筋目書き(四)
下呂 gero (5), 2009
心月孤円、光呑万象。 光非照境、境亦非存。 光境倶亡、復是何物。
心月孤円にして、光は万象を呑む。
光は境を照らすに非ず、境また存するに非ず。
光と境とともに亡ず、また是れ何物ぞと。
<道元(正法眼蔵「都機」より)>
..........................................................................................................................................................
筋目書き(四)
光は物を通じて影をうむ。光なしに影はなく、影なしに光はみえてこない。光の集積が底流している現実には、それだけ影がある。物質によって光にも影にも濃淡があるから、より世界は複雑となって、とどのつまり水に映る円い月のようにものとものの区別はなくなるかのごとく、全てがみえてくる。写真は光の痕跡、現実の影(あるいはネガ)であり、光が物質の動きを惹起しながら写真に何かをうつしだす。物質を介して影を聴きながら光をみる行為である写真は発見をもたらすが、発見は偶然の出会いから生ずる賜物であるといえる一方で、物質が光と影を宿しながら動いた必然的な軌跡がその姿をみせた一断面ともいえる。光と影の対立やその一方から他方をみるのではなく、光と影とが物質を介して分離しながらも混在している一瞬を記録する写真は、偶然と必然の接点にも位置する。こうして写真は光と影の接点である物質の、偶然と必然の接点に生じる運動を内包している。この物質のふるまい、運動の力によって、写真というネガが人間の感覚を通じて現 実へと再現像され、さしもどされるとき、写真に身体的な意味が生ずる。物質に情が宿る、情が物質にのりうつると知るのは、そのときである。
● 正法眼蔵「都機」(「月」の万葉書き)のなかで盤山宝積禅師のこの言葉から道元が語っている箇所。禅は勝手に解釈してはならないものといわれるが、道元のことばのあり方を尊ぶがゆえに、今回も事実上その定めを破ることになる。良寛が道元にあこがれながらもそこから離れることに よって、あの時代、近代を知らず知らず宿していた良寛(吉本隆明氏の良寛論による)、夜中に動けず放尿し翌日の介抱を待っている辛さを詩に綴った良寛、そのような良寛に私はあこがれる。 ●十年以上もまえのこと、私にアネモネの花の絵を描いてくれたあの人のことを思いだしながら書いた。彼女は老齢で、皮膚のひどく重い病だった。病室で苦しみ、辛さに心はおしつぶされ、毎日、文字通り「のたうちまわって」いたのだ。私は彼女のことが気が気ではなかったし、ろくに眠れなかった。自分にできることはすべてしたつもりだったが、いくら私が疲労を感じていても結局は微々たるもので、非日常の連続は自分の無責任さを身体にどうしようもなく痛感させる。心もそれをついに隠せない。客観とされがちな科学が情を遮断すれば主観的な問いは発生しないが、そうはいかない。何かを負うて人間どうし、お互いが立ち続けなければならないが、彼女とその病の存在は、あらゆる言葉の問いを超えていた。一医師の私は担当医の仕事として必要だった記録として、皮膚のすがたを経時的に撮らせていただいた。皮膚病はそれなりの撮り方もあるが、そういう制約を超えて、現実を照らしている光が彼女の皮膚を皮膚たらしめ、その生々しい身体のすべてを通じて、その身体の影をはっきりと映し出していた。病にも美は宿るのだ。彼女は一度退院して私は異動で病院を離れたが、その半年後に亡くなられたときいた。石井恭二氏は「都」ということばの傍注に「すべて、また美。」とつけている。「機」は一般的には「機用、はたらき」のようだが、「動き」とするほうがより射程が広いとおもわれた。 ●現実を追いかけることで記憶がふと偶然、呼び覚まされる写真は、光と物によって生み出された影から、再び物を通じて光をみつめなおす自発性をおのずから私にうながす。写真に光か影か、物質か情かを問うよりも、写真自体が情と物質とが相互に溶解し、ものごとへと立ち上がる運動の目撃者であるといえないだろうか。写真を撮る行為は、いまここの音の行方を追うことに、そして写真は、音の過ぎ去った軌跡の記憶に似ている。