今日はたくさんの方々がこの「いずるば」に足を運んでくださっています。お一人お一人が、徹さんへの深いお気持ちをたずさえておられると思います。そして、すべての方々の心に、いまもなお、徹さんが生き続けておられる、そう強く想像しています。私もまた、たくさんの思い出がこの胸に去来し、交差する記憶の流れを抱きかかえる海のように、様々な思いが心のなかで複雑に溶け合い、うごめいています。
二十年前、私の写真展の会場で、ある友人が、私と徹さんをはじめて引き合わせてくださいました。そして数年間、私が駆け出しの医者の頃から、幡ヶ谷のご自宅にコントラバスのレッスンに通いました。徹さんと語り合い、ともに過ごした時間は、私のからだに刻み込まれ、私の血肉となっています。
あるレッスンで、「音はそう簡単に出せるものではない」という徹さんの言葉がきっかけとなって、私はある稀有な演奏を経験しました。夕方の微光のなか、あのとき無のなかに充満し、うごめいていた「音の命」を忘れることができません。
音というものが、自らの身体に問いかけ、ふだんは意識に上らない何ものかに導かれて、新たな自分自身を発見する契機となること、また音が鏡となって、私たち自身が自然の大いなる生死の循環において、太古からの命を受け継いでいる、そう自覚されてくること、そして音は、みえない歴史の内奥に立ち返り、死と生をつなぐ媒体であるということ。私はあのレッスンのなかで、そうしたことを感じ、死者が音に宿る、その現実を実体験したのだと思います。
自然の声に 十分に耳を傾け、雑念を離れて音を傾聴するとき、命の尊厳が深く感受され、一人一人の存在が、かけがえのないものであることに気づかされます。それぞれの命にそれぞれの形が宿っていること、存在の「かけがえのなさ」こそが、一人一人の個性といえるのではないか、そして、個々の存在は、「死」に支えられることによってはじめて、深い次元でつながることができるのではないか。その次元にこそ、他者への誠の敬意がはじめて芽生えるのではないだろうか。私が医者として生きていく上で、とても大切な問いを考えていく端緒を私は得ることができたのだと思います。あの日のレッスンは、私の人生を貫く教えであるのです。
映画監督、アンドレイ・タルコフスキーは、「芸術の目的は、 人間に死に対する準備をさせる事であり、人間の魂を開拓し、柔軟にし、人間が善に目を向けることを可能にすることにある。」と書いています。
「死」とは「無」に帰るプロセスであり、無とは存在の充溢であるからこそ、死は豊饒なる生を支え、過剰なるエネルギーと生きる力をうみだすものと私は想像します。そして芸術の本質は、死という豊穣な無の世界を、敏感に感知していくプロセスにあるように感じます。善と悪の矛盾に満ち、厳しい現実が露呈しているこの世界に生きていればこそ、芸術は、「死」を鋭敏に感じ取り、人間の小さく弱い魂に生死を超越した勇気と希望を与えるために、重要な役割を担っているのだと思います。
徹さんは、音楽はもとより様々な芸術のかたちを通じて、こうした人間存在のあり方や、生死に関わる根源的な問いを、この「いずるば」という場に投げかけ、癌と対峙しながら、真摯に、そして献身的にワークショップを実践されてきました。死を思い、癌という病をも、よりよく生きるための糧としながら、その苦しみを自らに受け入れ、人々をあたたかく見守り、人間の弱さにこそ宿る根源的な命のエネルギーを、見事に引き出してこられました。そして、新鮮な場を生成し、場を共振し共鳴させながら自他の境界を緩やかにほどき、一人一人の存在をひらきながら、その個性の出会いを通じて、人と人とを創造的につなげてきたのです。
齋藤徹という存在から放たれた波動は、私の想像をはるかに超える大きな人のつながりと人の輪を育て、命の尊厳に満ちた場をこれからも創造し続けていくのだと思います。
私はこの数年間、一人の医者として、そして若い友人として、徹さんの傍で、複雑な思いを抱えながらも、闘病の現実や揺れ動く徹さんの思いに、立ち会わせていただきました。医療もまた、芸術と同じように、その根元的な存在意義に立ち返る時期が来ているように思います。「弱さの力」を十分に引き出し、限りある命を支えていくという役割を、謙虚に果たしていかなくてはなりません。
ちょうど二年前の今日、私の友人の医師に徹さんの癌を摘出していただきました。徹さんの復活を象徴する七夕の日、ここに集うすべての方々の祈りが、徹さんに必ずや届くと確信しています。
徹さん、本当にありがとうございました。そして本当に、お疲れ様でした。心からの敬意とともに。
2019年7月7日
南谷洋策