May 2012
筋目書き(十三)
音質を求めてテールピースという楽器の一部分をやすりで削ってニスを塗りかえす。黒と黄金色をまだらに塗る。削った木目の凹凸にそって黒がしみ込んで筆が一瞬止まる。そのとき迷う筆からはなれ、手で直接木目にニスをぬりこむと、削った時はみえなかった微妙な凹凸が色にのって突如浮かび上がる。迷いのなかに悟りがある、悟りは行為の過程に生ずる迷いがなければあらわれない。目覚めは結果でも目的でもなく、迷いのあいだにある、脱力したとき、そのときもう言葉のうちにはない時間のなかにただよっている。意識の追いつかない広く開けた空が、楽器の変化したいまはきこえない音のなかにみえだす。音質は外側から測れないが、求める過程のうちに迷いからのがれて不意に聴こえだしてくる。この音は弾くまえから聴き取られている、音は現実にあらわになるのを待っている。楽器を弾きだすというのは、あらかじめ生じた音を現実に返すことでもある。楽器をいたわるのは、未来の音を楽器の空洞、その空のなかに聴くこと。写真と本文へ… to photo and read more…
筋目書き(十二)
竹の葉が風にうごき、光が葉に映るのをみながらうっすら眼を閉じる、耳が澄まされる、草や鳥の囁きの変化がより微細に聴こえてくる。竹は風にしなると隙間に空気が溜まるようにうごく。竹同士は葉が掠れても幹はぶつかることなく、風に吹かれるまま螺旋状に少しずつ塊をなして退け合わず自然にまわるのがぼんやりみえてくる。意識がふってわいてあらわれ、留めるにせよ留めないにせよ、たちまわって溜まりをつくっては言葉は素早く消えていく。何かを見いだそうというのでもないのに心の細部にわいてくる何か。世界を対象化する限定からはずれた場所に呼びだされ、その余白に自己があらわれる。外部にも内部にもある何か、それは内部にも外部にもない空だろうか。動く竹の囲う隙間が象る背後にみえてくるそらのようにこの手はそれをつかめない。竹が風にしなるとき音は空に近い場所から降りてくる。写真は竹の実在とぶれた風、その背後にぼけた空を写す。言葉で音は聴けない、言葉で写真は撮れない、言葉は空を知らない。心は、空の経験の明るい余白に瞬く間に深くあらわれてくる。心は、風に吹かれる竹の隙間に広がる空に遥か遠く映されてある。写真と本文へ… to photo and read more…
筋目書き(十一)
音楽は、私を通じた自然が密やかにあらわれた音の軌跡、主客の滅する船のうえ、風にふかれ河をこいで、自他が動いて交わる空間を多様にひらきながら、いまここに時があらわれては一回ごとに異なる目覚めをもたらしうるプロセス。音楽という形を繰り返しているうちに、一回の音のあらわれ自体が一つのリズムとなり、時間と空間がその余韻において切り結ばれる。わずかではあるが多様な、ずれの生じた滲みのなかに、人と人がつながる場に開けた空間が見え隠れしては去り、姿をかえながらまたどこかでよみがえる。気の飛び散った余白に、突如として目覚めをもたらす。音楽は世界が瞬く束の間。世界を切り取る発火体。花火に残る煙は、空中を風に揺らいで散在しながら姿を消していく。音もなく散る煙は世界の影。一回の演奏は一枚の写真。写真と本文へ… to photo and read more…