cordova, spain 2008

shapeimage_1-145

「今・ここ」に音がきた
まさにそうでないと即興はできない
と言い切ったら違うだろうか
あらかじめ即興を「しよう」として場に立つと
もはや音が出せないというような感覚におそわれる

音の出る直前が最も大事だと知る
直前といってもいろいろな時間の長さがある
これまで生きた時間すべてといってもいいし
十分の一秒前といってもいい
外側から区切られた時間ではなく
遠くから近くに
ここにやってくるような時間
その時間のすべてが「今」と
名付けうるかもしれない

今は今しかなく
今は過ぎ去るということ
そういう現実も
どうしようもなく知って生きてきた
今はいつなのかということ
今を本当に感じることができるならば
今は今といってもよいかもしれない
その今を大切にするために
そのための必然があるか
その必然こそが偶然を呼ぶ
偶然は必然を形作る

あるのは
そのような「今」
私が私であって私でないのと同じく
今は今であって今ではない
「今」といったときそれは
そうであるがゆえに広大な領域を示している
そして今は「今」となることで解き放たれ
時間をさまよう

さらに「ここ」は「今」を含んでいるのか
それとも「今」が「ここ」を創出するのか
それは私とどうかかわるのか

そしてそのような音が出るその直前という
一つの曲がりくねった時間を内包する箱
はっきり指し示すことのできない
その箱を「ここ」といってもよいだろうか
(それは楽器といってもよいのではないか)
「ここ」へとやってくる
曲がりくねった時間の襞を
身体の奥底に感じること

だが身体が「ここ」にあるということが
まだ私にとって疑うことのできないものとしてある
「ここ」がまだ動かないで居座っているという感じが

楽器を弾くこの手まで含めて
「ここ」が「ここ」であって
なおかつ「ここ」から解き放たれるまでになるには
これから先さらなる鍛錬が必要となるだろう
「ここ」が「ここ」であって「ここ」ではない
ということは私にはまだ言えない
それはつまり私に
音を出すための基礎的な経験が足りないということ

その箱の空間を持続しつつ
音そして音そして音
音から音へとわたり
空間はいつのまにか変化しているような
音の行方

そうした即興は自ずから
即興であることから
一つの形へと移行していく場合があるということ
偶然が一つの必然へとなり必然が形となりうること
その形には密度の高い砂粒が無限につまっているから
その形から一つの砂を探り当てようとすることもまた
無限の探求となる
そのような相互的な偶然と必然=即興と形

あるいは一つのあらかじめ用意された望ましい形のまえに
その形に向かって即興をすると
そのときどきの形の色が見えやすくなるということ

そうした即興のあり方の糸口も垣間見える

そうした点をふまえて
音という媒介を通じて
奏者と聴くものが
ともに多様な息をする場を大事に
存在に聴いて記憶の結晶としての音のあらわれを聴くこと
そういう場の形成はめったに可能にはならないけれど
そこへと向かってみること

見せ物や聴かせ物ではなく
音が純粋な媒介となり
何かしらの対話を開くこと
音を誰かがつかんで占拠してしまわないように
場を形成し
音を放つこと