筋目書き(十七)



R0013436

下呂 gero (18), 2009



寒暑到来、如何廻避。


<道元(
正法眼蔵「春秋」より)


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筋目書き(十七)


遠近法や面を区切るものとしての線からのがれ、墨の筆線と余白の面の境界をじっとみつめる。次第に浮き立ってくる淡白い存在を眼に宿しながら転じ、線が余白から動き線に余白が囲まれれば面があらわれ、面の縁を再びながめてみれば線ははじめとちがった次元にみえてくる。静止した白と動的な墨の境界に浮き立つ亡霊に魅せられるように、線と面、動と静、時間と空間の相互浸透に自我が溶け出せば孤独は断ち切られる。表現で痛みを示すかわりに、痛みを時空に滲ませ交感し、交換しながら孤独同士を隙間に緩衝させるあり方。一つの音を聴き続ければ音は音でなくなる。音と沈黙の輪郭を息が描いているなら、音の線が音とその余韻、さらにその境界にあらわれながら漂う息の音楽は、音の力とは無関係に緊張を保ちながら、過剰な情を和らげる。吐息は時空の圧縮された生命線。音の線が霊を呼び起こすなら、音の余白は霊を鎮めるのかもしれない。


                          


● 三重県立美術館に曾我蕭白の絵を見にいった。さらに強行軍だったが名古屋ボストン美術館の蕭白の展示もたずねた。正法眼蔵の「春秋」の節冒頭にある、洞山悟大師にある僧が問 うた言葉を思い出して引用した。「寒暑がきたらどのようにさけたらよいのか」という問い。師は「寒時には闍梨を寒殺し、熱時には闍梨を熱殺す。(寒いときはあんたを寒さそのものにする、熱いときはあんたを熱さそのものにする)」と答える。この問答の体得が大事だと冒頭に説かれる。いつものことだが、蕭白の身体に入り込むように鏡として自分自身を学び、相手に入っていくことを相手から身をひいて自分を眺める契機としていた。この絵師に痛みから生じた笑い、粋に生きることの素晴らしさを感じながら全き畏れを抱いて帰宅した。



●蕭白の画からまず感じ取れるのは、孤独の徹底的な自覚と動かされた意思であり、画才を信じて絵を描かずには生きられなかった生い立ちばかりではなく、場に応じてふきつけられた孤独の息だろうか。逆に孤独の感覚は自我とともにあるとして、絵を自我の表出とみるなら、江戸期にすでに自我を超える強烈な自我が存在した明らかな証ともいえる。動と静、強と弱の同時的混在。伝記と現実をそれらの境界から浮き彫りにするのではなく、両者を同時に画面にそれぞれ具体的に示す画題は、蕭白が孤独と現実を徹底的に知り、虚構を現実に観て現実に虚構を観た、それでも世界に自己をみつづけて絵に生きのびた苦肉であり笑いでもあるだろう。無論その筆線は生き方であり、世界への態度であり、死生観でもある。酔いに粗ぶる放埒な筆もあれば理知的で極めて達観した筆もあるが、いずれにおいても問いの新鮮さが創造をうながしている。


だが蕭白の孤独の身体あるいは自我があらわれているのは、蕭白のイメージを端的に形成している迫力みなぎる絵よりもむしろ、精密さと微細さに満ちた小品や晩年よく描いたという山水画の墨のあり方であると感じられた。崖を直立に屹立させ、空気を横方向の筆線に描き時空を緊張させる蕭白。画全面に緊張をもたせながら真の笑いを差し伸べる余白の優しさ。構えと本心は作者も見る側もそれと意識しないでもあらわれ感じられてくるものだが、それをそれと意識しながらなぜそうなのかとあえて考えず、そのままに感じて遊ばせておくことによって、かえって身体的な対話は深まる。これによって構えと本心が逆転して映りだす。その反復のうちに両者の境が消滅したとき、孤独が孤独と接して蕭白の亡霊が墨と余白の境界に映ってみえてくる。つかむことのできない、だが絵の形のなかにぼんやりとしてうかびあがる存在に、ある痛みの感覚を感じる。線の余韻に痛さがのり、その痛さを知った時にはもう先を走っている線。その隙間に痛さは放置されている、だがそのことによって線の動きは痛みの緩衝剤と化しながら痛みは和らいでいく。そこに何とも言えぬ笑いが生まれる。

それはいわゆる近代の自我の孤独感や、傷つけられた精神の痛みとはちがう。痛みはあちらこちらにあって痛みを痛みとすることすらできないが、それによって恐ろしいほどの生命力が生じている。現代においても、自我が自我を乗り越えることによって自我からはなれるとき痛みは痛みでなくなるということはある。かゆみにも同様のことが言えるかもしれない。逆に、掻くことはかゆみを痛みで押さえつけて一時的に緩和すること、だが皮膚は前にもまして腫れあがり、ますますかゆくなって掻く。医者は開発された薬で治すこと以上に、病気と病気の当事者の意識の距離感を調節するという大事な役割を担う。痛みは他の経験し得ない孤独でもあるが、痛みが果てしなくつづくのを我慢するというより、ある距離をうまくとって放っておくと痛みやかゆみはやがて身体とはなれ、その隙間に自己が漂うことによって痛みやかゆみは緩和されることがあるからだ。それには時間がかかるが、うまくいくこともある。薬はその補助をするにすぎないから、薬だけでは疼痛緩和は本来的に厳しいのである。一般化すれば、隙間の領域にこそ他者との身体的な対話が芽生える契機があるということになるだろうか。自己と自己のずれ、隙間に何かを漂わせることによって自我という孤独を世界につないでいく精神の粋、また孤独を受け入れる人々の文化の粋をその線と余白にみる。痛みを笑いに転化し肯定しながら生きる文化の底知れなさ。

この線をいつしかコントラバスの単音の行方として映していた。線の運びを音の過程に生かすとしたら、やはりその線のあり方と画の全体から息の束を一挙に学ぶことだろう。難しいことだが、表層のデザイン性や奇抜さ、画題の解釈の斬新さ、表出の仕方をそこにみて学ぶだけではやはり全く足りないのだった。面は和音ではなく、線の関係性の束から生じたあらわれであり、良寛の線をたどる場合と、文字を一挙にみて弾くときの違い、その接点を観たような気もしたが先は遠い。時間や空間は一つの軸、足がかりに過ぎないということもよく感じられた。そしてよく言われることでもあるが、音は人の痛みと直接的な関わりを持つような気がするのだ。痛みは、浮かばれずに画の背後をただよう亡霊であるかもしれない。いずれにしても、全く容易いことではない。凄い絵師だ。




●良寛や若冲もそうだが、彼らの消息からその生きている姿や声を想像するのは楽しい。十八世紀の江戸は、人一人の孤独を抱え込む文化的基盤と粋の精神が社会の根底にあったのではないか。良寛と秋成、若冲と蕭白、対照的といってもよいとおもうが、彼らはほぼ同時期に生きている。さしあたり現在の自らの鏡としてではあるが、鴨長明や道元の生きた鎌倉初期と、江戸後期には、興味深く底知れないものを感じて、今とても気になる。いずれにしてもみな癖はあるが、そのことによってとてもあたたかいし、現代よりも短命ではあるだろうが、はるかに大人の時間をみなが生き切っているように映る。