夢枯記002 Joel Grip | Pickelhaube

contrabass sololpumlaut records2012
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Pickelhaube_Front

今日、コレクションからランダムに選んだLP。天候は薄曇り、寒く、かじかんでいる手で引き抜いてみたらこのレコードがでてきた。ジャケットを見るとE線からG線まですべて裸のガット弦のソロのようで、昼下がり、聴く意欲が高まる。これだけみても、今を生きるベーシストが世界中にいるのだとわかってどこか勇気をもらうことができる。それだけでも、聴いて日記を書いていく価値があるのかとまずは思いながら。

かけてみるとやはりガットに銀も銅も巻いていないような音がしているため、音量を最大限にして小さな変化も聴き取れるようにした。技術的なうまさにかたむかない情熱のある放埒な硬い音で、弓弾きも大体がパワフルだ。アナクロニズムのように時間をかなぐり捨てるような音の連続という印象で、音と人間の洗練のためではなく、時間の消滅が主張されているように聴こえ、未来を意識した強い意志力を感じた。僕もいまA線からG線まで裸のガット弦をつけていて、音楽の方向は全く違うので、夢をみているというよりか、音のつまずきを受け止めない、もしくは飛び越えて受け流しているのか、そんなことが分かりたいと途中から脳みそが考えだしてしまったようだ。でも特別な理由はないようだし結局それはこちらの取り越し苦労で、ガット弦の雑音成分と、ある種の耳のとっつきにくさに耳の摩擦が反応しながら、「消滅された時間」を過ごした。音塊の密度を限りなく高めるという方法も、時間を圧縮するのに有効なのだろうか。ある場所では奈良原一高さんのぼやけた牛と遠くに教会の写っている写真の記憶がでてきたりした。

そういえば、こうしてアップしてみると、ジャケットもベースが止まって浮いている。裏ジャケットは、表と同じような場所をJoelさんが弾いている前を自転車が通り過ぎているブレた写真。上のようなことを想起させることが主眼だとしたら、それに成功しているアルバムだろう。

音質について言えば、ガット弦は寒さが吐く息を白く濡らすほどに冷たくはないけれども、すべてがあたたかいばかりでもない。それでもどこかで演奏者の主張をこえて、畑のうえにそそぐような太陽に音楽が守られているように感じる。とても土臭いけれど、それでもどこかでとても遠い未来の音がするのは、裸のガット弦で奏でられるコントラバスの音の特質なのだろうか。