筋目書き(三十五)雨月2 白峯の現

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白浜 shirahama, 2012





木立わづかに間たる所に
土く積みたるが上に
石を三かさねに畳みなしたるが
荊蕀薜蘿にうづもれてうらがなしきを
これなん御墓にやと心もかきくらまされて、
さらに夢現をもわきがたし。




雨月物語 白峯



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筋目書き(三十五) 雨月2 ー白峯の現ー


 雨月の音を、夢と現のあいだにみて弾いてみながらおもうのは、時代的に近しい精神的故郷である江戸の音楽で主立った楽しみ方は、おそらく間と音色だっただろうということだ。捨てられた故郷へと、それもありありともどるような感じ。子供がうたっていた一つの民謡の単純な旋律を弾いてから、次第にコントラバスの一本の解放弦にある複雑な倍音の音色へこの旋律を照らし出すと、はじめの旋律は、音色のみが鏡となった差異と反復によって、無限な形で心に響きだした。音の具体は心の空と表裏をなしている。雨月のあとに対照的に書かれた「春雨物語」において秋成は此岸に集中し、あの世を否定して仏教には手厳しいというが、これらの音は雨月の此岸と彼岸の円環する音楽への手がかりかもしれない。律動は生活の支えで、旋律はまだみつからない性をうたい、音楽にはじめも終わりもなく構造はいまのところないにひとしい。構造を借りた旋律の変奏や荒々しい情念の息の吐露による緊張の持続ではなく、音色の変相を鏡とする心象が自在に変わりながら、各々の性をみつめさせ、間のもたらす断続的緊張のなかに息をついてゆく音楽が、ながれながらも止まっていまここにある。空は方法によっては容易に達成されない彼岸で、此岸の方法や欲によってではなく、そこにそうあることによって、そこになかったものが思いがけずあらわれることといえる。一方で、「白峯」において西行の呼び出した崇徳院は空の具体だろうが、空そのものを描くのではなくて、空の具体を描くという此岸の水準が確かにあって、そこには具体的な方法もあるだろう。空は写真にも音楽にもあらわれうるが、この水準における方法は、写真ではなくて音楽がふさわしいと知る。

 しかし、たとえば明け方に身体を襲ってくるような、すぐに失われそうなほどの激烈で鮮烈な夢の心象でさえも、いずれ脳裏ですり替わり記憶と化して形骸化して消滅していく運命にあるのなら、いま、音楽の一回性ばかりに身を託して生きてもいられない。写真が現実を根拠に何かのイメージをつくる媒体ではなく、イメージとなる一歩手前に写されてあるものが、記録と心象の隙間にある写真固有の性質だとすれば、写真は、写真という一枚の平面の紙の膜から出発すべき超リアリズムの世界としてみるのとは裏腹にあるような、現実に打たれた現実の残余であって、「白峯」における西行の物言いの質感を思い起こさせもする。現実そのものではなく、文学でもなく音楽でもない、写真や映像のうつろうことのないこの写真独特の確からしさは、疑いはできても容易に捨てきれはしないし、いまこの国においてむしろ捨て去ってはいけないものに映る。秋成が独創的な本居宣長の国学の弱点を批判できたのは、彼があの時代にして写真的、あるいは近代的視点をもっていたからだ。一方で、音楽は、現実をゆさぶり続けて、日常の確からしさを疑い、未来の予兆、予言へと研澄まされる。「白峯」における崇徳院のような見えないものの語りは、秋成にとって神話や神秘ではなく、音楽のような近しい現実的実感だったはずである。同時代人、若冲もまたそれを絵に描いた。

 音楽と写真はそれぞれに違う世界で、言葉の切磋琢磨において連結されるほかはない。写真を見ながら音を出すこともできなくはないが、現実の確からしさではなく、写真から離れない写真内部の確からしさのようなものが、ある音がふれただけで失われかねないために、慎重に言葉におきかえて、ある意識のクッションを与えておく必要はあるだろう。だがそれでも写真は確かに何かを写しているのに変わりはないということが写真の素晴らしい一面である。コントラバスで言えば、それ以上でもそれ以下でもない長さの決められた解放弦の鳴り響く太さと豊かさに匹敵する。逆に音を写すことは、ある音そのものが身体内部に降りたところでそれを言葉の時間に起こして、さらにいまここの空間に還元しなければできないだろう。両者にいわば中立的でありうる言葉の世界では、日本文学に特徴的ともいわれる、省かれて書かれない主語の立ち位置と時制がたちどころに代わる緊張感に満ちた文体の息が、写真的世界を切り取りもするし、音楽を奏でもする。そして雨月ではそれらが見えて聴こえてくるのだから、「心かきくらまされる夢現」は、だれのうちにも生じうるし、ここにもあって、あそこにもある。場面は怨霊(音霊)としての崇徳院の登場をみちびく墓前での語り手のうたへとつづく。







●雨月の言葉、音声と調子、モノガタリの息の言葉を一瞬に凝縮させた雨月の断片的な言葉の写しによって、写真的に開かれた身体で音を出してみている。何かを求めるほど足場が固まるのではなく、そうするほどに足下が揺らぐような圧倒的な魅力に取り憑かれるのだが、現実を揺さぶり続け、また現実を打つものは、地道な発見的努力があればこそどこかにさまよい続けていられると気づく。たとえば基礎的な学習として、加藤周一氏の「日本文学史序説」で日本文学の広く包括的な推移を学び、藤井貞和氏の「文法的詩学」で「物語を読む、うたに心を託す」ための詩の文法を学習しないとならないし、小泉文夫氏の「日本伝統音楽の研究」を参照しなくてはいけない。直接的には「上田秋成、雨月物語、春雨物語」に関する研究やエッセイ(三島由紀夫など)、そして間接的にはドイツの作家、W・G・ゼーバルトの散文的小説がとても刺激的にうつる。これだけでも多くの時間がかかるから少しずつだけれど、各々の、細かい一つ一つにつっかかる止められない断続があって、道元を待つまでもなく、断続とは連続していて、遥かに遠くなにも関係のないようにおもえるものも同じ線上にありうるから、原発事故とおなじように、苦しさもずっとつきまとうけれど、あったことは水に流してはいけない。雨月物語も中国の故事を借りているが、予感は昔話のなかの一場面にあらわれ、さらに幻想が現実となってふってくる結びては消えさる行く河のように、断続がつながって一つの円環する筋をなしている。



●雨月は怪奇小説とも言われるように、全体としておどろおどろしい語彙や語感で書いているように一見されても、それは言葉と文体のせめぎ合いの魔術に情が映され、性までもが掘り起こされてくるからで、一つ一つの切れ端の言の葉をみてきいていくと、秋成は音と風景の両者を、非常に冷ややかに聴いてかつ見ていることは明白で、秋成は、宣長のような時代の創造者というよりも、時代の観察者であったといえる。だから写真と音楽を同時に含有し対話させた、月光と蠟燭の薄明にただようその言葉を、いま借りずにいられない。評論ではない音楽と写真への新たな言葉が、この過程から立ち上がる可能性もある。



●いま、時代のベクトルに従った新しいこと、などは無く、時代は違うベクトルに軌道修正するきっかけを求めているようにみえる。だが、どのベクトルなのか?。色々、方法を試す時期だろう。秋成の墓の蟹型の台座は、同時代に生きた若冲が石峯寺の五百羅漢を彫った残りの石だ、という話をある図録で見ながら、揺らいだ足下が誰かに動かされるように、言葉を暗中模索している。