筋目書き(二十四)
東京 tokyo, 2011
花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。
<道元>
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筋目書き(二十四)
写真が語っているとき写真は音を呼ぶ。写真のテクスチュア、文脈や展開、形式による物語性から鳴りだす音楽は主情の影の一型になりうるが、音を呼ぶ根源的契機は視覚に掠め取られた写真粒子のかたまり、次元を剥奪されてはいるがかろうじてかたちをなしている物体のかけがえのない痕跡がこの身体を透過する亡霊の聴取にある。写真から何が聴こえたか、写真の音をどう観たか。光のなかの闇、モノクロームのなかの色が音であり、音楽は無ではなく光と闇の隙間に揺らぎうごめく淵から出来してくるようだ。写真を視ながら音を待って弾くとき、聞こえないがここに聴かれた音と弾かれ聞こえている音の隙間で主情と物の怪が交差する。言葉が言葉の光と闇を忘れ去るとき人間は死へ向かって歩きはじめるのではないか。写真と音楽の間に我が身を立たせることは光と闇の間隙に立ち、忘れられた言葉の身体の糸を紡いでゆく試練としての行為かもしれない。
●ふたたび正法眼蔵の「現成公案」から。言葉について思えば思うほど、道元の言葉は解釈を拒む。風邪に身体を洗われて、過去の言葉に学ぶこと、耳を傾けることがいかに大事であるかをあらためて深く思っている。
●良寛や若冲や曾我蕭白の書や絵をみてどうしてこれらがこんなに楽譜のように心のなかに音を紡ぎだすのだろうかと、身体の奥底の方で不思議でたまらなかった。音に何かを観て写真に何かを聴くということが私にとってようやく必然になりつつあるのを感じる。音の言葉、写真の言葉を求めながらも、相互のあいだに立ちながら各々に立ち戻り相互に言葉を交差させること、その反復は、自分にとってあたりまえだった言葉をあらためて問い直す行為でもあると思う。「筋目書き」ははじめからその過程でもあるが、それは身体を貫いているであろう母語とつながっていて、意味上の連関はあまりなくとも言葉の身体がそのまま伝わってある「主情の糸」を導いているという感じが強く芽生えてくる。
●(追記)上記の「主情の糸」という表現は作曲家の八村義夫氏の遺稿といってもよい「ラ・フォリア」からの言葉を受け継いで、この筋目書きでも時々使わせていただいている。昨年末に読み返して影響された。このエッセイで八村氏は、江戸時代後期の爛熟退廃したエクスプレッションの激しい表面化の例をあげたあと、「わが国の表現主義においては、西洋のそれのようにフロイト流儀の「性の抑圧」はなく、濃い情感が赤く切りたった表現のなかにある。これらのまさに日本的な情感は、私にとってはヴィジョンの起源の一つである」と書いている。私自身は、現在急速に失われつつあるかにもみえるこのような「情」が、いまだここに、この身体に降りてくる身体内部の場を「主情」としてとらえて書いているのだと思っている。
ちなみに、2012年10月18日(木)に東京文化会館で「八村義夫の世界、一つの音に世界を見 一つの曲に自らを聞く」が催されます。私はたぶん行くことができず残念ですが、若手中心の演奏家での演奏、八村さんの晩年の妻であった内藤明美さんの新作もあるそうです。