筋目書き(十)
下呂 gero (11), 2009
たき木、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。
しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。
しるべし、薪は薪の法位に住して、さきあり、のちあり。
前後ありといへども、前後際断せり。
<道元>
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筋目書き(十)
ここを離脱した場にいた、だがいま、たしかに時のなかにいた。そうやって音楽はただただあらわれては消えていく。だがその時間は歪んだ空間のあらわれであり、鬼や死者の出現しうる場といえるかもしれない。時間が滅したとき鬼は去るが、鬼を出現させようと目論めば鬼はでてこない。音楽は何のためにあるかと問うよりも、それ自身が何者であるかという答えのない問いの断続的な動きそのものである故に、音楽自身がいまここに生きていられる。人間と似てその儚さゆえに、いまここに多様にあらわれる存在である音楽は鬼をまねく。この音楽の時間は、水平的で歴史的な連続性のうちにあるのではなく、あらわれては消え去る垂直の重なりのなかで断続的、断片的に生じる。ここに音楽の写真的断面をみる。ふと聴けば死者がやってくる。眼に飛び込む遺影は死者をよみがえらせる。言葉を断ち切れば祈りのなかにいる。
● 正法眼蔵の「現成公案」から。薪は薪のあり方があるのみであって、薪と灰、その前後は違うが、灰はあとであり、薪が先であるとせず、前後を断ち切ることによって開かれる目覚め。「今ここの私」の現に従ってあるべきように生きる「前後際断」の自己実現のあり方が説かれる。それはだが、いまのままでいてよいということでもない。音楽、写真、言葉そのすべてにこの訓示は示唆的である。子供が鬼になったり突然自分に戻ったりするのを最近とても面白く思っていた。
● 晴れた日、家から遠くに豆粒のように微かにその影がみえる岐阜城、あらかじめそれだと知らなければ、それがどんなものか誰にもわからないし眼にもとめないくらい小さい。一度そうだと教えられて名付けられればそれら二つが同じものという認識は容易だが、間近で城をみると姿はまるで異なっている。それらは違うのだ。鬼と自分がかわるがわるあらわれたり、城の微小な影が城であるという既知の認識を超えるのは、座標的時間と空間の認識から逃れ、その隙間のなかに漂ったときである。三次元を二次元にあらわす絵画的平面やレンズの写す写真平面のように、空間概念がいまにも滅しようとするときたしかに時間が生まれるが、空間はどこかに消えてしまうのではなく、この時間のなかで歪んでみえている。歪んだ空間のなかを動く音がさまよい、音の停止によって空間の歪みが再び滅するとき、鬼は幻影を残して去り、城は城ではなく城の影となってあらわれる。この影は、水平な時間軸の先を行く新たな幻想やイメージをあらわしているのではなく、もとの空間の変貌にすぎないし時間の前後関係のなかに定義されない。しかしこの影が出現したとき、音楽のうちがわに存する遥か昔から変わらない一つの様態を感じる。この様態のどこかから分岐するように、いまここに断片化してくる音、その音の重なっていく時間的経験のなかで、いまここに自己が目覚める。空間の変貌はこの自己の覚醒と連関しているのかもしれない。「いまここ」は私を縛る、あるいは私から逃げるための場ではなく、私の目覚めをもたらす積極的契機であることによって、心は深く満たされてくる。
● 古代の人たちは心臓の鼓動と神経の鋭敏な知覚を同時にはたらかせながら、ただただ音楽と踊りに集中し、同じ場所で空間を変貌させ死者をその影へ溶け込ませることによって、魂を肉体から解放させた。音楽的時間の実りがあたかもその目的や到達点のようにみえることもあるが、音楽という時の魔術はあらかじめ目的をもたなかった。死者と同化することで死者と自らの魂を苦しみから解放させ、死者とともに生きるプロセスが音楽であり踊りであった。そのように想像する。禅もある目的に達するための手段ではない。