微 明(BIMEI) 写真展/コントラバスソロ
2007年11月17日~11月23日 ガレリアQ
● 個展内容
<展覧会用リリース>
老子は、「無為」を熟知した上での、微妙で思慮ある逆説的「為」を「微明」と呼んだ。現実はあまりに豊かで、世界は音に満ちている。シャッターを押すこと、音を出すこと ― 世界への微かな「為」。この基本の行為は、私の外部にある現実を聴き、その微小ながらも過剰な呼びかけに応ずるための実践としてある。過去、未来、存在することのできなかったものごとが「今、ここ」に呼び込まれる過程を担うものとして、写真と音を捉えること。そして、うまれなかった「有」にむけて、時の発露に立ち返ること。
<写真展示>
中国で撮影した2002年上海10枚と、1992年成都、我眉、楽山、広州から16枚の計26点を展示。大四つ切り、モノクロノーマルプリント。
<コントラバスソロ>
毎日同内容の演奏。
1曲目;バッハ無伴奏チェロソナタ2番よりアルマンド
2曲目;この個展のために自作した、コントラバスの開放弦、ガット弦を用いた「微明」
● 振り返って
この個展は、私と同年代で写真家であった、故・関美比古氏に促されるように、以前からずっとやらなければならないと思っていた。ガレリアQは彼が中心的なメンバーとなって始まったギャラリーで、彼の亡き後も様々な写真に携わる方々の努力で存続してきたギャラリーである。彼なくしては、この個展もありえなかっただろうことを、何よりもまず記しておきたい。そして、この小さな個展を終えて数ヶ月だが、私にとってこの機会は、写真と音楽、そして日常が密接に重なり合うために必要不可欠なものであった。ここに至るまでに、長い過程があった。導いてくださったすべての方々に感謝を申し上げたい。
写真はずいぶん前に撮った中国のものを展示したが、写真における生きた時間はどのようにして生まれ、視ることができるのか、ということが気になっていた。中国ということにこだわった訳ではなかったが、中国でくくってみて特に支障はなかったし、写真を始めた当初の自分の撮った、時間的にも空間的にも遠い写真が、今どう自分に映るかということにも興味があった。90年代の中国は、現在のような発展を遂げる前であり、随所に人々の素朴に生きる光景がみられた。そのような対象にも写真は助けられているが、写っている内容のみならず、写真そのものの力をいかにして付与できるか、それが問題だった。同時に、いかに今、東京に生きる私がこういった光景に出会えないかということも痛感した。
コントラバス演奏の方は、自作の曲に連続し、かつ対峙できるように、もう一曲は、自分からはるか遠くにあるバッハをやるのだと決めて練習した。演奏にむけての過程は写真の選択や並べ方に影響した。気づけば音楽の力は計り知れないものだった。毎日演奏をするという覚悟が定まり、厳しかったが、やるだけのことはやって臨んだ。演奏が良い日もあれば、すごく悪い日もあった。特に悪い日は後にひかないように、常に新たな気持ちで弾くようにした。仕事の日以外は、展示した写真を一日中ながめてから演奏に突入した。ギャラリーのメンバーである写真家の牟田さんは、演奏前や演奏後にいろいろと心ある細やかな配慮をして下さって、ありがたかった。
現代、日常の生の本当の実感が得られにくい状況にあると日頃から感じていた。それを取り戻すために、私は写真や音の本質的な力を借りなければならなかった。だからこの個展は、何かを表現するということではなく、外部の世界に頼るのでもなく、まず自分が生きるということがどういうことか、自己が世界に向きあうとはどういうことかを、音と写真を通じて、時間をかけて可能な限りつきつめて理解し、実践するためにあった。そのことによってのみ、自分を通じて何かが世界に開かれるのだという確信が、心のどこかにくすぶるようにあったからであり、達成させるためにはそれを信じることが必要だった。それが私にとって、生きることだった。そのために、かえって普段よりも私の日常それ自体がはるかに厳しく問われることとなった。写真や音を通して、その時々の自分の生を真摯に生き続けるということの困難さを思い知ったが、それが少しでもできなければやる価値がなかった。
個展への過程は、自分の行き着く先を追いかけて、展示した写真、バッハや自作の曲や楽器を通じて、自分がその時空間で場を創出し、音に生きる瞬間をいかにして体現できるか、その実現に向けての試練の連続だった。写真を見たり、バッハの音楽を聴くとき、空間と時間が同時に存在するという感覚を強く抱くことがある。それこそ世界そのものだと感じる、その感覚である。今、ここに過去と未来が一挙に去来するという感覚、この生きた実感が訪れる時を待つということを常に大事にしようと日々試みていた。だから個展までの数ヶ月の過程こそが重要な時間だったとも言える。
個展中のある日、それが体現されたと実感できる瞬間がおりてきた。思い込みなのだろうが、関君との再会のように感じられた。うれしかった。
今回の個展内容を言葉にすることは困難極まるのだが、「スプリング・マンハッタン」以来の約10年、どう生きたか、そしてどのように生きるのかという意味を込めて、その経験の本質的な部分をできる限り、言葉にしなければならないと思い、抽象的ではあるが、次頁に書き記した。個展が終わってからできるだけ丹念に文章にしてみると、今になって理解されることも多い。 そのような意味で、言葉にして書くということは、私にとってはとても大事なことだし、必要なことと感じる。 写真と音楽が、記した言葉にわずかながらでも近づき、また立ち戻ることのできるための一つの思考の端緒となればと思う。
思考の端緒 ー自己と世界、音と写真、生と死ー 「微明」によせて
写真は日常的「生」の時をとめる。今から約300年ほど前に生きたライプニッツは、「物質は瞬間的精神である」と言った。哲学的な解釈はできないが、私には、このイメージが写真につきまとっている。一枚の印画紙上の粒子という物質には、光の様態の瞬間の痕跡が刻まれている。写真は、瞬間を静止させ永遠に開く装置であると同時に、記憶を身体に内在化させる経路である。これが写真に特異な時間感覚をもたらす。
カメラの機械性だけに依拠して撮られた写真や、その写真を用いた視覚的表現は、私にはあまり興味がない。一方で、自己が写真を介して顕著に投影された写真もつまらない。カメラは自他の間にある機械であるから、自己表現としてではなく、単に自己を滅した機械性に頼るものとしてでもなく、それが両者の間を行き交う境界面にあるということから、私は写真を始めたい。 それには、まず、自己が多様な外界に呼応することのできる実体として、外部の世界へ、その世界の一部へと参画できる準備を整えなくてはならないだろう。自己にとって外部の世界があることが、同時に自己が世界の内部としてあることでなければならない。そうであるために、私はまず世界を聴くということを契機にしようと思う。そのことから始まって、音、そして写真というものを捉えたい。
世界を聴くことは大事だ。情報や記号的意味が氾濫する現代において、見ることが思考を迫る傾向が強まっているとすれば、聴くということは耳に、呼吸に、手に、より肉体に直結する感覚を残している。聴くこととは、 世界を身体を通じて受けとめることに通ずる。微かなざわめき、外部の現実、世界の底辺を繊細に聴く。それは思考の内部に吸収されて閉じることはない。脳の思考という一つの正義を凌駕し、身体的振動となり、柔らかな感受性をともなう身体の記憶となり、世界に身を開くこと、世界に身を委ねることにつながるだろう。
バッハを演奏するとき、バッハの空間を弾くことのなかに時間が自在に出現する。聴くことは音を意識することではない。意識された音はすでに音自体ではない。音を意識するのではなく、音を音として受け入れながら、バッハの空間に身を任せて、今の音の微細な変化に聴き入って音自体を持続する。そうしている自己の手は弓を介して弦の上を動き、呼吸は音と重なり、楽器が振動することを通じて、自己がその音に生きる。バッハの生きた時代の音の再現でもなければ、現代的な解釈でもない。音が一つの世界なのである。それは同時に、静止し、かつ、その都度新しく生まれ変わる動的な時空間となる。
ここにおいて音は自己の身体を通過した音なのであり、翻って、自己がバッハの作り出した時空に参画するためには、まず何よりも バッハを弾く身体そのものである自己の日常が問われる。それなくして、バッハのはじめの一音すら出すことはできない。その一音の手前にあるものこそが長い道程としてあるのである。外部の静寂と微かなざわめきを聴くことを思い起こさなければならない。そして、その静寂のなかにおいて発せられた始まりの一音なくして、最後の一音はなく、最後の一音の後の充実した静寂もない。それは生き方、倫理に通ずる。
バッハによって導かれた時空において、コントラバスの開放弦のみで、倍音の豊富なガット弦の微細でかつ多様な変化を聴きながら、音を持続させる。楽器、弦、弓、馬毛、松脂―これらの素材と手の運動という単純な枠組みの中に時を収斂させ、その音を聴くことによって、積み重なった身体の記憶が到来する。それは意識からたどられた記憶ではない。自己が形成された過去、関わった他者すべての記憶を蓄えた身体そのものが、音そのもの、音のわずかな変化に投射される。
その時空においてやっと生じることのできた、思いもよらなかった偶発的な音は、それまで待機されていた音であり、世界への呼びかけそのものである。それは過去に存在することのなかった、そして存在できなかったものごとや未来の到来を想起させる。それは、いわば意識された思考を介さない感受性、今ここに音が来たというその到来であり、今ここにあること、まさにそのことによって生起する。わずかな音色の変化を聴き取り、そこに身を委ねることこそ、来るべきものを迎え入れるだろう。
自己が音に生きているとき、音は一つの生きた世界となる。 世界の前で自己を表現し、新たな表現方法を見い出して世界に自己を対峙させるのとは逆に、自己が世界そのもののなかに生きることは、 世界の力を借りて自己を新たに創出し、かつ世界にその自己を委ねることによって可能となる。こうした自己の世界への参画の在り方は、写真というものを捉える際にもまた重要である。まさにこうした在り方は、一瞬一瞬を開き、かつ記憶を身体に内在化させる写真的時間に通ずるからである。
写真において私が大事に思うのは、それが生きた写真かという、まさにそのことである。今ここにおいて見ることを通じてシャッターを切り、世界の一瞬の様相を空間に定着させる写真。それは生を一瞬に凝縮させるための装置である。 日常的時間軸に抗し、物質的に時間を凝縮させることによって、過去、現在、未来を一挙に含み込むような、写真に特異な時間が生み出される。それは日常的時間を、いわば生きた永遠に開くことと言ってもよい。それが写真そのものの力であり、私の身体はその過程を担うものとしてある。
私にとって見ることは聴くことよりも一つの意識、ひいては思考となりやすい。意識され思考されたものに依拠して写真を撮るのではなく、見ることと撮ることが一致したという感覚をもつとき、カメラを覗く視線は身体とともにある。 写真は身体とともにある視線を介した出来事なのであり、私の眼を通じた身体的視線を伴うことが必要である。そして、そのようにして写し出された写真に、写真独自の生きた時間が到来することが多いのは、そのとき、自己が世界を創造しつつ、そこに参画しているからである。そのとき自己は世界そのもののなかに生きている。そして、そうして撮られた一枚の写真を視るとき、身体に蓄えられた多様な記憶が様々に投射されることによって、その視線は他の視線へと開かれ、写真はより動的な時空間へと開かれるだろう。その視線は、他者の視線へと変容されながら連結するといってもよい。
そのとき写真に写された事物は私に語りかけ、その声は、それらの事物を隅々に至るまで視るように私を促す。 生きた写真は自ずから語る。それは撮影者がそのときそこに生きたという出来事の、世界を介した照り返しなのであり、写真を視る者も写真に生きることができるのだ。そして語られた声なき声を聴くことのなかに、写真を視る倫理が生まれるだろう。その声は、視覚を通じた世界そのものの声である。
被写体がたとえ何であれ、生きた写真を撮ること、 それは、 非常に困難なことだが、自己の日常を常に新しく生きることのなかに生まれる。その生の影には、生を支える死が横たわっている。そして、死は生のなかに、忽然と立ち現れ、感じられるのだ。 写真に時として死のイメージが立ち上がるのは、そのためである。私には写真で死を表現することは不可能である。しかし、生きた写真の中に死は立ち上がる。生きた音、音楽が死者を、生まれなかった者たちを呼ぶように。
そして時に、死が現前する世界に置かれたとき、私は写真を撮ることができなくなる。死の前に、私の生自体が凝固し、私自身が永遠に開かれた時を経験するからだ。いわば、 そのとき私自身が写真となる。写真の究極的な倫理は、そのような生死の境界線のなかにあると感じる。影に支えられた光をいかにして救いとるか、そして、いかにして救いとることができないかが、私の身体に問われている。私にとって写真は、今、ここにあるということに始まり、このことによって立ち上がる生きた時空間としてある。
音を出すこと、シャッターを切ること、これらの基本的行為は、今、ここにおいて、自己が世界になる過程そのものとしてある。それは時の発露に、今に、ここに、常に立ち戻ることだ。
2008年3月3日に記す。