筋目書き(四十一)雨月8 白峯の瓦礫

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「現存するものを、破壊的性格は瓦礫にしてしまうのだが、それは、瓦礫のためにではなく、その瓦礫のなかを貫いて通る道のためになす業なのだ。(W・ベンヤミン『破壊的性格』)」白峯においての崇徳院は、今回の引用断片に示されるようにベンヤミンのいう「破壊的性格」をもつように思われるが、同時にこれほどの予言者が他にいるだろうか。すべては崇徳院の言う通りに歴史は描かれる。理解されることのないまま、誤解されるがまま生き、流動に生きる実存の破壊者が、同時に未来を予言しているという背理に魅かれる。崇徳院にはあらゆる場所に道がみえていて、道筋の裂け目、歴史の先端部にいつもその身体があるようにみえる。それは即興的でもありながら作為的でもあり、なおかつ予言的でもある。音を出すことにおいて、世界を破壊し汚すことの粗暴な力ではなく、その洗練された意味をここに見てとってもいいだろう。…写真と本文へ… to photo and read more…

筋目書き(四十)雨月7 白峯の音楽

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「<言葉には拒まれているものへと至る>…言葉なきもののこの圏域が語りえぬほどに純粋な夜のなかにみずからを開示するところにのみ、言葉と心をとらえる行為とのあいだに魔術的な火花が飛び交い、そのときそこには、言葉と行為というこの同じように現実的なものの一致があります。言葉たちが最も内奥の沈黙という核のなかへ入り込んでゆく、その内部集中的な方向だけが、真の作用をもつに至ります。W・ベンヤミン『マルティン・ブーバーに書いた手紙』」白峯はまだそれとは知らされぬ西行の枕詞の、いわば言葉の遊びからはじまるが、この言葉の遊びは西行の停泊から一転して、西行の修行という行為へ、さらには西行の内部へと入っていく。西行は一転、旅の疲労を癒すためにではなく「観念修行」のために足をここにとめたのだ。その場所で西行は何の気配を感じたのか。あたりに響きわたる崇徳院の、音のない声なき声に導かれたのか。西行の観念修行の背景には、崇徳院の沈黙の声があった。西行はその沈黙の核から生じた声のあまねく音楽を感じ取って聴いたのだろう。…
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筋目書き(三十九)雨月6 白峯の声

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イメージの影は確かに短い。光の照りつける正午にものたちは最も輝いているから、象られたイメージは正午に立ちあらわれる。ガルシア・ロルカなら「午後の五時」に託された神秘。そしてイメージはからだのどこかに固着されるが最後、イメージではなくなる。イメージは去りそれに取って代わられた記憶をたどってみても、そのときにはもう戻らないし再現もできない。いまここにおいては、イメージからこぼれ落ちて定着した感覚の痕跡、その言葉の瓦礫が無惨にのこっているだけだともいえる。それでも、「過去はある秘められた牽引を伴っていて、それは過去に、救済(解放)への道を指示している。実際また、かつて在りし人々の周りにただよっていた空気のそよぎが、私たち自身にそっと触れてはいないだろうか。私たちが耳を傾ける様々な声のなかに、いまでは沈黙してしまっている声の谺が混じってはいないだろうか(W・ベンヤミン)。」…写真と本文へ… to photo and read more…