筋目書き(二十六)


R0016223

久高島 kudakajima, 2011



眼処の聞声は耳処の聞声にひとしからざるなり。



道元


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筋目書き(二十六)


有情は無情の際に立ち上る。主情としてのことばはそのあいだにある。「方丈記」にみられる基調は此岸の写真的ともいえる無情世界、だが文体は音楽的で言葉に織り込まれた音の律動を通じて彼岸の時間的軌道、無常を同時に生きる。書き言葉の鍛えられた推敲の上についには言葉への恐るべき諦念によって彼岸への道は断ち切られるが、そのプロセスとしての書き言葉の存在性によって起立した余韻の沈黙のなか、逆説的にも書かれた言葉が永遠に生き続ける。吐き捨てられることでプロセス自体の存在性が際立つ二度と戻らない言葉。対して「雨月物語」の底に聴かれる基調は彼岸の幻想空間としての音楽的世界、だが文体はむしろ写真的なリアルさを徹した話し言葉の息に依って立ち、間近に接しながら浮遊してくる写実空間が身体に乱れ入って幻想的彼岸へと転化する。冷徹でそぎ落とされた言葉の切迫性がそのまま此岸と彼岸の静寂、畏れと狂気に直結し、終わりが再び物語のはじまりでもある有情の永劫回帰する言葉。幻想と同時的に現実は存在しだす、だから非現実こそ現実の化体であり正体でさえあって現実のなかの物事的記録をこえた多様な存在性をみなければ人間精神の機微はあらわれてこない。いまなお長明や秋成の言葉のように、近代に生まれた写真は現実の静止した映像の痕跡、リアリティの所在を事物の余韻に写すプロセス、音楽はみえないものの語りを聴く場、主客に聴いて主客が一過同時的にこの幻想現実の場に入り込むプロセスが問いかける経験。何かのことばを自他に目覚めさせ呼び込むための音と写真、そのことばを磨くことで音と写真の際に立ってくる言葉の軌跡。





●正法眼蔵の「無情説法」より。この前節の「密語」とともに読んでいると難解で途方もないのだが、それでも一つには耳に入ってくる音を聞くこととは異なる聴取のあり方、「眼で聞くこと」について考えさせられる。聴取とは受動でもなく能動でもない受動能動を超えた自然のあり方のなかにあるという部分は示唆に富む。眼には無数の眼があるとの記述にも感じ入る。中野東禅氏の好著「生き方学としての正法眼蔵」におけるこの節の案内を読むと、「無情」とは、心あるもの「有情」に対する心の働きをもたない物で、たとえば草木や自然のことであるが、それが「説法」すなわち真実を語るとは、存在の根源が自然も人間も生命の現事実その物であるということであって、しかるにその無情の真実性をいかに聴き取るかということが大きな問題となり、その際には、聞こうとする心の態度、寂静の世界を納得することが求められる。それに共鳴した「私」が人間としてどのようにそれを表現していくべきかまでが問われているという。道元の言葉はいつにもまして非常に厳しく感じられる。




●数年前の個展「微明」で何かしら感じ取っていたように、まさに「眼で聞く」とは写真のプロセスなのではないだろうか。そして耳で音を聞いているという近(現)代の聴取の常識的な認識にも、あらためて問いを投げかけるものでもある。道元の言葉を音楽や写真の新しい思想的基礎に使用するのではなく、道元のことば、それもその切れ端を写真と音楽のプロセスに投影しこれをその都度省みることは有意義である。切れ端にも十分道元の言わんとする解釈的論理や政治的論争ではないことばの身体性が乗っかっているからであるし、その方が解釈にしばられず身体に響く。慎重でなくてはならないものの、直接的な身体的誤解や見落としから導かれる意外な実りや発見も生じる。(辻口雄一郎氏が「正法眼蔵の思想的研究」で指摘しているところであるが、近代の哲学者である西田幾多郎は、自己の思想的倫理に道元を当てはめながら自己の思想の基盤を強化しているという感じは私にも拭いきれない。)




●近代になって写真の発明は世界の新たな見方を提出した。写真は発明されてからすぐに日本に入ってきたという。日本において「日本語」が誕生したのとほぼ同時期といってもよく、西洋語の翻訳から生まれたといっても過言ではない日本語の書き言葉としてのあり方は写真の示す時空と符合し、江戸以前の話し言葉はそれ以降の日本語にも内在している音楽の時空と符合するという非常におおざっぱな「感じ」を私は抱きつつある。道元や鴨長明の時代は一体言葉のあり方はどうだったのだろう。道元の高弟、懐奘の「正法眼蔵」模写の原本を先日岐阜県の博物館でみたが、漢字とカタカナ書き下し文だった。何ともいい様のない感動を覚えた。





●以上のような意識から、「方丈記」や「雨月物語」を原文で少しずつまた読んでみていて、その音楽性や写実性を富みに含んだ内容や言語形式の見事さにため息をついてばかりもいられないが、その深さに心身が吸い取られていく。現実を聞くことと見ることの経験は、音楽や絵画や写真や映画を通じてばかりではなく、書き言葉と話し言葉、双方に洗練された言葉と言葉を通じた想像力においてもなされうるのだということが、これらを読んでいると鮮明に理解されてくる。逆に言えば、写真と音楽をつなぐのは言葉の身体(「ことば」とひらがなでなぜか書きたくなる)ということになる。石川九楊氏の筆触論は当然とても面白く、時々参照する「近代書史」には驚嘆しているが、筆法としての筆の動きから見えるもの、読み解かれるものがある一方で、その筆の法律的範囲にあてはまらない音声の見え方はないのだろうか。




●書こうとしている言葉がその書きたい何かに近づこうとすればするほどそれからそれていき、その到達点らしき地点のまわりを自然にまわりだす言葉の不思議な動き。その背景にあるような世界の情。私は診療現場では話し言葉と病の抽象的記述の間におかれていて、この場では近代的な書き言葉の日常にひたされてあるが、それらの日常の言葉の錯綜のなかに聴こえる音はこうしてみるとはたして何だろう。それに眼で聞くことが加わるとなれば事態はいっそう複雑である。




●(追記)アップしてからすぐ、親しい旧友の事故死を知った。私の家はちょうど台風が通過していった直後、前の竹林は折れ曲がり、風にふかれる音が異様に聴こえていた。夜中、彼の記憶の面影が幽霊のように目の前にあらわれては消えてゆく。翌日、共通の友人と電話で話した。短い電話を切ったあとどうしようもなく涙がでた。この友人の電話の声をきっかけに、まだ現実に降りてこなかった彼が身体に降りてきたようだった。そうしてやっと現実としてその死を受容することができつつある。自己の生を生きる動機としながらも、他者の死を受け継ぐ意思によって自らが生きなおさなければならない。今日の中日新聞での記事、詩人の金時鐘氏のことばが痛切にひびく。「叙情は、自分が死に追いやっている者への思いに至らない」