málaga(4), spain 2008

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バッハを繰り返し練習していてメモと反省。身体を労ることを怠らない程度に。まずは楽器を弾くこと。そうでなければ何も始まらない。

楽器を弾いてうまくいかなかいときにこそ、次なる段階が待っている。それは突然開けるから、何がどうあれすぐにあきらめない忍耐力は必要かもしれない。下手でも良いということではいけないが、うまく弾こうと思わなくともよい。いやうまく弾こうとすることのなかに大きな落とし穴があるといっても過言ではない。それでうまく弾けるようになったと思い込むくらいなら、下手であっても私が生きている内実をともなう方がよい。

音と音の真のつながりは音を聴くことのなかに生まれ、それは身体へと直結していく。そう書いてしまえば単純なことのようだけれど、大事なことを含んでいる。

音を流してはいけない。流している音のなかには自分の無意識があるのは確かだが、無意識を意識化するレベル、これはまだまだ浅いレベルなのだ。それに固執してしまうことも全く違う。

そんなレベルもやりすごしてまず音を流さないこと。流さないことのなかに(私の)問題点が浮き彫りにされる。それは楽器を弾く身体技術の問題点なのであって、意識無意識の問題ではない。できないことは閉じ込められやすい。できないこと、不可能なことを開放してやる技術が必要なのだ。それは「知の技法」ではなく、いわば「身体の技法」だ。