筋目書き(二十三)


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長浜 nagahama, 2011



密有かならずしも現成にあらず、見成これ何必なり。




<道元>


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筋目書き(二十三)


言語が普遍化され記号化されるほど経験そのものは忘却されていくのかもしれない。だが生の経験は常に自己を呼び出しては世界との平衡が新たに生じ動きながら変化する。突如ふり出した雨が静寂を破り沈黙が破られれば何かが語りだし、身体の誰かが語る。生まれた身体の言葉は青い稲の伸びやかに育つ棚田に自ずから区切られた畝のようにどこまでも動的に曲がり、微細な静的変化に満ちながらもいまここに立つ畝の磁場に鋭敏かつ劇的に応じる瞬間性を内に秘める。身体の光と闇が畝の交差点で交互に立ちあらわれ消え去るその間に間に言葉が空に浮かび上がり、身体は言葉の文脈や意味に束縛されずその色を鮮やかに逆転させる。一つの個体にとってかけがえのない固有の時間を刻み続ける世界は機械のように再現されることがない。やってきた自己は意思において平衡を打破しながら他者に生まれ変わる。たましいは身体の意思の言語に祈りが密着している場所に生じ、常に先送りにされた現実的未来を身体が感じている内部の自発的な運動におもえる。





                       

●正法眼蔵の「現成公案」から。水野弥穂子注によれば、「密有」は「知覚の対象とならない真実」、「何必」は「説明不可能な事実」とされている。「現成公案」は道元の基本として重要であるという自覚から気が向けば時々目を通しているが、下記に記した東京の経験を静かに振り返っているとこの道元の言葉が飛び込んできた。いくつか訳の参考をみたが、なかなか現代語にはできなかった。写真は選ぶのに躊躇なかった。






●「風の器/牡丹と馬」を観て


先日の土日で東京の野方のホール、「風の器/牡丹と馬」という舞台公演に出かけた(共演者の齋藤徹さんのブログで知った)。価値あるよい経験だったので、この旅の実感をここに記しておかねばならないとおもう。


仕事を終えて行きの新幹線のなかで、「負」ということが気にかかって読みかけていた松岡正剛氏の「山水思想ー負の想像力」を何とか読み終えたころ、列車は新横浜について、景色が東京に入ってくるのを車窓からみていた。本にでてくるたくさんのイメージとの落差もあったが、以前東京にいて暮らしていたころとは全く異なった都市として映る。この感覚は今住んでいる場所の日常のものごとの時間や様態が東京とだいぶ違うからだろう。このあいだおとずれた直島で、あたりまえのようにそこにあった島の暮らしを垣間みた情景とはなおさら違ったため、品川から渋谷、新宿あたりの人の混雑や雰囲気には不思議な感じすら覚えた。

だが野方の会場に入ると全く違う時間と衝撃が待っていた。言葉にもしするなら、若冲をかつてみにいったときのように書ききれないのだが、 つまるところ一つあげれば身体の言葉とは何かということかとおもう(この舞台はいわゆるセリフがなく、身体表現と音楽で成っていた)。これは自ずからジャンルや分野を超えた一つの行為としての価値である。私はこの経験に教えられ、また深い確信ある場所から励まされた気もちがしてありがたく、なぜかとてもうれしかった。

公演のあと場に集う方々と話をして別れ、たった二日でも舞台の前後で東京の日常はさらに変化した。この意欲的な舞台は遠野物語の「おしらさま」を題材にしていたが、人間と人間の、あるいは人間と自然、神との深い交流と様々な感情の豊かさとその細やかな機微があらわされていた。そしていまの言語(世界)によっ て深く傷つけられ覆い隠されている本来あったはずの神々の世界、現代にもあるはずだと信じたいが大きく忘れ去られた大事な事柄と人間同士の生身の摩擦、そして愛のかたちを深い畏敬をもって直接えぐり出していた。

少しずれているのだろうが、私はなぜか日本の田んぼのあまりにも美しい夏の緑のイメージを公演後の東京の夜に重ねていた。それもどうしてか特に違和感はなかった。たぶん来るときに犬山から富士あたりまで稲の美しさを横目に、まき散らされた放射能の影を嫌でも想像しながら、「山水」についての本を読みながら「気」についていつものように思いを寄せていて、そのはかない残像が東京の夜の虚空の底にある性的な艶かしさに溶け込んだのかもしれない。紀伊田辺の南方熊楠の運動や、屋久島の自然林の伐採とその保護過程、その熱気を思い起こしもした。豊かさとはなんだろう。原発は私の育った東京の何かと似ているとふとおもった。東京は行くたびに姿を変えるが、東京の夜はとても懐かしくみえた。たぶん自分の育った実質的な故郷の場所を思い起こしたからだ。

やがて私は人間にとっての言葉という問題について思いはじめていた。表現の直接的な通話性と身体性との関わり、伝わるということがいかなる過程を経ているのか、そういう問題意識が必然的にわいてきた。とりわけ話し言葉と書き言葉のほとんど絶対的といっていいほどの差異の在処について、さらに日本語の明治以降とそれ以前の差異について、世界情 勢とともに拡大しつつある普遍語、あるいは学問の言葉について意識するようになった。無意識から意識にのぼろうとしていたものが一気に吹き出してきたのだ。

少なくとも生物学や医学領域では現実的に英語が普遍語とされてきていて、大学の講座も通常の授業や発表も日本において英語で講義、議論するという時代に現に突入している。これに対応し変化に対する平衡をその都度保つ身体であることよりも、身体の意思のようなものをとりもどしながら自ら未来へ進み出ることを私は選びたいとおもった。だから数年前大学をやめたのだろう。

帰りの新幹線では、私は以前医学雑誌から知って気になっていたのだが「動的平衡」について書かれている福岡伸一氏の「生物と無生物のあいだ」という著書を読んだ。というのは、公演のあと久々に立ち寄った高田馬場のジャズ喫茶「マイルストーン」の店主の織戸さんが、震災とはなしとあわさり読んでみてはと、店にあったこの本(いまは古本屋でもある)を私にくださったからだ。刺激的でおもしろく思想的には「方丈記」の現代版とでもいってよいのかとも思う。当然、鴨長明のような文学の言葉では書かれていないが、優れた科学者特有のプライドと謙虚さ、そして淡々とした論理に貫かれていて、科学的営為において手法も創造的発見に満ちているし素晴らしく、知識としても勉強になった。

たとえば内部のさらなる内部が外部であり、時間に裏打ちされた生命の流動的固有性、ケヤキの樹に二本として同一の形がないことを生物学的に指摘して(このことは私も大学時代に山で実感していて、いまは後悔しているが農学部の林学科にいたのに木の名前を覚えることを徹底的にやらなかった)、生命の「動的平衡」のもつやわらかな適応力となめらかな復元力に感嘆したうえで、生命を機械的、操作的に扱うことの不可能性を確かめるようにこの本は結ばれている。著者は自分の言語を逸脱しないようにあえてここで留めたのだろうと想像するが、世界を説明するための 普遍的言語(科学の言葉や概念的言語といいかえてもいい)の枠が示唆しうる領域にはやはり限界はある。このような自覚は医者である私にとっても大事な問題意識でありつづけている。ある境界領域まで踏み込んだとたん、言葉が意味としての言葉の体をなさなくなる。だが言葉にして書いていくことの必要性も私は大きく感じている。なぜだろう。

私はいま自分の内部の言葉を発見し、福岡氏の指摘したように内部のその内部に外部を発見しながら外部と一回一回接していく二度ともどらない過程のなかにある。ジャンケレヴィッチも音楽におけるもどらない過程を強調していた。それは福岡氏の言葉を借りれば、自己が外部の変化に触発され試されながら身体内部の「動的平衡」を生きる過程でもある。診療行為などその最たる形だろうが、いまの社会において効率性や経済性は否応なく求められ続けるし、コンピュータは部品の入れ替えによってなおるかもしれないが、人間はむしろ元には戻らずに違う人間に変化していく。生物の時間は実質的に経済的時間ではないし、人間がもとにもどる、薬で病気が治って元通りになっているというのはやはり大きな錯覚で、これは機械のもつ再現性とは本当は全くちがうのだ。同じ葉の色が一つとしてないように。福岡氏は生物の中の魂の意思の不可逆性のようなものを「動的平衡」として、生物内外部の様々な生物学的事象においてみているといっても過言ではないだろう。

私は自分にとっての言語を自他に見いだしていくなかで、内側の内側から外側に自己を脱したいと願っている。矛盾するようだがいまの世界において自分というものを失わないための、残された数少ない方法の一つでもある。自分の言葉がなければ他者にすら出会えないからだ。


今回の公演を鏡にして触発されたのはおそらく私がどこかで切実に求めているような、本来的で未知でもあるような言語のあるべき場所だったのである。そして意識は捉えきれなかったとしても、私の身体はそれを行く前から予感していたのだった。それが行く前の身体の意思だったのであり、とても大げさかもしれないが他者に出会おうとする内部の魂の動きだった。そして、行って自分自身の魂が本当にあるのかないのかを確かめたかった。そういうことのわかる文字通りありがたい公演だったといえる。公演のあとのうれしさは、自分自身を見失わずにいまここ生きていることのうれしさであり、自分が自分を認めることができたうれしさであり、そのことによって他者に出会えたうれしさに他ならない。

こうした東京での意識の流れで、水村美苗さんの「日本語が滅びるとき」という著書を読みはじめたいのだが、東京で気合いが入りすぎていたのか帰ってきたら風邪をひいてしまって、いまはどうにも始められない。