微 明 portugal 写真展/コントラバスソロ
2008年11月22日~11月30日 ガレリアQ


shapeimage_2-1



● 個展内容 


老子は、「無為」を熟知した上での逆説としての「為」を「微明」と呼んでいる。この知恵は、私という存在が、無為に「今ここ」にあらわれた一つの仮の姿であること、その形を通じて一つの声が生じることを暗示しているように思われる。

「今ここ」を通じてあらわれようとする何か。実際にはみえず、きこえないまま、決して現にその姿があらわれないまま、どこかへと還ってゆくものたち。その声に耳を傾け、うごめくものたちの微かな影、現の夢を、写真と音のなかへ放ちたい。

ポルトガルには、ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアに導かれるように訪れた。私の日常に最も近くあるようで、よめべよむほど遠くに響くペソアの言葉。


生きていると思うとき、死んでいる。
死にかかっているとき、生き始める。

ーフェルナンド・ペソアー


<写真展示>
ポルトガルで撮影した2007年の写真を展示。大四つ切り、モノクロノーマルプリント。

<コントラバスソロ>
毎日同内容の演奏。
1曲目;バッハ無伴奏チェロソナタ3番よりプレリュード
2曲目;コントラバスの開放弦(ガット弦での演奏)を用いた「微明」を再編成して演奏



 
● 振り返って

 個展「微明」の翌年で、考えていることにさしたる変化はなかったし、「微明」というタイトルは当時の私にとって根本的な生き方を含んでいたから、変わるものではなかった。ただ、ポルトガルを代表する詩人であるフェルナンド・ペソアに以前から影響されていてポルトガルへは一度いきたいと願っていた。2007年秋に一週間というわずかの期間ではあるけれど仕事の休みを取って訪れたので、集中して撮ってきた写真を発表したいと思った。写真は自分の鏡であると同時に外界の一瞬の切断面であり、そこには様々なものごとや光が写し込まれている。写真に照らされれば当然音楽の内容も変わってくるため、前年の個展「微明」のあり方を踏襲しつつ、バッハからチェロソナタの3番からプレリュードをポルトガルのイメージにあわせて選んで練習し、「微明」にも変化を加えることとなった。
 
 写真はその場で消えてゆく音の記憶や匂いのようなもの、空気の肌触りをもそのうちに溜めとどめているから、静かでしかもよくみれば饒舌でもある写真には、独特な大きな存在感を感じることがある。自分が写したものではあるが、同時にただ写されてしまったようなものが、長い眼で見て深く遠い記憶に響いてくる。制作の過程で、奇をてらわないオーソドックスな古き良き写真のように思われる写真がむしろ気にかかってきて、一見して面白くなくても、よくよくみていってその時間のなかに入ってみると、最も永遠の時間を一瞬に閉じ込めているように思われてきた。わずかな一瞬の写真断片は普遍的に横たわる世界の無常という動きを通じてこそ、日常的一切片を永遠の記憶へと連れもどす。写真という時間の死のなかにこそ、生きた時間が流れ始める。その体験は私にとって音楽的だ。この個展のことを思い出して、懐かしい気持ちであらためて写真をみていると、強い光に照らされたポルトガルがそこにあった。またそれは同時に影の存在感を際立たせてもいる。バッハのプレリュードがポルトガルの光を象徴するなら、それを受けての「微明」は写真の闇のなかにこそ充満し、充溢してくるうごめく生であった。もう一度写真を見直してみて、このサイトでは当時発表した写真の感覚を残しつつ、当時展示した内容から多少、写真を増減してのせた。

 いまこれを書いているのは2013年、この個展を行ってから5年ほど立つが、この間、日本に大震災と未曾有の深刻な原発事故が生じた。一時は世界を制覇した大国が、1755年のリスボン大地震を経て次第に衰退し、小国へと姿を徐々に変化して今のポルトガルがある。それでも、光に照らし出されては影にうもれてゆくものの動き、また闇の中から聴こえてくる音のうごめきは、いつの世界も絶えまなく続く無常のなかで絶えず生成消滅している。ふたを開けてみれば、日本の時流を形成する日常的な固定的価値観は、政治やメディアのしつらえた見せかけのうえで成立しているにすぎなかった。日常に生きていると思っていても、内実の生は死んでいると言っても決して過言ではない。大地震と原発事故を経験したというのに、今の日本の姿、日本の追いかけているものはむなしく思え、生の実感は遠いところにある。力を失い小さな国となったポルトガルにいまも降り注いでいるあの強烈な光に匹敵するほどの、日本の昔から変わらない強烈な風土の根幹をなしている生とはいったい何なのだろう。そういうものをいま見つめ直さなくてはいけないと思う。

 最後にフェルナンド・ペソアについて書くのを忘れていたので、追記する。ペソアについては1990年代初めのころだったか偶然に名前を知って気になっていた。ペソア研究でも知られるイタリアの作家、アンニオ・タブッキの原作「インド夜想曲」が、アラン・コルノー(パスカル・キニャールの「めぐり逢う朝」をのちに映画化し、私はこの映画からも当時多大な影響を受けている)によって映画化され、映画館で3回ほどこの映画を見た。最近事故で亡くなってしまった友人の矢崎崇さんが、当時この映画を私にすすめてくれたのをいま鮮明に思い出している。この映画のなかで登場するペソアの詩の一部「人は二つの人生を生きる」という言葉にさらに特別に深く導かれて、日本語訳でペソアの詩集を買って味わっていた。のちに「ポルトガルの海」という題名の邦訳の詩集が刊行され、これをよく読んだ。ポルトガルの「サウダーデ」に匹敵するような身体的入り口は私のなかで何かということをはじめとして、ポルトガルの短い旅のなかで「私」ということについて、そしてペソアについて、写真を撮り、歩きながら考えていた。思うところは多々あるが、アルベルト・カイエロ、リカルド・レイス、アルヴァロ・デ・カンポスの異名を複数もつこの偉大な詩人について私が言葉で語ることに価値はないようにいま思われるので、この本からの一つの詩をここに転記させていただきたい。


  塩からい海よ お前の塩のなんと多くが
  ポルトガルの涙であることか
  我らがお前を渡ったため なんと多くの母親が涙を流し
  なんと多くの子が空しく祈ったことか
  お前を我らのものとするために 海よ
  なんと多くの許嫁がついに花嫁衣装を着られなかったことか

  それは意味あることであったか なにごとであれ 意味はあるのだ
  もし魂が卑小なるものでないかぎり
  ボハドールの岬を越えんと欲するならば
  悲痛もまた乗り越えなければならぬ
  神は海に危難と深淵をもうけた
  だが神が大空を映したのもまたこの海だ


(フェルナンド・ペソア『歴史は告げる』より。池上岑夫訳)


2013年6月5日に、当時を振り返って記す。