筋目書き(三十七)雨月4 白峯の核心
下呂 gero(23), 2011
時に峰谷ゆすり動きて、風叢林を僵すが如く、沙石を空に巻き上ぐる。見る見る一段の陰火君が膝の下より燃え上りて、山も谷も昼の如くあきらかなり。光の中につらつら御気色を見たてまつるに、朱をそそぎたる龍顔に、荊の髪膝にかかるまで乱れ、白き眼を吊りあげ、熱き嘘を苦しげにつがせ給ふ。御衣は柿色のいたうすすびたるに、手足の爪は獣の如く生ひのびて、さながら魔王の形あさましくもおそろし。
<雨月物語 白峯>
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筋目書き(三十七) 雨月4 ー白峯の核心ー
剣に魂をさされたときに肝要なのは ー 落ち着いて眺めること、血を一滴も失わないこと、剣の冷たさを石の冷たさでもって受け入れること。突かれたことによって、また突かれた後、不死身となること。(F・カフカ)
この言葉は、意味を言葉でさらに考察するよりもまえに、すぐれた写真をみているときのように身体に突き刺さってくる、剣の言葉にきこえる。このカフカのことばのような写真的身体から世界を眼差したうえで、なおかつ浄瑠璃のような言葉の音楽的揺動をもってしてこれを写し切る書き手、その指の運命が化け物の光に触れて、その恍惚の向こう側に、書き手の現の身までがぼやけてみえてくるかのようなこの場面は、強烈な光と色彩を放って読み手を魅了する。崇徳院が化鳥とともに「瞋恚のほむらのような陰火の光に照らし出されて現われる。…院の怨霊は、光を背景に、あるいは光そのものと化して姿をみせるが、この闇を破る強烈な光は、夢の終わりを告げるおだやかな朝の光ではない。世界を一瞬のうちに夢魔の世界にと変容させるおどろおどろしい光である(長島弘明著『雨月物語の世界』)」。だが一方で、書き手の眼の言葉は、幽霊を写し取る写真によってこそ定着されるような、冷徹な光の痕跡を写しているようにもみえる。そして西行はこの崇徳院の壮絶な変貌ぶりにたじろぐどころか、これを嘆きながら歌をうたう。怨霊はこれを聴いたのち、怒鳴を鎮めつつ消えてゆく。静寂の薄明のなかに朝鳥の声が浮かぶ。
夢のなかの光が現実に生きる意味を問いかけるように、音楽のなかにどこからともわからない一筋の光が射しこむとき、音楽がなぜあるのか、なぜ弾いてなぜ聴いているのか、その意味を、音楽のほうから問いかけてくるように思えることがある。ことばの音(おん)を読んで声に出していくとき、あるいは楽器でこれをなぞってみるとき、時間が流れる。一方でそのときの聴こえる音(おと)のかたまりは空間の色と形をなし、音(おん)の間合いとあいまって、響きの断続として聴こえる。そしてこの時空に自動的に連なっていることばの意味は、こどもの描く絵や、フロイトよりもちょうどユングが探した夢とシンボルの関係、自己実現の過程にでてくる心の像、そして夢たちが何かを象徴してみえるように、ベンヤミンの言うような音時空のプロセスの像の判じ絵、影絵のように隠れている。さらに、その影絵が音楽の夢のプロセスのなかで、ある光のもとに不意に照らし出されるとき、人間にとっての音楽が、その本当の姿をあらわすかのように感じる。闇の時間と空間に声の息を吐いていきながらも、時空が変化し推移していく演奏とその音を聴くプロセスのなかで、どこかで差し込んでくる光を人間が音楽へと差し出し、またその光を人間が捉えることがなければ、人間は音楽の声を聴いたことに本当にはならないと、そのようにいえるだろうか。
写真のストロボの光でうつされた誰かの表情、無表情をみるときにも、人間の自らへの常識や認識、その受け売りの確信は葬り去られてしまうように感ずることがある。夢のなかの閃光が、無関心で体たらくな日常のあり様に不意打ちを与え、夢の光が夢のなかにいる意識を超えることによって意識を離脱させて、現実の世界、あるいはそれ以上のリアリティを人間に与え心を釘付けにする。それが自然光であっても、写真の中でそういう現象は生じうるから、この不意打ちは写真の一つの使命であるともいえる。だから過去の出来事のいまは夢となったあいまいな記憶が、たまたまおされたシャッターによって思いがけず写されているとき、人は何かを発見する。現実では眼を背けたくなるように感知できず、生じえないような経験を「まるで夢の中にいるようだ」というような言葉にすることがあるが、秋成は雨月物語において、その夢現が真逆になった、まるで現実のなかにいるかのような言葉を断片的に連ねながら、無垢ではすまされない眼の心で現実の無垢をながめ、現実の不条理を耳の心で問い続けることで、見えず聴こえない、さらに見ようとしなかった聴こうとしなかった世界からの呼び声に丁寧に答えようとしているかのようだ。この書き手は、現実を凝視し、さらに夢を夢の内外の双方から同時に意識できる。現実はもはや夢の中の夢にうつり現実との紙一重の差異のなかに、死者との対話する隙間があるかのようだ。さらにはその地平を突き抜けたところ、文に記されていない息の場所、書き手のおそらく意識しない場所に暗に感覚される、彼の根にある人間へのやさしさと孤独の悲喜が響くように伝わってくる。この味わいは、はじめからひたひたと伝わっている。「白峯」はその冒頭の夢のようでいながら端正な描写、はじめから背景に死というものが漂っている。彼は七十四歳の秋、古井戸に著書を捨てた。言葉に記されないこの気配が雨月物語を格別なものに引き立てる。
ながきよの夢をゆめぞとしる君やさめて迷える人をたすけむ(明恵上人)
「白峯」から示唆される人間にとっての音楽とは、広く言えば音楽のことばによって人間の存在をみつめ、世界の隠された問いを発見し、その光の強弱を観て、光に触れながら生きて死の向こう側へ歩みでる、そしてさらに死のなかの光にまで出会う過程だろう。そのプロセスの随所々々で、写真的な像、隠された判じ絵としての描写が、絶妙に介在しているといえる。音楽は写真のような一瞬の光に照射された世界に写し出され、かくれていた影絵の多様な意味が照らし出されることによって、その夢の現実度をいっそう輝かせるのだ。死がいまにもよみがえらんとしている、その文体の息吹の中に読み手は誘われ続ける。「白峯」の核心は、死の側から世界を見たらどう世界は言葉に写るか、どう聴こえてくるのか、その想像力とそうした世界に対する態度に端緒している。たぶん秋成はこの「雨月物語」をもって死に接近するだけでなく、死から世界をみている態度でいわば儀礼的に通過し、晩年に古井戸に著書を投げ込んで宣長との論争に終止符を打ち、「春雨物語」の制作に至ったのではないかと思えてくる。春雨は夢から現実へ、死から生への回帰というよりも、現実の普遍的価値といったものを最期にみてとった秋成の不死の痕跡なのではないだろうか。これは秋成と歴史の合体のあらわれであり、それはまた、生死の雨から脱稿された悟りの雨なのではないか。生のうたを契機に死が生き返り、死のなかの光との接触によって生が不死と化す魂のプロセス。そして写真が現代医学と切り離せないのと同じほどに、音楽が医術と深く結びついている、その理解へと深く導かれるのだ。
さて崇徳院が消え去リモノガタリもついに終わらんとし、その余韻のなかで言いたいことを発見的に書いてみて、心の霧も晴れて白峯の夢から覚めてきた。何度も味わっても「白峯」はよいので、目的地もなく夢中に書いていたようだ。何らかの理解に基づく確信こそ、内実をもった自然の自発的実践への現実的な契機だろう。人間である限り確信は揺らぎ続けるものだが、確信はむしろ根源的な変化と動き、表現されるもののはじまり、その核心として意義をもつことができる。いまや「ひとつの確信を、それを肌で感じた一瞬に逃さないこと。確信を、ことばに盗み取らせないこと(F・カフカ)」。
●決していいことではないけれど身体はだるいのに頭だけ冴えている気がして、ここは暇があれば本を読み矢継ぎ早に言葉を書いて考えが途切れないようにと、努力してやってみていた。この結果自分なりの「白峯」論(写真と音楽と医を貫いたような)のようなものを書くに至った。カフカはやはりいいことが書いてあって、しびれて冒頭からひっぱりだして、カフカの言葉に終わった。雨月物語との邂逅は、一体どこだったのか。やはりこれをここまで引き上げてくれたのは八村義夫さんだろうか。生き方と生き様の在処を良寛の遺墨に、言葉の動きというものをたぶん若冲の墨絵に、欲にまみれ満たされない心を越境する悟りの様態を道元の「正法眼蔵」に学んできた。これらの人物は、いわばこの極東の島の、精神の難民として独自の創造性を発揮し、なおこの島にとどまって行為した人物なのではないだろうか。秋成もその一人かもしれない。近年の研究成果では若冲も、すでにつくられているイメージとずいぶん違った気質(かたぎ)の面がかなりあるようだ。気質と遊びのあいだ、真面目と不真面目のあいだの身体でしか、ああいう魅力的な絵は描けないだろう。秋成や若冲以外にも、曾我蕭白や葛飾北斎をはじめ、江戸をみてみるだけでも、メジャーマイナー、そういう人は他にいくらでもいそうだ。文化の層は厚い、いや厚かった…。肥大化し低質化していく権力には面とは向かわずとも、違う角度からこれを間接的に抑制しうるのは、孤独を生きる遊びと笑いの精神、その行為の像の隠された意味が生き続けることであり、江戸の庶民たちはたぶん、たとえば犬好きな将軍のばかばかしさや、そのむごい仕打ちにやむなく対抗し、また耐えるために、遊びということをよく知っていたのだろう。
●いったい死のなかに輝く閃光とはどのようにやってきて、それを観る契機は音の過程のうちのどこにあるのだろう。この点こそが最大の謎であり続けている。ここだけにひきつけられて音楽をしていると敢えていってみても、言い過ぎにもならないようだ。さしあたりこの光は「神や仏の御光」ではなく、「死者のことば」といってみたほうが自然に受け入れやすい。「魂」という言葉は生死を貫いているような感覚をいだくので、時々言ってみたくなって使うけれど、どうしてもまだ浮つく感じがしてしまう。江戸の浮世絵をみていると、いかに死者の亡霊をあつかった主題が多いことだろう。歌川国芳やその門下であった月岡芳年に強烈に惹かれるのも、そういう事情があるからだろうか。亡霊は、人知を超えた神秘につつまれた神々しい光のもとに存在が赦される人間としてではなく、細部までが生々しい現実的で実体的な具体として描かれていることに注意したい。その具体の発する強烈な現実への光なのだとおもう。雨月物語はどれも、命とひきかえてまで、あの「魂」の純度を守った、ある意味で異様なほど志の高い死者にまつわる物語で書かれている。そのモノガタリは、死者の光の出処、魂の出入りする場所をさまざまなケースで具体的に暗示し、生死のつなぎ目、人間の性のありかを示唆している。雨月物語の他の各々の巻について、すべてが死者の光に照らされた各々に違う音のあり方があるのだろうか。違うベクトルから光があらわれ、何かちがう具体を照らしているのかもしれず、この点が興味深い。ベクトルの和差は各々のベクトルとは違う方角と長さを示すから、「白峯」の多角的理解が基本となるだろう。細部の技術的なことについて、もっと言葉で踏み込んでみてもよいのかもしれない。言葉の運動によってきっかけが動機に強く転じれば、「白峯」のことばが音写されてそこに自ずから成り響く音楽を信じればよいのだろうが、それではどこかもの足りない。周辺の資料を見ながら逐一周囲を眺め、弾きなおせない音と、言葉の理解の内容との感覚のずれを、その都度楽しみながら練習する、その遊びの方法のことがある。この場合、練習は得られた外側の形や言葉のイメージの反復によって何かの技術を磨くのではなく、内がわに目覚めようとしている力動の反復練習が外側の手の音の形となってその都度あらわれだす、そのようにしてある。「白峯」に夢現の具体、眼と耳の方法を、さらに爪の垢を煎じるように手の方法、息の方法まで学ぶことがあるのだろう。一筋縄ではゆかないもう一つのチャレンジだろうが、煎茶通だった秋成に、言葉のうちにはない敬意をより払うことになるだろう。一方で、有と空とか、生と死といった二分法を越境する道元的身体が、闇の中の光、つまりは死者のことばとの邂逅において、やはり雨月の中でも意義を持ってくるのではないか。道元は究極的な時空にいる。道元は仏教的禅を基礎にしているといってもさしつかえないだろうだが、実はマイスター・エックハルトのような大胆にも神との合一をはからんとする、ある種の西欧神秘主義にかなり近いとおもう。加藤周一さんも道元思想の鎌倉期における出色ぶりを述べた上で、十六世紀のスペインの人物イグナティウス・ロヨラと道元の類似を指摘している。今回いろいろ書いてみて、自分がコントラバスという西欧の弦の長い弦楽器を曲がりなりにも弾き続けていられるのは、少なくともその途中からは、結局このあたりの謎を知りたいという、かなわなくも人間としての必然から生ずる希求からなのではないか。