筋目書き(二十六)

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有情は無情の際に立ち上る。主情としてのことばはそのあいだにある。「方丈記」にみられる基調は此岸の写真的ともいえる無情世界、だが文体は音楽的で言葉に織り込まれた音の律動を通じて彼岸の時間的軌道、無常を同時に生きる。書き言葉の鍛えられた推敲の上についには言葉への恐るべき諦念によって彼岸への道は断ち切られるが、そのプロセスとしての書き言葉の存在性によって起立した余韻の沈黙のなか、逆説的にも書かれた言葉が永遠に生き続ける。吐き捨てられることでプロセス自体の存在性が際立つ二度と戻らない言葉。対して「雨月物語」の底に聴かれる基調は彼岸の幻想空間としての音楽的世界、だが文体はむしろ写真的なリアルさを徹した話し言葉の息に依って立ち、間近に接しながら浮遊してくる写実空間が身体に乱れ入って幻想的彼岸へと転化する。冷徹でそぎ落とされた言葉の切迫性がそのまま此岸と彼岸の静寂、畏れと狂気に直結し、終わりが再び物語のはじまりでもある有情の永劫回帰する言葉。幻想と同時的に現実は存在しだす、だから非現実こそ現実の化体であり正体でさえあって現実のなかの物事的記録をこえた多様な存在性をみなければ人間精神の機微はあらわれてこない。いまなお長明や秋成の言葉のように、近代に生まれた写真は現実の静止した映像の痕跡、リアリティの所在を事物の余韻に写すプロセス、音楽はみえないものの語りを聴く場、主客に聴いて主客が一過同時的にこの幻想現実の場に入り込むプロセスが問いかける経験。何かのことばを自他に目覚めさせ呼び込むための音と写真、そのことばを磨くことで音と写真の際に立ってくる言葉の軌跡。写真と本文へ… to photo and read more…