筋目書き(十一)
下呂 gero (12), 2009
われ帆をつかひ、われかじをとれり、われさおをさすといえども、
ふねわれをのせて、ふねのほかにわれなし。
われふねにのりて、このふねをもふねならしむ。
<道元>
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筋目書き(十一)
音楽は、私を通じた自然が密やかにあらわれた音の軌跡、主客の滅する船のうえ、風にふかれ河をこいで、自他が動いて交わる空間を多様にひらきながら、いまここに時があらわれては一回ごとに異なる目覚めをもたらしうるプロセス。音楽という形を繰り返しているうちに、一回の音のあらわれ自体が一つのリズムとなり、時間と空間がその余韻において切り結ばれる。わずかではあるが多様な、ずれの生じた滲みのなかに、人と人がつながる場に開けた空間が見え隠れしては去り、姿をかえながらまたどこかでよみがえる。気の飛び散った余白に、突如として目覚めをもたらす。音楽は世界が瞬く束の間。世界を切り取る発火体。花火に残る煙は、空中を風に揺らいで散在しながら姿を消していく。音もなく散る煙は世界の影。一回の演奏は一枚の写真。
● 正法眼蔵の「全機」から。「機」は時間と空間の一致点であり動きの発火点、一瞬の目覚めもといえる。リズムの発露ともいえるかもしれない。ある解説では「全機」は「引き絞った弓の矢」の状態にたとえられている。「機」は「気」でもあって、大事なのは、道元においては時間は無限小から無限大まで一気に含まれるから、時間軸にそって単に定期的に刻まれるリズムとも様態が異なる。一音と一音の間だけにとらわれずに、音の始まりから停止までの音楽全体が「機」の動きとしての一つのリズムと言いかえられるだろう。引き絞られた弓の矢は、引き絞る全過程を空間に内包しながらも、弓がいまにも放たれる一瞬の静止とともにある動きの時間的発火点でもある。写真では一回のシャッターによって撮られるその行為と撮られた写真にすべてがある。技術をひたすらみがき競って、知識をため込めばいいというものではなく、目覚めはあるとき一気におとずれる。竹に当たった小石の音ではっとしてさとりが開かれるように。あるとき発火して失敗も含めて一気に弾けるようになる。それまでひたすら待つこと。
●「機」に「全機」を照らしながら、道元の船にのせた比喩と「古鏡」をかえりみて、私のわずかな経験、それもわずかにのこる記憶からたぐりよせて対比しつつ、さらに「機」を音のあらわれるはじまりの一音と捉えれば、音楽のプロセスは次のようになるかもしれない。言葉のあそびのようだが、道元に借りて演奏の過程におきかえてみる。
「いまここの音を待つように、私の意思が楽器を鳴らし、音を聴いている。音を出す意思が自然を貫くなら、意思の力にしたがうのではなく、あらわれようとしている音の風その緩急と強弱にしたがう意思によって、楽器が鳴りだして、意思がやがて音の主体から離れた客体、風へと転じ同化する。そうしていると、はじめの一音その記憶と余韻からみちびかれる音の持続のなかで、音が音楽を導く鏡としてはたらきだす。一音が音楽となって動く。こうして音楽の時間があらわれるとき、音は音にかえり、鏡の音は音楽の霧のなかに消え去る。音は私を通じている。風は音楽をかたどるように吹いている。聴こえてくるのはかすかな風。つかの間、音楽が風そのものと化す。そうしているうちに音楽が音にかえり、時間の生んだ空間に音の鏡が姿をあらわす。風が去るように音が止むと、音が去った静寂に残された鏡は、古鏡にかえる。静止した空間にうかぶ古鏡に照らされるように、いまここに再び私が呼び戻される。それが目覚め。」
● 良寛なら良寛の筆に借りて、出だしはごく簡単な音の骨をつくって、それも可変的な形にして意思を紡ぐ契機とする、そこから離れるための場所、そのようなはじまりの限定、小さな音の創作はしてよいのかもしれない。音楽はふと音を聴いて何か思いつく、何か考える、この断片が次々と変化してあらわれながらも、貫かれた自然の意思とリズムのなかにある。もとから音が聴かれるもの、他者としてのはたらきであって、人間を貫く意思もまた自然という客体、人間の内部にある風のような存在なら、これを音の客体として風と帆をたよりに船をこいでどこかへいき、知らない人とまじわることができるかもしれない。あるいは音を通じて、世界に自分の全く知らない真実が無限に生じていることに、たとえその事実内容が知れずとも、本当に自分が気づいていく過程が音楽だろう。人間が時間や空間という枠組を作りながら活動を広げていく意思の力の本性を感じながらも、力の意思からは逃れてこぼれだす音とともに舟をこぎながら自然に分け入る。各々の自己が自然のなかに目覚め人間の音の軌跡をわずかに残した時場において、他と交わる余白が開ける。むかしの人が生活のなかで自然にやっていたであろうことで、目新しいことではないが、あるときから忘れさられてきたことを各々が思い出して、各々が違う方向へといま歩みだす態度が必要かもしれない。写真は百年の歴史しかないが、この過渡期に少なくとも音楽においていま必要なことは、新しい世界の音の構築ではなく、過去から何かを引っ張りだしてきて違う筋のなかに据え置き換えながら試行錯誤すること、自分の音のことばを見いだしていく契機としてその過程を一歩一歩真剣に楽しむことだろう。写真も音楽もそういう時間性のなかにあることは明らかである。それは道元も含めて過去のものを外側から理解して現代的に再構築することではないし、個性の自己主張とも異なる。禅も達磨からといわれるが、伝承や伝統と言えばそうだが、それだけでは形式主義に陥り枯渇する。道元本人が過去の教えに対して斬新な読み替えと言い換えをすることで、揺るぎのない世界の一端を発見した。形は内容がその都度、各々によって言い換えられることで本当に形としての意義を有する。世界は底知れないのだ。
● 良寛の筆は、後世の人がこれを真似て書いた臨書がおもしろいとおもうことがある。良寛は書きながら同時にそれをやっている点がさすがだが、筆の主体の意思が、真似することのなかに客体としてうまく反映されるからだろう。良寛が手本の形とされる所以はここにある。道元においては、鏡そのものが最後には滅してしまう点に驚く。他から学び教えられながらも、最後は自分を通じて突如として何かを見出す目覚めを重ねる、そしてそのずれの運動のなかで、鏡自体をなくさなければならないのである。鏡のまた鏡、「古鏡」はそう教える。良寛の消息はその人々への広まりのなかで、まるで音のように姿を消す。書の歴史において近代のはじまりに位置づけられもする良寛だが、歴史の様相が変わる予感はあっても近代的な「力」の端緒は露もみられない。主体がすでに客体だからだ。道元に魅せられた良寛の晩年の筆は、明らかにこの主客のあいだの鏡が消え去っているとみえる。力にとらわれたり、とらえられることもなく、だからといってそれが強いわけでもない、弱さとも、しぶとさとも、うまさともいえない、誰かを乗せて風に揺られながら霧の川を遠くへ下ろうとする船のように、いまここに迫るようにあらわれては消息を残して逃げ去り、どこかへと散っては浮き草のようにふたたびここにあらわれる。船の動きは風まかせでもなく、かといって自らが行くあてもなく、それでもどこかの水面をこいでいる、それでいて支離滅裂な動きではない、良寛をのせている船の軌跡がその筆跡であるだろう。その晩年の消息は鏡の故郷としての古鏡なのである。
● 若冲は真似できない超絶技巧の持ち主だが、その技巧の一つとされる「筋目描き」に技巧というものを超えた筆の「機」の姿が見て取れる。これならば倣って、自分に置き換えることもできる、そうして始まった。この「筋目書き」を、一桁目に数字の「1」のつく日にむけて、約十日ごとに更新するようになった。一つには地震の起きた三月十一日に何かを書きたいと二月ころから思っていたのと、月によって「1」のつく日の数がずれてまちまちなので、時間軸に垂直な「機」がかえって生じやすいと考えるようになった。人間はそうは変わることができないが、地震と原発事故を一つの目覚めとして受けとめ、言葉の様態を少しずつ変えてずらしながら重ねていく。何度も何かを回りながら書くことで言葉と言葉の境界がにじむ。滲みによって言葉は意味を剥がされ、言葉の行為となり、身体的なリズムをもつようになるのではないだろうか。「1」のつく日にむけて徐々に息を吸い、その日のどこかで「機」すなわち 「気」を言葉に吐いて定着させ、何かを言葉の余白に具体化する。書けなければ無理せず二周期、あるいはもっと待って書く。言葉のあり方から見直して変えていくことで、「機」による言葉のリズムはいずれ、音のリズムとして機能してこないだろうか。