熊野 kumano, japan 2010


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台風が来ていて風がすごく強い
日本の最たる特徴はその地理的位置であり
もたらされる四季の変化が
言語の様態や呼吸感にあまりにも大きく影響している
私はこの四季の変化というものの実感とその変化の過程が
大きな身体の基本となって身に付いてきているように思う
東京を離れて数年たち
四季の変化ということはたぶん
自分自身にとって最も必要な感覚の泉であり
最も自然に心と身体が楽しめるもののようだと思われてきている
じっとしているようでしていられない感覚
冬から春になるときの空気の変化、草の芽吹きのように
あまりはしゃがないで自然の次の変化を待っている
それだけでも充足できる
だがそれを突き破るものは何か
この台風のようにそういうようなことも
これからないはずがない
そういうふうにも思える

花鳥風月はそれ自体が繰り返す過程であり
毎年ごとの変化と差異を感じるための
動いている指標だ
音や写真に託すものが
ある指標とその変化を目的とする以前に
四季の変化の感じ方そのものから
そこに浮遊してくる音や景色のなかに身をおく
それは四季を表現することではなく
自ずからそこにある
時々のそのとき偶然生じている
毎年おなじような過程のなかにあって
だが複雑な差異の奇遇に満ちた四季に乗っかって
音と写真が浮き出てくるようなもの
その心地よさは
今やここという概念に縛られてもいず
必死になることも自由になろうとすることもない
無という境地もない
あるがままという規定からも離れるところに動いていくものごと
それが道元の「有時」
あるいは単に「今」ともいえるだろうか

結果として浮遊した音と写真は
人のあり方を自然のなかに結果として象徴するのであり
そこに人のおもしろさを発見する
その楽しさをもたらす
有名なヴィヴァルディの作品とはやはり対照的に
あらかじめ措定されたような四季の象徴を
音と写真が表現してもあまりおもしろさはなく
「四季」という題名の創造はとうてい完成できないだろう
私自身が四季の変化と同根であり同等でなければならない

この大きな災害後にいかに心を落ちつけるか
一つには方丈記を読むことだということは多くの人が思いつくかもしれない
私もその一人であのあまりにもうすっぺらい文庫本を読んでいるとじんとくる

方丈記は庵のなかでさとったような心でたんたんと書かれているが
平坦な書きっぷりのなかに
時々一気に花が開くように顔をのぞかせるその偉大なる機微は
子供のうたう歌の抑揚にも似ている
春のなかに冬のなごりをみて
夏の終わりに秋の気配をすぐさまに感じ取り
終わる夏を惜しんでいる
そのなかに突然この肉体を刺してふるえあがらせた蜂の針のごとく
はっとしてある災害がふってきては
ただただ川の一点をずっと見つめながら
ただれふくれあがった皮膚と静かに対峙してもいる
川縁でせせらぎの音の微細な変化を聴きながら
生きることの苦難な時代を
言葉に見事に写し取っている
とはいえ私はさいごに悟りをすべて拒絶するような最後の吐いて捨てたような一言が
最も好きなところだ

こんなふうにして方丈記の出だしのように
昨日の言葉はもはや今日の言葉ではなく
書かれたことははじめの思いと異なる方向にいくこともしばしばだが
それこそが四季の移ろいであり運動としての変化
今を生きているということ
そうしてみると方丈記ひとつとっても
その背景にはあまりにもおおくの出来事と言葉があることは明らかだ

イイカゲンに変化に任せて書くのではなく
よい加減に世界に加えることと世界から減ずることの機微のなかで
確かにそこにあってそれでいておぼろげに浮かんだ運動をしている
蛍のようにその軌道は定まらず、だが大きく歪みもしない
秋のおとずれのごとく夏の終わりに私は今いるということを
ともかく感じている
鴨長明の方丈のように音を出すのは難しいようで簡単なようで言葉を書くのとおなじようで
実践しだすと終わらないだろう

それにしても今年はあまりにも暑く長い長い夏だった
蟻の大群を目の当たりにすると
生きているということがあまりにも巨大な
計り知ることのとうていできないような力に満ちている
無意識の大きさといってみてもそれでもまったく足りない
そういう事実にもうただただ己が驚愕する
まど・みちおさんの百歳の言葉も
読んでみると本当に実感がこもっている言葉なのだと
この私にもわかってきたような気がする

己から離脱せよ、離脱からも離脱せよというエックハルトの言は
飛躍すれば道元の根本的な何かにも通ずるように思う
とうてい自覚できないその欲望の大きさのなかに己を浸しきってみよ
蟻の大群の住処におきているマグマのような力の塊を
蟻塚の巣のなかにまるで己が入ったかのごとく生きよ
生の苛烈な場所に生じているものごとに触れよ
そうした生の計り知れない巨大な運動の
ちょうど対偶に位置するかのごとく
ひどく近くていながらにして
静寂が沈黙によって破られるところに
無限の遠方から秘そやかに
だが一筋の強烈な光とともに発露されてくるような
ひたひたとしていながらあまりにも速いような
教えの言葉として
エックハルトはいまここの風に響く