筋目書き(四十)雨月7 白峯の音楽

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下呂 gero(25), 2012





草枕はるけき旅路の労にもあらで観念修行の便せし庵なりけり。




雨月物語 白峯



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筋目書き(四十) 雨月7 ー白峯の音楽ー



 
 「<言葉には拒まれているものへと至る>…言葉なきもののこの圏域が語りえぬほどに純粋な夜のなかにみずからを開示するところにのみ、言葉と心をとらえる行為とのあいだに魔術的な火花が飛び交い、そのときそこには、言葉と行為というこの同じように現実的なものの一致があります。言葉たちが最も内奥の沈黙という核のなかへ入り込んでゆく、その内部集中的な方向だけが、真の作用をもつに至ります。W・ベンヤミン『マルティン・ブーバーに書いた手紙』」


 白峯はまだそれとは知らされぬ西行の枕詞の、いわば言葉の遊びからはじまるが、この言葉の遊びは西行の停泊から一転して、西行の修行という行為へ、さらには西行の内部へと入っていく。西行は一転、旅の疲労を癒すためにではなく「観念修行」のために足をここにとめたのだ。その場所で西行は何の気配を感じたのか。あたりに響きわたる崇徳院の、音のない声なき声に導かれたのか。西行の観念修行の背景には、崇徳院の沈黙の声があった。西行はその沈黙の核から生じた声のあまねく音楽を感じ取って聴いたのだろう。

 言葉が「最も内奥の沈黙という核」を示すとき、その言葉は歌として、より広く言えばそれに旋律がついていなくとも、形式がいかにあろうと、声のあらわれ、音楽として、やがて沈黙が音となってあらわれてくるのではないだろうか。そのあらわれこそが崇徳院を呼び出した西行の歌の声である。<松山の浪のけしきはかはらじをかたなく君はなりまさりけり>ーこの歌こそ「白峯の音楽」なのだ。ベンヤミンは、「己自身を通してのみ、言葉自身の純粋さを通してのみ、真の言葉の作用、つまり言葉には拒まれているものへと至ることができる」と言う。崇徳院の亡霊は、西行の観念修行による西行自身の言葉の歌の純粋さによってこそ呼び出された。崇徳院の亡霊は、「言葉には拒まれているもの」の象徴であると言える。

 白峯に書かれたすべての言葉の断片において世界の側にある何かを引き寄せては引き出すことができるだろうし、その発見的行為こそが必要なプロセスだろう。白峯において「現」という音楽、「夢」という音楽、というように、「声」という音楽もあるだろう。このように白峯を言葉で味わい尽くす、限りを尽くして通過するのだとすれば、「白峯の夢」、「白峯の現」、「白峯の核心」、「白峯の影」、「白峯の声」…これと同じ水準で「白峯の音楽」というものがある。すなわちそれは西行の歌をうたうこと、そのことだ。

 そして、西行が立ち止まって崇徳院の声なき声をきいたように、白峯を様々な身体的側面から横切っていくその象徴的な言葉たち(現、夢、核心、影、声、音楽…)の裏側にある沈黙に耳を傾け、語られた言葉たちと同期するように、音を紡いでゆくということは、音楽というものがいかに巨大なところに場所をもっているかということを逆照射するだろう。

 白峯からはいくつもの言葉における沈黙の襞は、このようにしてあらわれるから、それに応じた音のあらわれ、音楽が紡がれる。「白峯」が総合的に表現された音楽を創作しようとするのではなく、音楽といまよばれているものを、白峯において自らの内側で沈黙という核から捉え返し、各々の必然的なキーとなっている言葉の裏側に存する沈黙を聴きながら、白峯を照らし返すようにこれを音にしていく行為。白峯は言葉によって切断され、その言葉に逆照射されながら異なった姿へと変貌する。そのプロセスを音楽においてあらわすことができるかもしれない。これによって、言葉のあらわれた沈黙の襞に沿った形式と方法、さらに演奏という行為をそれぞれの襞に、その襞ごとに対置していくような音のプロセスがみえてきたようだ。これは一つの白峯を借りた、音楽そのものへの問いから生じた断片の音楽であり、「音楽とは何かを問う音楽」そういう音楽の一つの方法となりうるのではないだろうか。

 禅が何かのための目的に対する手段ではないように、手段として自律機能し、自己増幅してゆかない断片的な言葉の繰り返しとその音楽。楽譜は縦書きの言葉、それも音のあらわれのきっかけとしての。白峯から感知した何らかの世界からの声として、何らかの言葉をその切り口から書いては、象徴的な言葉の裏側の沈黙と、その言葉の余韻を一回一回、音に紡いでゆく、そういう音楽。言葉と音楽という行為、それらの一致を夢見て。



●勤務先のすぐ近くに、その名も『音楽寺』という寺があって、そこに円空が安置されていると知ってはいた。気になっていたのに、どうして気になるのかがどうしてもわからなかった。だから気にしながら放っておいた。しかし今回、わかった気がする。

たまたま行われていた上野での円空展も、仕事のついでもあってみてきた。何万体という数は伝説かもしれないが、それだけの声を宿した円空の厳しさと微笑みのなか、静かに立ちすくんだ。一つ一つが小さくても大きくても、それぞれが何らかの声としてあり、それは一つ一つ音楽だった。

打蓋(うちおおう) 三世の仏の 母なれや 糸一すじも 捨てやらぬ世に(円空)

「糸一すじ」、音ひとつにも捨ててはならない個々の人間の沈黙がある。それらを、安易にまとまった一つの声にして昇華させてはならないように思う。そういう声を束ねるための詩と旋律は、音楽と果たして呼べるのか。そういう問いがわいてくるのだった。何かの表現でも情の昇華でもないような音楽は、今、音楽について問うことそのもののうちにあるように思える。音楽とは何かを問うための音楽もあってよいはずだ。

円空は、個々の声を束ねて一つに昇華させるのではなく、個々の声をそれぞれに聴いて彫って形にした。裏返せば、それらをそれぞれに照らし出す、権力とは相容れない「法」のような巨大なもののなかに円空は生きているのだ。この場合、法とは円空において仏道であり、いま、個々の声を昇華し、励まし、希望をあたえるために歌われるときに使われる「音楽」と呼ばれるような範疇のなかにはないだろう。音楽とは、見えず、聞こえないほどに大きな場にあるものではないだろうか。音楽への畏れは、人間への畏れと同じ意義を持っているだろう。人間への畏れが深いほど、自然への畏れ、そして音楽への畏れも深くなるだろう。

イクタビモ タヘテモ立エウ法のミチ 九十六億 スエノヨマデモ(円空)

弥勒菩薩は未来仏で、釈迦の入滅後、五十六億七千万年を経てこの世に出現し、竜樹樹のもとで三会の説法を行い、初回では九十六億人がそれを聞いて悟りを開くという。壮絶にして壮大な思想だが、いく度でも立ち上がる復活の願いがこの円空のうたには込められているのだろうか。その声は、時代をこえて鳴り止まない畏れる音楽である。いま安易に音楽と呼ばれているような音楽は、言ってみればそういう法、掟としての音楽の中の、ほんのわずかな一部に過ぎないだろうし、その法は少なくとも意識的には忘却されているだろう。

円空をみていると、音楽のなかの音楽について考え、いまの音楽そのものを捉えなおさなければならない必要性を感じる。円空の声は巨大な魚の声のようでもあり、一回一回、個々に響きだしてくる具体的な声でもある。これを書いている夜中、強烈な風がずっと吹いていた。あの風の声と、風が個々の事物にあたるときに発せられる数多ある音色こそが、求めているものなのだ。