白への回帰  Recurring time
1994年5月 大学にてグループ展



 「微明」を構成した1992年ころの中国の写真の後に、これらの写真は撮られた。

 この頃、 自分と他者との存在の隔たりを感じるようになっていた。自分と周囲にある「物質」、そして他の「生」との関係性について、内側に向かって考えていた。もちろん答えなどでるはずもなかったが、主に彫刻家のジャコメッティに関する本や資料を読みあさることから始まり、フロイトの精神分析や、レヴィナスの倫理学にまで関心は及んだ。

 大学にいて社会とはいわば隔絶された中で、これほどものごとを考えようとし、また考えることのできた時間はなかったが、一方で内面では、他なるものとの絶対的な隔絶感とそれとの融和への希望のはざまに揺れて、ある意味で非常に閉じた時を過ごしていたように思える。 写真はそのような自分が捉えられていると思う。

 23歳の私は、この飽和した状態からまっさらな状態にもう一度還るべく、そして白紙であると同時にあらゆるものごとの充満した「白」という色のもつ意味に導かれて、「白への回帰」と、今からすれば大袈裟なタイトルをつけて大学の学園祭で写真を展示した。それは自分のため以外の何ものでもなかったが、今振り返れば必要な過程だった。写真は大学の近辺から、山陰は山口県の出雲大社から秋吉台付近を撮影したものだが、15年後の今、このようには写真を撮ることはできないだろうし、ここにまとめておこうと思った。

 そのような内面を抱えながら、私は一方で農学部の林学という森林という生きた自然をあつかう学問に導かれていた。森林の実習は私という存在がいかに小さなものであるかを十分に思い知らせてくれた。とりわけ私にとって大事だったのは、林学の古田公人先生と話をさせていただいた時間だった。古田先生は、生きるということ、いかに学問はあるべきかという根本的な問題について惜しみなくお話しくださった。

 私がそこにいようがいまいが存在するものと私との関係性を、写真を通じて見つめてみたいという気持ちがあった。人の表情やしぐさを捉えるということよりも、ものがそこにあるという物質性に自覚的であろうとした私の視線の残余である。

2008年6月23日に、当時を振り返って記す。