筋目書き(三十八)雨月5 白峯の影

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京都 kyoto, 2011





月は出でしかど、茂きがもとは影をもらさねば、
あやなき闇にうらぶれて、眠るともなきに、
まさしく「円位円位」とよぶ声す。




雨月物語 白峯



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筋目書き(三十八) 雨月5 ー白峯の影ー


 

 身体の影で身体を支えている白峯。熊野の沈黙と風の告示は、写真と音楽の脇道に映され響きだすものに、それらの古道の光と音が見え隠れする白峯の影としてある。いまここで、その白峯の影を通過しながら旅をしている。何かの影を通過しているとき、そのとき通過しているというそのことと、まわりの光と音が目覚めのなかに開かれて感じられて、変化していくだけだ。ベンヤミンならパサージュであり、追想と目覚めの弁証法だろう。「夢の迅速さと強度[内的集中性]をもって心のなかで、在ったものを初めから終わりまで味わいつくす[くぐり抜ける]こと、その目的は、そのようにして現在を覚醒している世界として経験することであって、結局のところあらゆる夢は覚醒している世界に関わるのだ(W・ベンヤミン)」。雨月にひっかかり、ここにみちびかれて、「白峯」という行為にみえてきたのは、おおよそこのことだろう。これを方法とはいえないが、ある動きの方向をなしている。

 道元なら
「先ず須く無常を念ふべし。一期は夢の如し、光陰移り易く、露の命は待ちがたうして、明くるを知らぬならひなれば、ただ暫くも存したる程、聊かの事につけても、人の為によく、仏意に順はんと思ふべきなり『正法眼蔵随聞記』」。具体化し方法を見据えてから行為しようとしても、それでは当の行為にとっては遅すぎるし到底収まり切らないために即興的ではあるが、即興という方法の陥りやすい場にはゆかない、それでいて行為すれば具体になる、そのように集中しながら白峯の影をくぐり抜けていくことで、その影から輪郭があらわになるもの。それはもはや白峯ではないだろう。けれど、分析や方法に縛られず、かといって考えなしに何でもよいわけでも無論なく、何かの方法をまったく探さないわけでもなく、生死を思想することの夢の枯れたような感覚をのこして、白峯の音と光の影を追いながらその周辺をうろついた足跡だけが音と写真に残される、そういうあり方があるはずだ。時代と場所の直接的表現では言い切れないものがある。だから秋成を借りたりしてまず時代と場所から離れる移民となる必要が生じるのだが、そこに暴力性をともなう誤ったベクトルにはいかず、個性というものやこの世間というものとのある種の違和、それらと距離のある足取りと足跡によって、当の時代と場所のありうべき道が迂回路のなかに逆説として示され、浮かび上がらなければならないだろう。生きている身体は時間と場所を逃れられない、だからそのことから離れた場所で、即ち死からいまの生をみつめる重さをもち、そこに浮かぶしかない。そしてそれは発見的練習を自らに課して、夢から身を引き剥がすように持続していくことによってしかできないだろう。良寛の書の、とうてい書家の「書」らしくない、いわく言いがたい、知ろうとすれば知るほどこちら側が良寛から問いかけられてくる、あの時空を超越した書の姿がそのあり方だろう。あるいは芭蕉の辞世の句ともいわれる、あの枯れ野の夢のなかにただようもの。

 「円位、円位」という崇徳院の西行への呼び声、その追想のなかに目覚める時、この言葉が音と写真に血肉化されていくプロセスのなかにあると身体に感じられる。この場面の変わり目の音は、静的な固定面のフラッシュバックが閃光のように眼前を次々と速く駆け巡りながら、あたりは全くの沈黙に囲まれている。感覚だけが残されるようなすばやい書き散らしが、真の沈黙を誘うことがある。沈黙は感ずることの余韻に生じていて、感じられたものはもう追想の彼方。目覚めすらこのときもうなくなっている。ここをこうする、あそこをおああするという暇は、もはや行為においてはなく、即興的といっている暇すらも。だから読み込むこと。聞き取ること。音と写真は科学的観測によって予期されないくらい微小微弱な隕石のようだ。沈黙は、隕石の衝突という生物時空の小さな覚醒にもうまれている。だから沈黙はその都度、言葉だ。「円位、円位」とよぶ声をその声の発せられた場の客観的描写が囲むとき、声は沈黙のなかに際立って、テクストのなかでその声の存在を彫るように浮かび上がる。声は音がするだけのものではなく、呼びかけと応答のなかに生きる。テクストと写真、テクストと音はちがうが、音を静止した写真の映像が囲む、あるいは写真と写真のあいだの音についておもうとき、文学やテクストではない実践において、沈黙の呼び声と応答が写真と音楽を媒介するだろう。

 そしてたとえば、削ぎ落とされた明恵上人の耳にきこえるもの。夢は(そして覚醒の時、現実も)視覚と聴覚をこえている。「白峯」という完全な(それでも自由は逃げてゆかない)夢の創造と、明恵上人「あかあかやあかあかあかやあかあかやあかあかあかやあかあかや月」の枯野の夢、その対比においてあらわれるもの。あるいは風と月、道元と良寛の対比。フェルナンド・ペソアの二つの時間の対比。音楽的な夢から写真的現実が産み落とされ、すべてが一瞬に凝縮されるのをみるボルヘス『永遠の歴史』のような身体と、世界の音楽的な横滑りと死の写真的痕跡から派生していくゼーバルト『土星の環』のような身体との対比。そこにあるものと、別の様態であるものの対比を通じて、夢と現実のあいだにおいてイメージされるものをさがしながら彼らの影を通過していく行為。私というものはみえず、またみない。ある限定された水準において、私はそこにあらわれているだけだ。私という外部性と他者という内部性のあいだ、そのあいだとは何かという問いを主眼とするのが思想であるとしても、それを通過して動いていくものは行為においてしかない。とすれば言葉の行為は断片的になるだろう、それが沈黙を誘い、その沈黙から音と写真が一回一回あらわれる。それが筋目書きのプロセス。

 こうして白峯を通過し微かに残されているイメージの瓦礫をわずかだけ先行させて、もとよりほとんどない時間のなかで白峯を行為しようとしているのは一体なぜなのだろう。そしてこのような無意味にも思える日記をなぜつけている、つけなければならないのか。たとえ絶望のなかにもひとかけらの魂があるからであり、それが人間の古層につながっているからだろう。主体は私ではない、というのはもはや自明の時代に生きている。ベンヤミンは約一世紀前にすでに、書くときに「私」という言葉を禁じていた。白峯のどこかにちかづいては、意識がその場所と重なりながらも次第にそれるように離れていき、またもどる往復の最中にあらわれるものを撮り、弾いていると、たとえば楽譜は縦書きの言葉であり、写真の写す現実の古層がある、そのような意識に立たされる。宮本常一の写真を再度みてみよう。鴨長明が鎌倉仏教の彼岸性と超越性への反動であるかのように描いた方丈記の質感のような、日本の古層にふれる此岸の具体を写す写真の断片のなかに、不意にあらわれる夢の原始音。写真が現のなかの闇なら、音楽は夢のなかの光。ガット弦の可能性、自発的振動について、もう一度感覚してみよう。世界の視覚的分解と聴覚的統合、その再統合と脱構築、そうした認識方法から離脱した場所から世界をその都度、すばやく捉えられるか。一枚一枚、一音一音の断片的持続のなかに意識されるものが、身体的古層をさぐりあてていくプロセスによって、鳴っているあらゆる音が技術の積み重ねとその一回性であって、なお技術からはなれている場所に聴こえ続ける死者の唸り、あるいは人間の声に近づく、あるいは音楽というものに戻っていくこと。そこにたどりつこうとする意志力よりも深層で起動的に働いているのは、「白峯」という重さであり、さらなる時の影人は良寛であるかもしれない。こんなものか、いやそうでもないだろう、書いて弾いてはそう思いながらも、かけがえのないこの時、いまは過ぎてゆく。嗚呼、良寛。