筋目書き(二十八)

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いまここの満たされた不完全さ、そのわずかな差異の音が人生に染み渡って時空を染め上げること、わずかな音とわずかな時間で表現し尽くされる短い俳句のような、静止した音と沈黙の間隙をぬっているのは人と人のあいだの、人間の混沌の上澄みをすくいとる澄みわたった動き。寸前の音の記憶ともちがう一瞬の一音に浮遊するすべて、凝集された一枚の静かな写真、間に浮遊する音の断簡。音の動きと音と音の間に映された止められた時間に開かれた一枚の曼荼羅空間。大袈裟ではない生の凝縮された密度の高さ。横に行き来し縦に語り弾き継がれる絹の道。誰もが誰でもなく、何者もが何者でもない場所で、いまここにある存在の偶然の出会いが時空の内部で傾斜し衝突しながら作用して生じる音。外部、すなわち内部と内部のあいだで何かがこだまし、混沌が混沌自身によって内側に沈静化されながら微かな音となって外側に飛び出すように沈殿しながら消え去る。音によって存在しだすのは人と人の間にある何か、音に投げかけられ間に浮かんだ問いが、人間性をこえた人々の間にただよい浸透する、問いそのものが即座に答えであるような音楽。写真と本文へ… to photo and read more…

筋目書き(二十七)

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分化し、二度と戻らない人間の自然をこの内部に見つめるなら、死の克服に取り憑かれた意思や夢の技術に対極して、生の儚さや微明のなかにこそこの身体を浸さなければならない。静かな空間と音色の質感を小さな条件としながらも、生の手まえで静まる凪風を契機として体内を風の音が吹き荒れ、生の欲望が死のエロティシズムに洗われるように変容しながら無に退歩してゆく身体のプロセスのなかで、つつましくもどこかはっきりとした口調で、生まれることのなかった胎児の言葉が音に呼び出されてはこの欲望をなだめようとする。死者に贈られる生きて輝く花が惜しまれるように枯れて、姿を変えながら死へと同化して還っていく、そのように静かで遥かなところから到来してきては形にならないままに消えていく束の間の音の時間にひたりながら、絵になる手まえの空間、だから決して世界にそのまま刻印されない空間で、生死のあいだにただよい浮かんでいる皮膚のような生地に織り込まれているぼんやりとした影の花のかたち、死者の音の光をはっきりとみとどけること。写真と本文へ… to photo and read more…

筋目書き(二十六)

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有情は無情の際に立ち上る。主情としてのことばはそのあいだにある。「方丈記」にみられる基調は此岸の写真的ともいえる無情世界、だが文体は音楽的で言葉に織り込まれた音の律動を通じて彼岸の時間的軌道、無常を同時に生きる。書き言葉の鍛えられた推敲の上についには言葉への恐るべき諦念によって彼岸への道は断ち切られるが、そのプロセスとしての書き言葉の存在性によって起立した余韻の沈黙のなか、逆説的にも書かれた言葉が永遠に生き続ける。吐き捨てられることでプロセス自体の存在性が際立つ二度と戻らない言葉。対して「雨月物語」の底に聴かれる基調は彼岸の幻想空間としての音楽的世界、だが文体はむしろ写真的なリアルさを徹した話し言葉の息に依って立ち、間近に接しながら浮遊してくる写実空間が身体に乱れ入って幻想的彼岸へと転化する。冷徹でそぎ落とされた言葉の切迫性がそのまま此岸と彼岸の静寂、畏れと狂気に直結し、終わりが再び物語のはじまりでもある有情の永劫回帰する言葉。幻想と同時的に現実は存在しだす、だから非現実こそ現実の化体であり正体でさえあって現実のなかの物事的記録をこえた多様な存在性をみなければ人間精神の機微はあらわれてこない。いまなお長明や秋成の言葉のように、近代に生まれた写真は現実の静止した映像の痕跡、リアリティの所在を事物の余韻に写すプロセス、音楽はみえないものの語りを聴く場、主客に聴いて主客が一過同時的にこの幻想現実の場に入り込むプロセスが問いかける経験。何かのことばを自他に目覚めさせ呼び込むための音と写真、そのことばを磨くことで音と写真の際に立ってくる言葉の軌跡。写真と本文へ… to photo and read more…