夢枯記011 Renaud Garcia Fons | Légendes

contrabass solocdenja records1996
http://www.renaudgarciafons.com/



011Renaud Garcia Fons – Légendes

「solo bass」とジャケットにあるからベース以外の楽器は使用されていないのだろう。12曲入っているが、音が何らかの方法でミックスされているものがほとんどだとおもう。持ち前の経験と技術を駆使し、雑音成分を排し、あるいは雑音をとてもうまく取り入れながら、ソロにできるすべてをミックスしてあそんでいるのか。さらにそれらをも凌駕するところをめざしていくようにも一見聴こえるが、エレガントで美しいメロディアスな旋律、超絶技巧ともいってよいマルチベースのいわばスター的演奏だと、一曲目から感じた。ジャケット写真はそのマルチさをまずは示しているのだろうか。

創作してしまうということへの根源的な畏れといったようなものはないのだろうかということが頭をよぎりだしてから、天才的な技術とうまさ、その凄さへの念を一方でいだきながらも、僕は考えることをやめて感じながら聴くことも、途中で一時やめてしまったような気もする。ある居心地のよい夢のなかにはいたのかもしれないが、困ったことに僕の身体にひっかかってくるものがほとんどない。聴くにしても弾くにしても、何かにつまづき、ひっかかりによって身体的なゆさぶりとカオスが呼び起こされるというのではなく、音が透明なガラスの中に、どんどんとけ込んでいく。質感までが透明なガラスの夢は、そこにあるようでもみることはできないし触ることもできないから、枯れるという感触もしない。見た夢は透明なガラスのわずかな感触だ。知的にコントロールされた身体の影が、ガラスをわずかに擦っている。弾けてしまうことへの拒否感、拒絶感、あるいは肉体的な溜はほとんど感じられない。ジャケット写真のもう一つのイメージともいえる息吹かれる風のようにもこの音楽を聴くことが可能かもしれないけれど、風を吹かしているあの溜は、この音楽の一体どこに聴きとればよいのか。技術には感嘆することもあるけれど、その溜まりをも吹き飛ばす音の風の密度も感じられない。

しかし、エンターテイメントという割り切られたクールな音楽でもないように聴こえるところもあって、よく聴けばそこに何らかの苦心と、その苦心へのすばやい身体的反応、身体的対応が聴こえてくる気もした。この身体性に大きく支えられながら通して聴くことができたのだが、中東の匂い、ジャズの香り、フラメンコ的旋律などを経て、10曲目、タイトルの「 Légendes」という曲は、さすがに聴かせるものがあってうれしかった。低音の重奏からはじまり、弓のアタックの響き、速度ある弓のソロがつづき、演奏者の身体が音へと入っていく緊張感は、技術的要素を確実にこえて、何か遠く先にあるものをつかみとろうとし、その場所から奏者自身がさらに呼ばれている。これほどの技術の持ち主ではどうかわからないけれど、主旋律とは別の遠くになっているミックスにも聴こえる僅かな音は、効果を狙うというより、その声に答えようとしたものにも感じられた。Renaud Garciaさんの音楽の幹は、このタイトル曲に注入されてつまっているのだろうと感じた。