熊野 kumano(2) 2010

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方丈記になぜかはまっている
何回かむかし読んだことはあるが
これほどは、はじめて

写真は現実が降りかかってくると同時に選びとるもの
偶然と必然の境目に生ずるもの
岡本太郎は写真を偶然を偶然でつかまえて必然化するものといったが
必然化するといったとき撮影者や編集者の世界に対する一つの態度が生まれるだろう
その態度に見る者が共感したり共感できなかったりする以上に
写真は写されれば撮影者の意図を超えて
それぞれの立場をすでに超えて存在している
したがって数十年もたてばどのような写真も時間の重みをそれぞれがたずさえるのだが
その時間の蓄積の重みを選ぶ側が感じているかどうか
またそれをどのように感じているかがその時点での人間性そのものであるだろう
いかに個性的か、概念的に新しいかよりもいかなる態度をもっているかであり
それがごくふつうの写真である限り
その態度が時間の厚みに裏打ちされているかどうかが問われている
経験の厚みと想像力を基盤とした写真への姿勢が問われているだろう

これと同時に写真を写真としてみていく態度
写真の根をなしている力
すなわち現前する世界のリアリティに対して謙虚になり
ものごと、そして世界の光に対して身を投じつつ身をわきまえることだ
なかなかむずかしいがそうして写真の力を引き出していくことが
一つの最低限の責任であろうとおもう
写真の実践のなかで培うことはこのようにきわめて個人的であり
また写真であることによって不変であり普遍的である

方丈記についてどこかでおもっているのは
方丈記はこのような写真と似て
一文一文がそのほとんどについて鮮烈なイメージを抱かせる徹底されたリアリズムに貫かれており
また経験的実証主義とも言える医学的な態度を持ち合わせ
さらに繰り返されるずれをはらんだ言葉の音楽的運動をも内包していることに気づく
それでもって時間の重なりと厚みが凝縮され
何世紀後のこのいまの世界にも生きてあらわれるのだろうか
私にとってはこの点において三つの価値が結実されている規範的文章と言える
これは一つの詩の極みであるといってよいのではないかともおもえてくる

私がこの三つの行為において現在このブログのように言葉を必要とするのは
第一義的に自らの臨床態度や写真や音を主張し説明するものではなく
言葉によって自らの世界に対する根本的態度を広げ深めることであり
本来その結実と世界との交差点に不断に生じるものが
名付けられようのない私の診療でありだす音であり撮る写真であるべきである
だがそれでもなお
世界は常に絶え間ない明滅を繰り返し未来は絶えず降ってくる
そのなかに私の態度自体はいったん溶け込み
他者との関連性のなかで再び選びとられていく
そうした抜き差しならない今を
身をもって持続していくこと以外にない
そうして毎日の臨床で学ぶことは四季の季節感のように
我が身に知らず知らず血肉化している
診療することにおいてどうしても避けられない大事なことは
否応なく他者にふれるという経験なのだ
その場所、他者と交差する場所においてこそ
言葉が外へ向かうような態度が必要とされるのだ
それは論理でもあり情感でもあり経験的でもある言葉

言葉の内なる限定力、内省する力よりも
言葉による外への力の運動を引き出すこと
詩というものはその本質がまだよく私にはわからないが
どちらかといえばそういう言葉の力を本質とするのだろうか
こうしてみると善し悪しは別としても、たとえば思想書をかじったとき
詩的な論考とそうでない論考の質の差は大きい

ロゴスとパトスの境界に位置するもの
偶然と必然の境界をさまようもの
ゆく河の流れ
人の行き交い
それ自体が動く境界という運動から個々をながめることは
固定化した内省的(自家中毒的であることも非常に多いのだが)視点をもつことではなく
詩という言葉の力
その結実された外への運動を通じて
この現実を渡り歩いていくような
歩きながら世界の音を聴く経験
現実をみながら写真を撮り歩く経験とも似た
不断に更新される世界に対する態度を導くかもしれない
それを皮相的に再構築することもない
方丈記にも内包されているように
悟りをさとらないような態度に通ずるだろう

方丈記のかの有名な出だしは何度もよんでいると
観念の比喩ではなく
まさに鴨長明の見た経験的事実の
言葉による完璧なまでの見事な写実なのだと
それも突如として生まれ
さらに練り上げられ無駄を省いているのだと
そのようにじわじわと想像されてくるのがたまらない
それは無常観というような一言ではすまされない
それが詩の本質なのだ、というような
言葉のリアリティに身が震える
そこから詩という実体が浮かんでは静かな闇に沈むのだ

ふと気づけばもう真夜中
風とすず虫の音がする 
紀伊をおそった台風のことをおもう