筋目書き(三十三)
高山 takayama, 2012
空をうちてひびきをなすこと、撞の前後に妙声綿綿たるものなり。
<道元>
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筋目書き(三十三)
音という門、光という門は今ここの虚空にある、だから空を打つように弾く、空を打つように撮るとき、打つ対象が同時に打たれている自己でもあるならば、生じた音と写真は自己でもなく対象化された世界でもなく自己と世界の差異のなかにすらない響きの真っただなかに立っている。権力の挙動と自他の関係性の硬直化からのがれつづけ何かと何かのあいだの相対的差異すら実体化することがない、そのことのうちに自生してくる境界の膜面、うごく音の内部の静的世界、とまった写真の内部の動的世界において、生の内側が死である浮世に漂泊しながら膜の前後に発現する音は虚空からの教え、膜の物質へ定着した光は空から生じた存在の痕跡であり、それらは絶対的無名の徴であり絶対的善への瞬間的起点でさえあるかもしれない。音楽と写真は、私という名の虚空が音と光の門をたたくことによってこそあらわれだし、はっきりと姿が見えず音の聴こえない虚空をこそ打ちつづける高密な身体のはたらきのなかに生じた現の微かな色であり、それが同時に虚空そのものの密かなる現への兆候と現出でもあるならば、世俗の王に敬礼しまた抗しまた世捨て人として現をわたるよりも、あらゆる法と境界をじわり超えだし記憶の底から蘇るようにしみわたってくる音の現への響きのなかで苦行を楽しみ、内部が外部であり外部が内部である写された世界の再現しているいまここに立ちつづけ、何かが何かに結ばれる何かを信じながら自発的行為が自発的に形成する門をたたく場に目覚め、暗い世界のどこかにいまも綿々とただよっている虚空の声を能う限り鋭敏に聴きとりつづける行為が、現の未来への橋となり詩をかたり歌を呼ぶ緒の眼であるのだ。
●正法眼蔵の「弁道話」より。今年という年の最後に一年を振り返りつつ、政治の大事な変わり目に影響されながら私の今ここを書いた。昨年末は高野山ですごしたが、この年末年始は少しだけだが熊野道を歩きにいく。いま大事な音が、命の最後のまだある息のように、良寛の言葉のような響きわたる最微弱音でありたい。その残された消え去る息の息吹の実相が、太く深く尊い場所からやってくることを寒さと静けさのなかでふたたび実感したい。死の手前、あるいは何かの生まれでる一歩手前において響きわたる世界に私はいつもひかれる。今年は言葉を書いてきたことによって自分が演奏し写真をとるという行為の意味が納得できつつあることが大きな成果だったように感じる。
●写真は高山市奥飛騨の禅通寺、撮った記憶があまりないがそういう写真はいつもなぜか魅力がある。確か朝五時頃。ここ数回は頼住光子氏の「道元の思想」を読みながら言葉と身の回りの出来事との出会いに従った。毎年毎年同じように、私はまだ人間の門をたたいたばかりのように思えてくるのだが、筋目書きは来年も続けてみようと思う。