筋目書き(二十五)

R0014588
写真は静止した細部を見ることを可能にする。忘却を忘れること。観察でなく見ざるを得ない物体としての細部。言葉が捨て去られていく罪の意識のなかに言葉を発見していくという背理において、外部の存在との偶然の接触が生きるための必然的契機となりうる。猫の死体の横たわる車道の狂気は、病に伏せる人間の肢体を慰め続けてきた飼い猫の眼のなかに透き通る遥か彼方に生きる光を映し出す。私は目覚める。呼吸を機械に支えられた筋肉の動かない病に生きる細い肉体の傍で叫ぶこともなくただただその眼で何かを深奥から語る沈黙の音が、この鼓膜をふるわせこの身体を屹立させるのだ。殺すな、お前がこの人を生かし続けよ。人間が動物を飼いならしてきたという人間の人間による人間のための論理。気配を察知するのは忘却されその記憶すらなくなったかにみえる存在を感受する原始感覚の目覚め。その境界に投じられた引き裂かれた猫の血みどろの死体。外部の一撃によって目の眩んだ瞬間に生じる自我の起源は、都合のよい記憶の箱にはなく人間が忘却を免れえない罪の意識のうちにあるのかもしれない。写真と本文へ… to photo and read more…

筋目書き(二十四)

R0016086++
写真が語っているとき写真は音を呼ぶ。写真のテクスチュア、文脈や展開、形式による物語性から鳴りだす音楽は主情の影の一型になりうるが、音を呼ぶ根源的契機は視覚に掠め取られた写真粒子のかたまり、次元を剥奪されてはいるがかろうじてかたちをなしている物体のかけがえのない痕跡がこの身体を透過する亡霊の聴取にある。写真から何が聴こえたか、写真の音をどう観たか。光のなかの闇、モノクロームのなかの色が音であり、音楽は無ではなく光と闇の隙間に揺らぎうごめく淵から出来してくるようだ。写真を視ながら音を待って弾くとき、聞こえないがここに聴かれた音と弾かれ聞こえている音の隙間で主情と物の怪が交差する。言葉が言葉の光と闇を忘れ去るとき人間は死へ向かって歩きはじめるのではないか。写真と音楽の間に我が身を立たせることは光と闇の間隙に立ち、忘れられた言葉の身体の糸を紡いでゆく試練としての行為かもしれない。写真と本文へ… to photo and read more…