筋目書き(十九)

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道は世界から抑圧され制限された意識の抽出する何者かではなく決定されない自信のうちがわで思いがけない形で生じる、それが瞬間的で瞬発的であるからこそ深く開放的な海底の闇の明るい空間へ自他を同時に放り投げ、他者を慈悲深く待つゆるやかな時にあらわれる自己をみつめる。自信はこのもう一人の自己の出現を待つことであり、結果から正否が分かれるように生ずるものではなく身体的鍛錬や論理による自己規定の徹底でもなく持つべきものでも持つものですらもない、世界のすべてが根拠がなく確信のもてない生起であることを感じつつ権力と強力な自己決定、この見知らぬ顔をしながら忍び寄る謂れなき暴力からのがれるように時空の非対称なゆらぎに智慧と観察と空しき心と即興的身体を混在させ髪をむしりながらも何かを覚悟してゆくプロセス、自らを足場にいまここの定めを脱ぎ捨てる意思の言葉、自信こそ希望への道標である。写真と本文へ… to photo and read more…

筋目書き(十八)

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質量なき無限の素粒子で満たされているにちがいないこの世界に生じているあらゆる声は、いまここにあらわれては物質を透過し消え去る波、音の余白に密着する身体の影。心は意識できず身体の影のようにあってつかみどころなく声とともに動く。輪郭をもたない陰影、白い微光を余韻に浮き立たせる声の言葉は、意識の表象ではなく心そのものから生まれる。耳で聴くのではなく音楽に身体そのものがかき乱された心の余白その虚空に再び開かれながら死の明るさに映されては消えていく、語りが呟かれたかのごとく死から生まれてきたかのような声の言葉に立ち会うそのとき、現にいまだ遺されている身体その重さから解き放たれつつある重さのない心が世界に浮遊しながら言葉の波動をただ響かせ、その残響が鏡となって微光の反射に呼び覚まされた私はいつの間にか何かを書いている。若冲の描いた残月の仄かな光明に照らし出された竹の葉の不規則な逆三角形の影が死者の心の風にゆさぶられて動くそのとき、絵に死者の音楽を聴く眼は心のほか何者でもなく、私に心はなく心は私ではない。身体が私ではない心息を吐く行為、言葉が声であり声が心である音のない音楽。写真と本文へ… to photo and read more…

筋目書き(十七)

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遠近法や面を区切るものとしての線からのがれ、墨の筆線と余白の面の境界をじっとみつめる。次第に浮き立ってくる淡白い存在を眼に宿しながら転じ、線が余白から動き線に余白が囲まれれば面があらわれ、面の縁を再びながめてみれば線ははじめとちがった次元にみえてくる。静止した白と動的な墨の境界に浮き立つ亡霊に魅せられるように、線と面、動と静、時間と空間の相互浸透に自我が溶け出せば孤独は断ち切られる。表現で痛みを示すかわりに、痛みを時空に滲ませ交感し、交換しながら孤独同士を隙間に緩衝させるあり方。一つの音を聴き続ければ音は音でなくなる。音と沈黙の輪郭を息が描いているなら、音の線が音とその余韻、さらにその境界にあらわれながら漂う息の音楽は、音の力とは無関係に緊張を保ちながら、過剰な情を和らげる。吐息は時空の圧縮された生命線。音の線が霊を呼び起こすなら、音の余白は霊を鎮めるのかもしれない。写真と本文へ… to photo and read more…