京都 kyoto(6), 2008

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雨が降り続いている
今日もまた雨が降っている
雨が地面と草と音を出しているのか
私が雨の音を聞いているのか
音といったとき
それはすでに言葉でもある
私というひとつの有機体にとって
雨はひとつの他者である
雨の音を聞くとき
聞いたその音は
すでに消滅している
おととい聞いた雨の音と
今聞いている雨の音
音を意識したとき
それは私のなかの言葉と否応なしに連関する
言葉はひとつの音なのだが
それを雨そのものととらえたとき
はじめて人の言葉と人の言葉が響きあう
言葉はひとつのエゴである
音という言葉もひとつのエゴかもしれない
だが雨はエゴではない
雨と私の聴覚を通じての摩擦
音の選択ではなくその摩擦自体のなかに言葉以前の音がある
そうした音の響きあいが底辺にひたひたと流れている
その土壌から「あること」の哀しみというべきものが
ひたひたと心にしのびよる

今私の左目はおそらくウイルスに侵されている
結膜は赤くなり涙が否応無しにこぼれ落ちる
明日医者にかかれば休んでそして眼帯をすべきと言われるだろう
今日はサングラスをかけ目をこすらないようにし
目の痛みと音のなかに生きた
岡本太郎美術館へ久しぶりに行きそうした眼で岡本太郎の韓国の写真を見た
太郎は写真家ではなかった
ユージン・スミスは写真家であった
二人は正反対の位置にあるが特に数枚の写真は正反対でありながら共通する何かがあった
北と南といったときそこにはどこか似た響きがあるように
そして催されていた美術家の李禹煥さんの話を聞いた
最後に私は思い切って李さんに質問した
韓国における聴覚文化について
李さんは具体的な話をしてくださった
その場は一つになった
李さんはハンセン病の人が玄関の外にやってきて
自らの苦しみを謡ったという話をした
健康なものたちが私の魂を吸い取り私はこうなった
私は生き返ったらあなた方よりより生きるのだ
そのうたは健康なひとびとへの痛烈な響きだった
その嘆きによってその場は深い深い哀しみに包まれたという
雨の音を聞くことのなかになぜ哀しい響きがあるのか
それは人間が聴くことのできない
大地と海の息吹としての音の根が横たわっているからだ
その音の根
息吹はなぜ哀しいか
そこに死があるからだ
その根は聴くことはできないが
いわば動物がそれをいち早く感じ取るように
人間の心にも響きこだまする

視えないから聴こえないからといっても
視えるから聴こえるからといっても
視ることも聴くこともそうした響きとこだまのなかにある
きこえる音ははかない
そこにみえる風景もはかない
そしてその音と風景は
太古から揺るぎないものであり続けている
その忘れることが決してできないことが
人間のエゴによって忘れ去られようとしている
忘れたつもりになっているとしか言いようのない有様
だがそれはそこにあるのだ
だから忘れることはできない
そこへ戻り新しい聴覚と視覚を練り直すことだ
それは構築することとは違う方法
先へ進もうとしても壁はそれだけ
大きくなるばかりなのかもしれない





京都 kyoto(5), 2008

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今、私と私のまわりに最も必要なことは何か

そこに抱擁をともなう言葉と音楽

眠り
聴くこと

目醒め
視ることの復帰





京都 kyoto(4), 2008

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外の雷と雨の音を静かに聴いて
ひとつぶひとつぶの雨の落ちる音の差異と強弱
雷の怒濤の低音に耳をひらきつつ
雷音と雷光との隔たりを感じつつ
愛知でも猛威を振るっている雨の当たっている人たちのことや
犬山のあの川は今の雨はどうであろうかと心はやはり落ち着かない

言葉を書きとめること
内省
言葉に導かれて
雷の爆音にたかぶる心を静かにして
時間をかけて何かを発見していく過程

だが内省とは別のあり方
何か別の言葉の在り方
ひいては世界の別の在り方があるかもしれない

そして書く言葉は文字

実際に手を動かし文字で書いていくその手は
ローマ字入力でワープロを打つ手より
言葉をはるかによく言葉として導くだろう

書が言葉の根源的な姿を心と身体で浮き彫りにすることだとしたら
そこには文字以前の言葉の音と
その音を言葉として発してきた人間の吐息があるはずである
そうした太古から文字が形成され徐々に変化してきたに違いない

とすればその背景に感じられるのは
自ずとつなぎつないで変化してきた人々の連綿とした営為

こうしてみると
文字にして言葉を書くということの根源的な姿は
これまでの人々の営為を背負ってその営為に敬意を払って
今を生きる私を通じてその吐息と音を詩にするということにあるだろう
そして詩はこの意味で音楽の根といってもよい

新しい言葉とは
この連綿とした営為をふまえて今ここに発せられる言葉にある

だがこの降り続けて止まない雨
この雷光の閃光と雷音の低音の時空の質的な隔たりを思うとき
今は一体どこにあるのか

そのような心の変化を経て
内省や思想や議論のための言葉とは違う言葉
感情のための言葉とは違う言葉のあり方が密かにしかし連綿と存在していて
それ自身が一つの世界であることに気付く

そうしてみてまた
雨のひとつぶひとつぶが地面に連打するその多様な音に耳を傾けると
雨は変化し続けている
そして雷光と雷音が一つの現象の違う形のずれであることにますます感じ入る
それを聴いている私がいる

そして思う
いかにそれが偉大であれ鋭くて意味のあるものであっても
一人の人間の思想をはるかに超えたもの
その根底にある大きな器であり
それを支える低音でありうねりであるような言葉があるのだということを

当然かもしれないが
私があるということのなかに言葉がある
それは人間が人間であることの必然への深い自覚なのだ

そしてその大いなるうねりの言葉を連ねて一つの詩にすること
その過程の基本はどこにあるのか

この鳴り止まないすさまじい雷音と雷光
そして変化し続ける雨のなかに
その在処を聴き取らなければならない




京都 kyoto(3), 2008

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写真を撮ること
考えを中断するための通路

止まってはまた思いなおす
また一日歩いてとまってはまた思いなおす

写真は終わりなく反射する
一枚の襞
息の通路
音の通路

私があり夢があり
誰のものでもない現実がある

私と夢と現実の
音と息の通路

視覚という重責を要請された写真眼から
視覚化された耳と息そして言葉があぶりだされ
聴覚と言葉の原始体
音が
写真のなかから外へと
もはや写真ではない場所へと呼びもどされる

その場所とは
言葉が言葉そのものであることによってある世界
言葉となった世界

言葉は音
息ある声

息づいた世界を
聴覚と言葉の原始体を
音の聴こえてくる静寂と世界のありのままの雑音を
くさった議論や押し付けがましい正義の言葉でたたきつぶすな

たたきつぶしたたきつぶされてしまう前に
世界というひとつの言葉を聴くことのなかに
世界に生きている自己をまず感受するのだ
エゴと非エゴの拮抗のなかに呼び起こされる
世界というひとつの言葉を聴くのだ

止め止められることによって動き出す
世界というひとつの言葉の
夢の通路
一枚の襞こそが写真だ




京都 kyoto(2), 2008

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ジャン・サスポータスさんと斎藤徹さんのご家族の皆様と夕食をともに過ごした

ジャンさんの眼は遠いところをみていて
なおかつ現実を直視している眼だ

ダンサーと演奏家と医者の本質は同じだという話をした
まさにその通りなのだ
私の求める場所はそこにある

ジャンさんは自己と他者双方に対して心底真摯であり
他者の他者性に対して心底謙虚であり
どのような人にも可能性を見出す

そして心底というのはどうして可能か
それは自己へのゆるぎなき信頼があることによっているだろう

自己への信頼とは
自己の鍛錬とその鍛錬を他者にむけて一生かけてやり続けること
そのこと以外から生まれるものではないのだ

そのことの果てに
決して得られることのない
自由なき自由があるのかもしれない




京都 kyoto, japan 2008

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京都でユージン・スミスの写真展をみた

写真はプロパガンダと密接な関係にある
写真が真実を語るとは思わないし
事物の痕跡が写っていても
それが実際の出来事の推移の証明になるかどうかはわからない
そして自然なようにみせかけて
実は瞬間を作った写真もいくらでもできてしまう

彼は写真を通じて何かの信念を語ることにおいて
いかにも真実らしいものそして美的なイメージを想起させる叙情的手法を
よく知っている写真家であった

そしてその写真の叙情のなかに
彼が信じようとした真実の
一種の苛烈と激昂をみる思いがした




犬山 inuyama(13), 2008

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この川がほんとうに好きだった

少し人工的で少し手入れもぶっきらぼう
だが微かに品がいい美しい川だ

そこに住む人々はきっとこの川を愛していて
なおかつ無関心を装っているような気配だった

ほどほどに手入れして
ほどほどに放っておくような
川への信頼感
ちょうどいい感じがたまらなかったのだ

川に面してずっと続く桜の木肌
猛暑の匂いのなか日の光が注ぎ眼が眩しくもあれば
川岸の影はグラデーション豊かだ

川は私に自分と対話する十分な時間がないことを知っているようだった

ここで楽器が弾けたらどんなにいいだろう
それが今の私の本当の夢だ
あらゆる意味においての夢


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(追記) 
 8/6の写真と同じ川の写真です。今日また出したくなりました。8/6はある方が瀕死状態になって救急車も呼ばずにやっとのことで駆け込んできた日でした。ボールペンを握って文字を書くのも全身に最後のありったけの力がみなぎっていました。私にとって特別な日でした。ずっとその日に心を備えていたのですが、帰宅すると思い起こされて胸のつまる思いで心が充満しました。その日のブログに同じこの川の写真を選びました。その方が亡くなった日は8/12のことです。どなたかが書いておられました。詩は自分のエゴで自分のエゴを消すことだと。
 私の言葉はまだまだ稚拙ですが、長年秘かにやってきた写真もそのような詩を含むべきものと考えます。ですが、写真を詩的雰囲気あるものとするのではなく、写真を写真としていくことのなかに詩的なものが生まれてくるのだということを忘れないようにしなくてはいけないと思います。私にとってこのブログは、まさにそのための訓練なのですが、他に向かってあることによってはじめてそのことは意味を持ちます。読んでくださっている皆様ありがとうございます。




犬山 inuyama(12), 2008

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いい写真はどうしても撮ってしまうし何でも写真になるものだが作品として残すとなるとまた大分違う

私はスナップ写真を主に撮っていて
わかりやすいいわゆるありがちな写真は撮れてしまうのだが
そういう写真は強度が弱いだけになってしまうことはしばしば経験する

撮影時にこれはいい写真になるだろうと思って撮った写真は
悪くはないけれど実はあまりよくないということの方が多い
いい写真というのは難しいけれど
何か突き刺さってくるものがある(と私が思う)写真だ
その場の感動やコレだと思って躍起になって撮ってしまった写真というのは
実はあまり突き刺さってこない

私ではないもの私のコントロールが効かなかったものが写し込まれている写真がいい
だからといって構図が崩れていればいいとかブレていればいいとかそういう安易なことでもない
でもそれは私が真剣に撮った結果なことには間違いない

そうこうするうちにせっかく撮った写真たちにとてもとても厳しくなっていって
この写真には何か足りないというようなことになっていく
そうして残るのは1000枚懸命にとってもたった2,3枚ということもある

あとは全体の流れを他の写真でつくるか
そこから逸脱させるかというような遊びの精神があってもよいけれど
レベルを落としだすときりがないから
あとは何をどう救い出すかである

そしてこの救い出し作業がいい
じっと写真を隅々までみてはその写真の語ってくる声がきこえるかどうかしばし待ってみる
そうするとはじめに見えてこなかったものがじわじわ見えてくる
そこに本当の写真との対話があるし
撮ったときにさかのぼって空気の匂いをまた味わうことができる
それを何度も繰り返してあるところに不思議と落ち着くのが未だに不思議だ
このなかではこれしかないというようになってくる

前回の個展である方が「この写真はじっくりみるタイプっていうやつ?」と呟いておられたのを耳にした
私の写真はそうなのだろうと思う

ちなみにブログの写真はもっともっと気楽なものでこれはまたこれでいいと思っている
レベルが高い低いということよりも一枚一枚の写真をその写真としてみてみて
その日の体調や経験と合わせて何が抽出されてくるか
あまり統一感がなく日々異なるのもまたよいのだろう




犬山 inuyama(11), 2008

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場所によっても異なるだろうけれど世間には疲弊感がただよっている。私の心が新しくなれば、私の生きる現実もやはり変わるのだが、それは社会と全くかけ離れていることだろうか、本当のところは私にはまだわからないが、自分なりに努力していく他あるまい。

仕事をしだして年がたってきて、以前とは違うものの考え方をせざるを得なくなってきた。特に学ぶ立場から少しは教えるような立場に変わってきて、さらにこの状況下、考えこんでしまうような問題も多い。

他から影響されることと他から学ぶことは違うし、他に影響を与えることと他を教えることは違う。影響されつつ学ぶことはできるが、影響を与えつつ教えるということは洗脳に通ずるから、それは十分な注意を要する。教えることは、そこに学ぼうとする意思をもった他者がいなくては成り立たない。その意味では教えようとすること以前に、常に学ぼうとする態度こそが根本的に重要であるといえる。それが深いところで教えること、そして何か大事なことを伝えることにもつながる。

学ぶことは他なるものを我がものとするというのとは違って、他に照らして自分を発見し、発見したものを深めることである。これに尽きるだろうと思う。教えることはそこに一定の権威的作用は介在するかもしれないが、他を支配したり抑圧的に接することではなくて、自らの経験を軸として他者のなかにある他者性をひきだすことであるから、非常に難しいものを含んでいる。そしてこの学び教えるということがうまく機能することは、根本的に大事な何かを伝えるということの一番の始まりにあるという意味において、不可欠なことである。

学ぶことを通じて、それぞれがそれぞれの大事なことを心から他者に伝えていこうとする意思は、人間や社会が成熟していく上で一つの必須事項ですらあると思われるが、残念ながら、目先の利潤に眼がくらんで、自分にとって大事なことすらなかなか感じ取れないような社会になりつつある。利潤を追求することが一つの本当の価値になれるような人間もいるだろうが、そのようにどこかみえないところで強いられるような状況は、人間性を狭くさせている要因であることは否めない。

学んで深まれば深まるだけ広く他をみることができる。そしてその視野において他からまた影響され学ぶ。そして教えて伝えることがやっとできるから、学ぶ姿勢と教えるようになるまでの過程が非常に重要だ。特に人生のはじまりにおいて学び教えるということがうまく機能できないような、今日の閉塞した状況において、そこに居座っている疲弊感と閉塞感を受けとめることはさらに疲労を促進させる。一部ではもうそのことは破綻を来してきていると想像できるし、疲労や倦怠感はそれだけで強度があるからその影響力と伝播は大きい。

例えばそこから逃れようとして、世間一般や社会一般というものを自分と関係のないかのごとく外側に想定して、その仮面の現実から影響される一方では、ある惰性に陥ってしまったり、一つのものが全てだというような危険な夢想や幻想を抱くはめに陥る。あえてそのような惰性に陥ることを一つの価値観とする態度もあるだろうが、そのような態度に陥ることは自己欺瞞をまねくか、自らが神となって他からあがめられるという結果に陥ることも多いだろう。

一方でそのような社会や惰性から自らの身を守っていくことも必要なのであるが、他からの影響を一方的に遮断しようとすることもやはり不自然だし、自らの信念を死守することが悪い方向にいけば、次第に知らず知らず自閉してしまって別種の惰性に陥る危険があるだろう。

また社会に対していわば科学的な分析的態度で考えてみる方法をとるだけでは、この情報化社会においては情報を選択するための情報分析から始めることとなるから、情報過多と本当に必要な情報の不足の両極において、ついには判断停止という状況に陥りがちである。判断停止は結果的に現状を維持する方向につながってしまうし、中途半端で実体の伴いにくい知識だけ貪食して終わる。判断を下すということは人間にとって最も難しいことの一つだと思うが、判断を下さなければならないときは必ずある。そこに最終的にはその人間の信念がどうであるかという問題が介在してくる。そしてこの倦怠の時期においては、人間の信念をもち続け、貫くことはもう一つの困難としてある。

世界に否応なく影響された、あるいは影響されていなくとも、少なくともその世界を意識させられた私という窓を通して、やはり何かを他から学び続けるという態度、そしてそのような信念のなかに、新しい在り方を見いだすことができないだろうか。

人としての自らの心と身体の不調は、他から大きく影響されやすい状況下にあるからあまりよい状態とはいえない。できるだけ不調である状態を最小限にするのがよいのだが、どうもうまくいかないときは大抵、心と身体が疲労していることにあとで気付く。

だが疲労ということは必ずしも悪い状況ともいえない。人間の疲労は生そのものを露呈している場合もある。そういう疲労のあり方であれば、必ずしも他人を嫌がらせなくてすむこともあるし、疲労が告白されて身体がそれを現前に暴露してしまうとき、かえって他者が率先して助けてくれることさえある。また他者のそういった疲労感を感じることにおいて、他者の役に立とうという態度もまた新たに可能かもしれない。

疲労することや疲労されられることから脱却しようとあせったり、過度な鬱憤ばらしをしようとせずに、疲労の仕方を学ぶことのなかにも積極的な何かがあるのかもしれない。そして、それは病というものとどうつきあうかという、誰しもやがては経験することと似た方法なのかもしれない。




犬山 inuyama(10), 2008

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ポルトガルで去年撮影した写真(モノクロ)を今日からやっと整理しはじめた
私は単純に外界のものに反応して撮っているようだ
その過程がだんだんじわじわと正体をあらわしてくる

ここに至るまでに紆余曲折大分かかったけれど
一巡りして去年の個展で発表した昔撮った中国の写真「微明」に戻ってきたような気がする
初心にはいろいろなものがつまっていた
そのときに忠実になることが大事だということだ
そういう意味では紆余曲折もまたそのときどきに忠実であった訳で
またひと味あってそれが今につながっているはずだ

手を付ける時点でその正体が明かされるという
期待と不安のなかでゾクゾクした楽しみがある
そして写真に手を付けるということ自体に至るまでにもいろいろな過程があるものだ

写真をよくみて選んでよくプリントしていこう
その際には何度も書いているけれど写真の声をよく聴くことだ
写真というものにしかない声がある
そしてモノクロプリントはやはり違う
独特の強度がある
そんな写真がどれだけ残るだろうか

まずはこのまま時を楽しみながら深めることだ




犬山 inuyama(9), 2008

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バッハ無伴奏チェロの一部を練習していて、ここ数日考えたことを書き留めておく。自分が生きることが全てだとしたら、何より過程が大事だから、あるときひらめいたり思ったことをそのまま。なぜバッハに惹かれるのかということ。書こうとしたら無限にあるだろう。

楽譜を読んでいるだけでは私の能力ではなかなかみえてこずに、とても覚えきれないような旋律部分を何とかしなければと思って、ある16小節の音符をすべて規則正しい記号にしてみる。

ある行だけうたっていくときれいな旋律
次の行もまたとてつもなくきれいな旋律

その二つが同時に併行しているうえに全体として巨大な響きが存在してきて動いていく。このことは秩序という一つの美の形への探求心をくすぐる。その秩序は数学的科学的な美的好奇心に通ずるだろう。だがそれだけではない。詩的精神がその科学的精神にあくまで拮抗して存在していることがすぐにわかる。

これは平たく言ってしまえば、音楽における極限的な、果てしなく続く頭と身体の体操にちがいない。苦悩の表現や神への賛美よりもまず、人間のもちうる創造性の一つの巨大な形がある。私はその過程を3世紀前にさかのぼって想像して学ぶべきなのである。そんなことはできないと言ってはいけない。それは深く掘り起こせば音楽のみならず科学そして科学に拮抗し科学を癒すべき詩・文学という問題、技術という問題へと導く。この科学と文学と技術という全ての問題がバッハの音楽には入っていて、かつこれらにおさまりきらないところに音楽があるように感じられる。

科学的態度と詩的精神と人間の信念を変奏していくことによって押し出される音楽、それはバッハという人間の生きた現実の映し出された「夢」である。ここのところなぜか「夢」という言葉が自分のここ数ヶ月の具体的経験にぴったりくる。夢というのはいろいろなイメージや意味があって様々に使われてきた言葉だけれど、それは私の外部の現実が同時に私の現実であることによって生ずる、いわば内的に静観され、かつ身体的に動的な夢であり、その力こそが現実を動かして何かが押し出されるような現実の一様態のことであり、私にとっての現実そのもののことである。私が決してどうにかなってしまったのではなく、見方が変化してきたとわかっている自分がどこかにあって、その自分を確実に維持できるような夢=現実である。まだ他に言葉が見あたらないけれど、書き留めるために使おう。

バッハの音楽は無論バッハの生きた時代と切り離せないだろうし、当時の楽器の構造や響きとも無論切り離せないだろう。あらゆることが一挙に配慮されてあるだろう。あらゆる微細な部分が全体のなかの意味をなしていて、それぞれの音のなかに曲のすべてが入っているようにさえ感じるときがある。

そのバッハの夢は今の時代の人間をも動かす強力な夢であることは間違いないのであるが、注意すべきはそれが強力であればあるほど人間や現実とかけ離れた夢想になりがちなことである。夢は現実としての夢であり夢想することではない。それがあくまで人間の達成した現実であり内発的な力をもった夢であったことにその都度立ち戻っていくこと。バッハ以外によって規定されてきた様々な夢想によってバッハを捉えないようにすることである。それは今の自分の夢とバッハという夢の対峙を通してしか成立しないだろう。そしてバッハの音楽は最もそのことを可能にしてくれる音楽であるように思われる。一言で言えば真に開かれている。従ってその端緒はこの一枚のスコアからバッハの夢を私が想像してみることのなかにある。

そういう音楽だから、あるいはそうしてみて想像しながら何人かの演奏家の演奏を聴いてみると、演奏家がどこに力点を置いているのかが想像できてとてもおもしろいし、ものすごく勉強になる。私は科学的精神と詩的精神の拮抗そのものがきこえてくるような演奏がまず好きだった。そういうさしあたりの自分の好みがわかるのもおもしろいし、ずっと聴いていると、他の演奏に照らして自分のなかの他者を発見できるおもしろさがある。とにかくおもしろさが常にある。自分で弾けるものなら弾いてみたいと思う理由は、まずはじめにこんな単純なところにあるかもしれない。

チェロに書かれたものをコントラバスという長い弦と4度の開放弦におきかえてやってみることは、私にとっては本当に相当の技術的困難をともなうけれど、まずはこのコントラバスという楽器におきかえてなおかつバッハにできるだけ忠実にやることだろう。それすらできないかもしれないが、まずは時間をかけて少しずつやってみる。バッハや自分の意図していないものがそこにそのとき出てくる可能性を秘めているかもしれない。その偶然や、はみでたものこそが現代とつながっている気がしてならない。なかなか苦しい楽しさだけれど肩の痛みもいつしか忘れている。あせればあせるだけ遠のく。何とか乗り越えて出来る限り知恵を働かせてやってみることだ。




犬山 inuyama(8), 2008

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世間にはさまざまな人がいる
キリキリした人がいればしっとりとした人もいて
自己否定の人もいれば自己肯定の人もいる

心からコーラ大好き!
という老人がいらっしゃった
隠れて活き活きとしてコーラを飲んでいる表情は全く違う
ああバレてしまったー

その方は演技派の人だった
あるときからずっとそうして生きてきたに違いなかった
話をした
戦時中の話をしつつ
医療のおかげで老人が増えすぎたといって
私一人くらい好きなコーラをしこたま飲んで死んでもいいのではないかといっておられた

命の大切さとか命を守る使命という教義も確かにあるけれど
どうしたら悔恨なき人生を送れるかという切迫した問題が
人それぞれそのときそのときに切実にあるのだということ
それぞれの理由があるのだということ
そういう他者への想像力を根っから忘れてしまった社会は
やはり生きにくい社会なのかもしれない




犬山 inuyama(7), 2008

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思い起こせばあの日

私はその人に事の推移を伝えたのだった
それまで浮遊していたことばの断片を
ことばの重力そのもので結集させることだった
それはほんの一瞬であったのに
私の心のすべての力を要した

毎日少しずつでも楽器を弾くこと
休みがあればどこかで写真を撮ること
私にはそんなことしかなかったのであるが
それは私のなかの他者の夢を現実に押し出すこと
私はその夢の力こそを信じていたのである

そうした力を結集してことばを発する

そこに伝わる夢があった




犬山 inuyama(6), 2008

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蝉がすさまじく鳴いている
蝉の記憶
遠い遠い夏の記憶
中学の旅
肺がんで亡くなった祖母との一夜の語らい
可児へ疎開させた子供のこと
ベランダからみたうす緑色をしたもみじ
父に借りたカメラに装填したモノクロフィルム
電車を乗り継いでいった坂と港の街
暑い暑い夏の記憶




犬山 inuyama(5), 2008

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なぜ毎日毎日こうしてここに書いているのかと帰宅電車でふと考え込んでしまった
こういうときにはわが町の米屋の犬に会いたくなる
犬にあって挨拶するだけで私がいかに小さい心臓かがわかり
たいしたことじゃないとわかる

あるときから毎日毎日できるだけ欠かさずに書いてみようと思った
それもできるだけその日の心の変化にそって
微々たる変化もことによっては巨大になるから
時に変な方向に行ったり曲がりくねったりしても
それでやってみたらどうなるのかと漠然と思っているのだろう

書くことは私が私として完結することを決して許さない
書くことは私を限定することの無限である
そのことは音を出すことや写真を撮ることと通じている
ある決着をつけることは不完全なるものの門出だ
私との出会いはまさに他者との出会いだ
だから毎日続けられるのかもしれない

正確でないかもしれないけれど
そんなようなことをポルトガルの大詩人フェルナンド・ペソアがどこかで書いていたように思う

ここ数日のせている写真の愛知県の犬山という街は
ポルトガルのポルトという街にどこか似ていた

今年冬に個展ができたら昨年行ったポルトガルの写真でやってみようかと思った
一週間だったけれどいい旅だった
ポルトガルのどの犬もほんとにすばらしい犬たちで驚くほど利口だった

犬山の犬にはまだ出会っていないが
わが町の米屋の柴犬は群を抜いてすばらしい
あいつ(ヤマトという名です)も年をとってきたのだ




犬山 inuyama(4), 2008

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赤塚不二夫さんが亡くなられた。スポーツ紙の一面を飾っているのを通勤中にみた。赤塚不二夫さんと思い起こしてみれば、昔懐かしき高校時代に思い出はさかのぼった。

高校2年生のとき、文化祭の演劇監督を指名され、何か探さなければと奔走した。別役実さんの戯曲「天才バカボンのパパなのだ」の台本を紀伊国屋で懸命になって探してみつけてきて、これをやってみないかと提案した。別役実さんのことなど全く知らなかったが、何かすごくひかれるものがあった。でもクラスで承認されなかった。大半はバカボンをやること自体が不自然だというような馬鹿な理由だった。

結局ある友人がもってきた脚本、「絵師金蔵」(通称、絵金)という江戸幕末頃の絵師の物語をやった。題材と台本はそのときの自分にも響くものがあった。この物語のクライマックスで主役の絵金が権力を傘に着た絵のあり方を批判して思いをぶつけるという場面に、同じクラスだった浦清英氏のサックスの独奏をお願いしようとしていた。しかし、これまた不自然だという理由でクラスで却下された。


自然死への過程には時間がかかり、その過程においては様々な「はみだし」が生ずる。その「はみだし」を「はみだし」として不自然なものとする視点や感情が常にどこかに付随してくるのだが、それをも自然なものとして受け入れ、その流れに任せることのなかに何か重要なことがある。それは一面において辛さとあいまった異様な光景を呈することもあるが、「はみだし」を引き受けることの困難さと制度とのはざまで、冷静な状況分析と人間の感情とのはざまで、一つ一つ流れを見極めなければならない。




犬山 inuyama(3), 2008

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良心の人よ
この気持ちをなぐさめるためにここに書かせてほしい
あなたはそれを許してくれるとおもうから
この一ヶ月というもの
あなたがつらいだろうことをずっと想っている
私はほんとうに思っている
ほんとうにつらいだろうに
たとえあなたが一人でやっとのことで生きてきたとしても
そのわけをあなたにきくことができなかった
きくことができればちがっていたこともあったかもしれない
でもそのときそのとき
きかないことのなかに真実があったから
今となってはもうそれをきくことはできないかもしれない
あなたがつらすぎるだろうから
あなたはいる
そのことを私は知っている
私はそばにいる
悔やむことはなにもない
私は西の地に行く前に
あなたに会いにきた
私の心はあなたのそばにいて
あなたのことを忘れない
私の涙はあなたのそばにある




犬山 inuyama(2), 2008

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ひろいひろい
木曽川が
悠々と
流れている




犬山 inuyama, japan 2008

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人生の旅
西からの風にのって
西にむかい
地にかえる




東京 tokyo, japan 2007

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夜の静けさのなか
男は身体のすすり泣く音をきいた

すべての友を失ったその男は
たった一人の友へ
決して出会ったことのない友へ
この世にもういないかもしれない真の友へ
深い感謝を捧げた

無心を込めて
心の朝のおとずれを待つように
密やかな感謝を捧げた

そして無償の鼓動をうち続けた

薄明のなか再び
世界のすべてを待機していた
その朝はおとずれた