筋目書き(二十二)
金沢 kanazawa , 2011
経は、微塵を破して出現せしむ、法界を破していださしむるなり。
<道元>
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筋目書き(二十二)
数時間も生存できないだろう山頂に歩みすすむ登山家の薄れかけた意識のうちにあって、強靭にも保ち続けられている意思が身体のどこか残されてあるだろう。寒さを通り越した山頂のあたたかみのうちにあって、眼に写された氷河から析出する一滴の氷柱に映る光の粒に満ちてくるいま、いま、いまの断ちきられた連続に自己と世界の記憶のなだれ込んだ極微小の虚空面にすべての影が投機されてあるだろう。写真は単なる意識の記号ではなく誰のものでもない意思と葛藤の織り込まれた世界の無垢、その光像として撮られてここにある、そうであるならあらゆる死者の顔の温もりあふれる表情が宿っているだろう。写真に呼び起こされた粒子の一粒一粒が音の粒の束となって生起し躍動しながら遥か遠く知覚されない彼方へと消え去ってゆく。だがいまここに水中に映る月のように知覚の静かに蘇生し目覚めるように俄かにたち現れた鏡の水面に、あのとき撮られなかった世界をうつす写真、音にならなかった世界の聴かれる音楽が揺らぐ。カメラに撮られ音に聴かれることによって存在しだすのは、写真ではなく音楽ではない、動き続ける世界の時間の乱調にあらわれた聖なるイメージの痕跡である。
● 正法眼蔵の「仏経」から。「経は、微塵をも破って極微を出現させ、全事象をも破ってその真相を出現させる」。イメージの極微、あるいはイメージの根源を追い求めればおそらく、写真や音楽という世界の一断面はそれ自身において破られなければならないだろう。
● お盆休みに瀬戸内の直島を訪れた。日頃の疲れをとろうと思い家族で行ったのだが、民宿で束の間の一人の時間で昼寝をしていた。起きて時間をみたらデジタル時計が3時11分を指していた。扇風機の音の響きが津波の犠牲者の間接的な記憶と想像にこだました。扇風機の音の内部の領域に数日で死に行く蝉の音の波長を聴いた。想像できない津波の轟音に似ていただろうか。どうにもならない感覚に何分か見舞われたようだったのであるが、そのあとで思っていたあいまいな記憶の残像を辿りながら書いた。半分は夢だったのかもしれない。島の雰囲気にわずかではあるが浸ることもできたし、安藤忠雄氏の建築の美術館を訪れ、施設に宿泊しながら現代アートプロジェクトをみて考えることもあったが、数分とはいえ、3月11日を如実に思い起こす時間が個人的な体験として最も尊かったにちがいない。
撮られなかった世界がいまここの残像としての写真であり、弾かれることのなかった世界がいまここの残響としての音楽であるために、写真と音楽という一つのあらわれであり境界面が自ずから破られ、何か未知なるものが過去から生まれでるための記憶と契機としての日付であり身体の記号でなくてはならないと、光の照りつける島で歩きながらぼんやりと私は考えていたようだった。記憶は各々のなかで変貌するにせよ、死者や犠牲者からの情念の在処が風化しないために、そしてあらゆる情報にかき乱されるなかで純度の高い想像力そのものが生き残されたものの内側において欠如していかないように、日頃から自分自身に向かって写真を撮り、音を紡いだり、何かを思って書き留めていく行為への意思を保ちつづけることは極めて大事なことだろう。
今回も一気に書いたのだが、即興ということを思いつつも、即興から即興という思想をはぎ取っていくことのなかに思いや想像されるものごとが暫時生まれてくる、そのものごとから生ずる微小な個体の変化と実感が即興における名付けられない生産性であって、この時代を生きる土台となりうるかもしれない。即興によっては直接的には深まらない場所もあるが、一方で即興性からかけはなれた思考の深まりによってかえって切り捨てられるものごともある。作品のなかに即興的要素を意図的に混在させ双方を交差させる意図を持つというよりは、各々がどこかで意図を超えて自ずから同時的に生じていること、そのことが差異と反復、生成と消滅となってあらわれている、そうした世界の原点に、いま立つべきであるように直島で感じていた。そして同時的混在こそが島そのものの時空のもつ魅力であったといまも感じている。あたりまえの時空であるからこそ未知なる領域に満ちている場所に、絶え間のない動く世界のイメージの痕跡がみえだし、聴こえてくる。
偶然性や瞑想さえ何かの装置や作品に作為的に組み込まれ、見方や聴き方すらが作家の意図の手中に決定される。そのことから結局のところ逃れられないのは、情報過多と近代への反動というよりもそれに溺れている無意識の裏返しといった方がいいのかもしれない。いついかなる現実にも存在しているあらゆる音、あらゆる写真をいかに見て聴くか、この受動的であるがそうであるからこそ能動する意思が芽生えてくる。いかに弾くか、いかに撮るかよりもいかに世界を聴いたか、いかに世界を見たかということから常に音楽と写真という行為は始まるのだと私はおもう。「撮ること、弾くこと」よりもより根源的である「見ること、聴くこと」へと「撮ること、弾くこと」が回帰しながら同時進行する行為のうちに極微的なイメージの断片はあらわれるのかもしれない。
ジョルジュ・ディディ=ユベルマンは「イメージ、それでもなお」においてこう書いている。「イメージをみながら、それらのイメージが何の生き残りなのかを見て取ることができなければなるまい。歴史が、純然たる過去(この絶対、この抽象化)から解き放たれて、われわれに時間の現在を開かせてくれるものとなるために。」