瀬戸 seto(2)2010

Pasted Graphic 34

身体の節目 年齢の変わり目を意識せざるをえなくなった 今年に入って少しずつからだを意識的に動かすようにして 近所の市民プールで毎日水泳などしている 

簡単には読み進められないが 道元の影響は大きい より自由であればあるほどつまずく言葉 はじめからわかっていたことだがともかく読み始めた またまとまらないとりとめもないこと 最近のメモ書きから

内部の変化は深い沈黙をもたらす 沈黙のなか身体が歩む 禅は沈黙の言葉による苛烈な対話ともいえるのか お前は「空」のなんたるかを知ろうとするのではなく 「空」の対偶でありつづけよ すなわち己の言葉を聴け そのために身体のいまあるべき姿を思え からだに気をつかえ お前の生活を根本からあらためよ 

己をみつめ ききとるための 鏡としての道元 沈黙の何たるか 己の言葉がみつかれば 生きるための軸ができるか 自らの一切を微々たりとも特権化せず 道に従うこと 悟らない悟り 黙らない沈黙 言葉の一面は 感覚の論理によって支えられる 

伝統が本質的に創造に等しいという場所よりも もう少し奥底にある何か その場で言葉が生きたとき 己ではない場所から己の言葉がきこえだす 仏とは一体何者であるか 悉有とは一体何か 知識では到底わからない 身体を鍛えることによって紡がれる言葉のほか 信じることはできないのか 言葉のまわりの言葉

自らの耳をよりひらいていく どのような音をきくかよりも そこにあるがままの音を どのように聴いているかに いつも自らの心を寄せる その態度が本当であれば 自らの音によって己を照らさずとも 道がわかるだろうと 壁に反射する様々な音のかけらの残響に心を傾けながら そう不意に想うこともしばしばある 銭湯の残響 沈黙の音

演奏するかしないか瀬戸際の 音を出すところに入っていくときの身体 そのとき沈黙の言葉が要る そのために 己の対偶としての言葉をみいだし 己に聴き取る あ ああ あああ というように発音する大本は何か どうやって発音してしゃべり始めるのか 意味の前の言葉の本質とはどうあるのか いずれは空海へと 高野山へとまた向かうように 人生という幅の時間をこれからかけていくこと

生きているということはすなわち いかなる状態にあろうとも 生のノイズによって音を出しているということ 絶対無という事態により実体のない確実性を帯びるという あからさまな矛盾とともにあること 立証的態度の裏 感情ということの対偶 感覚的論理 言葉の影を縁取るように まわりで象る言葉 沈黙とは満ちた言葉であるという断定への 自発的問い 自発性それ自体のなかに潜むものは何か

犬の足音 小鳥のなき声 竹のきしむ音 赤ん坊の声 泳ぐ手にまとわりつく泡の音 全てが膨大でとどまるところのない音楽 音の出し方と音の聴き方を己の内外においてたえず求める 固定しない言葉 川の蛇行のような空間の余韻 息の響く時間 音のなか流れる沈黙 音の聴こえない時の密度を感じながら

耳が塞がれても体内の振動と震えを感じ 命に生きていると知れば この手が剥奪されても何かを弾くことができるだろうか そこに入りそこからも離れて それでも楽器を弾くという行為に戻ることができるか 道元はそういう場所にいながらして あれこれしゃべっていると感ずる この感覚はなぜ生ずるのか

全てが手段であれば特別な手段はなにもない 無理のないからだの力は要るが その他の力は要らない 身体に忠実になる場は 中枢と末梢の区別なき混沌 身体の言葉 沈黙の言葉に於ける場 私の 私の身体の生まれる前の何か 迷うことのありえない場所へと 知らぬ間にむかっていること

身体を鍛えるとは ゆがんだ心をまっすぐにし 姿勢を正すこと 脱力するのでもなく 無理な力をかけずになにか大きな力動をもたらす 泳ぐこと一つのなかにも沈黙の理 感覚の論理が見いだせると気づきつつも そこから離れてただからだに任せて泳ぐ そうしているなかに浮かび上がる何ものかが またどこかへ導く 行き先もなく繰り返す往復の深まり

五感から入った情報が中枢から末梢へのシナプスの連絡をとり 手がそれに従うような末梢としての技術が磨かれる そうしたあり方では手の拡張はできても つくったり発動したりすることはできない つくることは 人間が人間をみつめるとき 避けて通れない道 変化と創造ということがら自体が その働きによって 人間の自然に人間をみつめさせる

身体の内部の揺れが そのまま末梢に連動し 中枢は内部を包むように 発現してくる心の揺れのバランスをとる 中枢は控えめに働き 中庸と均衡をもたらす こうして自然と動く世界では 単純なこと バランスのなかにいればいるいるほど 変化が大きくあらわれやすい 時空にみえない偏りがあることに気づきやすい 故意に変化させればそれだけとらわれ 本質的で大きな変化がみえなくなる 単純な自然こそ複雑性に満ちている なるべくいじらないこと どのような状況であれ生活自体を大事にしていること

手によって心と身体を拡張するのではなく 有機的につながっている心と身体の混沌に沈黙を感じ その沈黙の言葉を手に受け止めるための 内的な知恵をこの手に帰すことができるか みえないこの技術は 言葉の沈黙と循環し螺旋を描くように上下する

言葉の身体の深化 言葉の沈黙のために 意思をまきこんだ人間の自然にしたがって 水をつかむこと 土をつかむこと 雪をつかむこと 手で書くことから ただ変化する場所へと向かうことができるか 

このような消極性と積極性のあいだにある そのどちらでもない存在を貫く態度として 楽器ということ 演奏ということを己に自ずから位置づけられるか 自然を変化そのものとして手に受けることは本当にできるのか そうしたときふたたび弾くことができるかもしれない