Spring Manhattan 写真展
1999年8月31日~9月6日 新宿ニコンサロン


 1996年に初めてニューヨーク、マンハッタンを訪れた。当時はベースをひいていた一方で、ジャズ演奏家の写真を撮影していた経験もあったから、一度はマンハッタンという地を踏みしめたかった。この訪問によって、いかにジャズが強いルーツを持っているか、彼らが一人の生身の人間として、いかに真摯に演奏し、その地で生きているかということを肌で感じとった。翻って、東京という地に育ち、まだ学生をしながらジャズに浅薄に興じている自分は何なのかと思った。このマンハッタンという地でジャズの生演奏を聴いたとき、その歴史、気候、風土、文化が全く違うためだろうか、音の聴こえ方は東京とは根本的に異なっていて、大きな驚きを禁じ得なかった。

 撮影の仕事も多少あって、ライブハウスを回った。それまで、日本においてもエルビン・ジョーンズをはじめとするジャズを語る上では欠くことのできない演奏家を撮影する機会もあったのだが、そのような歴史を築いてきた演奏家に、マンハッタンの日常のなかで偶然に出会う機会がないだろうかと期待を寄せていた。
 今はなきSweet Basilを訪れたとき、高校時代から最も尊敬し影響を受けていたベーシストであるチャールズ・ミンガスと共演もしているトランペットのテッド・カーソンが、同じ店の来客として不意に現れた。間近で会話したときは大いに興奮し、写真も撮らせてもらった。予期しない出会いはやはりとても写真的だ。
 先日久しぶりに訪れた、高田馬場にある高校時代からの行きつけの古本ジャズ喫茶「マイルストーン」店主の織戸さんは、「テッド・カーソンを通じてミンガスに会ったってことじゃないか」とうれしいことを言って下さった。マイルストーン店内には、私の撮ったジャズ演奏家の写真を数枚、壁にかけさせて頂いている。織戸さんの見識は並大抵ではなく、ジャズはいわずもがなであるが、写真にも造詣が深い。写真評論家の故・西井一夫さんの話になったときにはそのことを強く感じた。

 演奏家の撮影とは別に、マンハッタンという街を、そのときの雰囲気、呼吸を感じつつ、モノクロフィルムで撮影した。明確な意識はなかったが、何かがわき上がる瞬間瞬間の尊さのようなものを求め、それを汲み取るように撮った。それをまとめたのがこの個展である。「スプリング」という言葉は、春という意味だけでなく、「何かが生まれ出てくる」という意味もあって、タイトルに使った。この感覚は、写真とベースをやり始めたときから徐々に膨らんでいた。瞬間瞬間に沸き立つ微細で小さなものごとのなかにこそ、最も大事なことが潜んでいると、当時から強く感じていた。この個展でそれを見つめて形にしたことが、その後の写真や音楽、生き方の大きな布石になっていると感じる。そして、この個展をきっかけに写真をより本格的に自分に引き受けなければならないと思うようになった。

 マンハッタンでの経験に呼応するようにして、自分が音楽の中に何を求めているのか、そのことをかつてないほど真剣に考え始めていた当時、 ニューヨーク滞在で大変お世話になった友人が、個展中に、たまたま会場の前を通りかかった、コントラバスの先達である斎藤徹氏を半ば無理矢理、会場に連れてきてくれた。私にとってこの偶然の出会いは本当に大きいものとなった。先達の教えの必要性を感じていたにもかかわらず、自己にこもって浅い我を通していたし、そのためか、本気で教えを請いたいと思うベーシストに出会うことがなかった。しかし、私にとって斎藤さんは違った。一年あたためて通い始めた。一言ではとてもいえないが、音楽というものを深く、広いところからとらえ、実践している稀有な音楽家だった。斎藤さんは、私が以前から深い敬意の念を抱いていたベーシストのバール・フィリップス氏と深い親交があり、後にバールさんと徐々に知り合うことができたのも、まさに人生の驚きだ。偶然が必然と化すとはこのことだろう。

 個展の後に、幼い頃からの初心を貫くこととなった医者になってからも、音楽、そして音というもの自体の途方もない大きさに、日常的経験が大きく支えられている。音楽/音と写真、そして生死の営みが深くで交差し合う契機が、この個展において、各々異なる形で凝縮されていたのだと思う。

2008年2月4日に、当時を振り返って記す。