形であり、観音の来臨による生身仏の転換が望まれた姿である」という同志社大学の井上一稔教授のネット上の解説が興味深かった。そして瑞相は、あるいは祈りは、自己を存在(像)に注入していくことではなく、自己を離れることによって存在(像の動き)が出来してくるあらわれだろう。

こうして彫像のうちがわに発現する何か、それがそこにあるということによってもたらされるものは、拝観しながらその時空を離脱していくとき同時に鑑賞者の内側においても発現してくるものと同じで、道元なら「青山常運歩」ということ、問いの立て方と導きだした答えからどう自由になるかによって世界が刻々と変わること、あるいはマイスター・エックハルトにおける「離脱」ということ、その場から離れるということによって何かが充満してくるあり方、その双方が目の前で生じているように思われた。離脱によって自己に存在が充溢しながら侵入してくる、その反響、転写として観音像が己のなかに動いてみえてくる。そのとき彫像も実際動いてみえる。時間の止められた写真の中の動きもそういうものにも思える。土門拳が平等院鳳凰堂の鳳凰の飛んでいく動きをみたのも、あながち虚構でもないかもしれない。ちなみに「筋目書き(九)」で考察したように、正法眼蔵の「古鏡」の音楽的解釈もこうした点にあるだろう。

離脱していく運動のなかでみえだす何か、それが音の終結点の残余に浮かんだ時、外部の音に映写される。音のなかに主客の混在した場、その現実の異様な美しさをみることができる。思えば外部がまったくの無音、たとえば閉塞的で不自然な防音室では音楽の過程がかえってみえにくい、そういう閉じられた環境で音楽はやはり成立しにくい。音楽の終わりで、外部の音が音楽の全過程を凝縮し投影するとき、静止してみえていた立像が動き出す。まわりの環境が演奏者の音を形成している。

音楽の過程と終わりも大事だが、一方裏返せば、いまの私にとっての音楽の音のはじまりとしての条件は、ジャコメッティの「歩く男」のような立像が常に空間におぼろげにみえていることなのだ。つまり、ジャコメッティが「現実こそが何よりも美しい」といったような意味で、毎日がそのような経験としての日常でなければならない。そうした日常は何かと何かのあいだのつつましい行為であるが、パワーの強弱ではなくエネルギーの濃淡にも満ちている。