筋目書き(三十九)雨月6 白峯の声
下呂 gero(24), 2012
只天とぶ雁の小衣の枕におとづるるを聞けば 、都にや行らんとなつかしく、
暁の千鳥の洲崎にさわぐも、心をくだく種となる 。
<雨月物語 白峯>
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筋目書き(三十九) 雨月6 ー白峯の声ー
イメージの影は確かに短い。光の照りつける正午にものたちは最も輝いているから、象られたイメージは正午に立ちあらわれる。ガルシア・ロルカなら「午後の五時」に託された神秘。そしてイメージはからだのどこかに固着されるが最後、イメージではなくなる。イメージは去りそれに取って代わられた記憶をたどってみても、そのときにはもう戻らないし再現もできない。いまここにおいては、イメージからこぼれ落ちて定着した感覚の痕跡、その言葉の瓦礫が無惨にのこっているだけだともいえる。
それでも、「過去はある秘められた牽引を伴っていて、それは過去に、救済(解放)への道を指示している。実際また、かつて在りし人々の周りにただよっていた空気のそよぎが、私たち自身にそっと触れてはいないだろうか。私たちが耳を傾ける様々な声のなかに、いまでは沈黙してしまっている声の谺が混じってはいないだろうか(W・ベンヤミン)。」イメージのあった過去に向かって耳を傾けて、書いている言葉において何かの声が出されようとしているのは、いまの出来事だ。崇徳院のこのセリフにも外界の音がもたらす内的な追想といまここにおける新たなる覚醒がにじみ出ようとしている。音という声。耳を開けば音が入ってくるという水準ではなく、生きていることを感じ、生きるためにはどうしても発さなければならない声としての内発的な音楽。声がしてくる、その追想において過去が共振してくるいまの声がここに立ち上がるのだ。
音楽は音の聞こえとその記憶という外側からの要素だけではなく、音の内部から発しようとしている、発しようとしていた、あるいは発する、発された声たちだと言ってみるなら、いまここに書き付けている言葉も音楽としてあり、音楽は言葉の声を導くともいえる。秋成と同時期に生きた天才的思想家、徳永仲基は『楽律考』のなかで「真正の音楽というものは、声(音楽)そのものの中に存在するのであって、器(楽器や音楽制度)の中にあるのではないから、それぞれの生活の場についてその真正の音楽を求めるほかない」と書いているが、ここの器とは楽器や音楽の制度だけではなく、現代においては耳自体でもあるだろう。受動としての耳ではなく、能動としての声。より正確には声と、耳としての身体の浸透し合う場が音楽だともいえる。きこえない音も声として存在しているというのは、「声なき声」という表現があるように、想像に難くはない日常的出来事といっても大袈裟でもないだろう。かつて行為した音楽の声、その残存したイメージはいまでは色褪せてそれが確かに記憶にすぎないとしても、その過去の記憶でしかないが、それでも記憶の動きが内的に押し出す音楽の声がいまここの言葉にどうしようもなく響いてくるという実感は、言葉によるいかなる説明によってもぬぐい去ることができない。耳、つまり耳としての身体が、何かの音の声を聴いているという事態を主観のなかに留めておくことができないと同時に、この事態を客観的に説明できない。それらの浸透された場に音楽は響いているとしか言いようがない。
音楽は闇の、闇からの表現ではなくて、声と身体の錯綜する夢、死の光に照らしだされた場を身体が生きることなのだ、そういう確信が白峯を通過しながらその都度、新しく芽生えてくるようだ。闇は音楽を隠している。そこに光が差し込むことによって門がとれる、そこには音楽が鳴っていた。徐々に腐食していく廃墟の耽溺の美ではなく、一気に取り壊されてしまった家屋のなくなった更地に容赦なく照りつける午後の光によって、そこにあった生活の匂いまでもが一掃されてしまった、それでもその余韻のなかに浮かぶ過去の生、その幻影が光のなかに現前している。まるで写真のように、過去の声にみちびかれて、いまここの音楽は過ぎ去ってゆく。数日前のことをふりかえるなら、楽器を弾いている正午から二時過ぎにかけて力がすっぽりと抜け、何の力みもなく音は固定され静止された巨大なイメージのなかを数分間ほどは泳いでいただろう。弓を楽に弾けたことはかつてなく、力もないほどの夢中のなかにいただろう。いつもより一瞬だけかもしれぬが、音がとても響いていた気配がいましている。そういう記憶の分析をいましているというよりも、過去の音の声をいまに追想しながらそこに新たに別な夢が覚醒しているただ中にいまがあるかのように感じられる。過去から今が呼び出されている。
翻って遠くから離れてこの現象を見てみれば、真理は行為を裏切らない、その場所においてそのときそこで行為していること、ただそれだけのようにも思える。逆に、ただそれだけのために内外の生きていることのすべてが必要だともいえる。未来はあらわれると同時に作られる。それは内と外という、生と死という二分法を超越する道元的身体でもあるだろう。正法眼蔵が超越的な抽象のなかに生きていても、道元は日常の行いの隅々に厳しい具体的な規則を設けた。このこともわかってくる。音楽の光を通過するということ、白峯の影に入り白峯を行為するというのは、このことだったか。道元との一年、その具体化が白峯を借りてにわかに近づいてきたのだろうか。
書きながら、円空の彫刻が浮かんで肌に迫るように思い起こされてきた。美濃や飛騨には円空がたくさんある。円空の声を聴きにいこう。円空が同じようでいてその都度違う何万体もの木彫りを制作し続けたのは、信仰とイメージの重複とそこからの脱皮の繰り返し、追想と覚醒の速度の速い回転の中に身を投じることによってしか、生きることができなかったからだろう。下呂でみた円空の彫刻の声は、いまここに音と鳴ってただただ内的に響く。そのように白峯もあるし、すべてがそういうふうにあるようにみえてくる。円空はそういう呪いと解脱の彫刻だ。写真という装置はそういう記憶のあり方を別様の回路からより鮮明なものに仕立てる。かつて奏でた音楽の失われそうになった記憶が、いまここの声としてまた新たに再生されて響きだすように。それでも写真と音楽の回路は異なるが、音楽は光を招き入れる。一方で写真には声がある。音という門は光の恩寵によって開く。光という門は声の谺が空気をそよがせることによって開く。
●1993年に東北の福島辺りから三陸沖を通過して青森の竜飛まで旅をしたときの写真のネガをようやく、昼下がりの太陽の光にすかして眺めることが、今日はじめて可能だった。たったフィルム13本で内容的に層は薄いかもしれないが、ドライボックスからネガを出して、その声を聴いてみるようにしていた。誰に向かって弾いているのだろう、誰に弾かされているのだろう。あの港で元気に遊んでいた二人の少女たちはいまどうしているだろう。もうすぐ震災から二年になる。こどもは明らかに世界の丸ごとをみている。写真にうつされた少女の遊んでいるネガをみていて、大袈裟でもなく、いまのこの国の現状に気持ちが耐えられなくなってくる。心が死なないために、何かを弾いて、何かを書かざるを得ない。秋成という人に出会えてよかったとおもう。昨年末、筋目書き(三十三)で道元を引いてここに書いた虚空の声をきくこと、その問いの一つの答えを探すためにこの「白峯」を身体が選んでいたのかもしれない。身体は未来を予知している。