granada(16), spain 2008

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フラメンコ

写真にうつっているこの踊り手の方を
いかに絶賛しても言葉が追いつかない
確かに観光客の多く入るグラナダのお店
だがそうだからこそということ以上の
完璧な自負に満ちていた
絶対的な私
だからこそ無限な可能性を秘める私
型のなかに自由をさらに変化させ
私の、私ではない全ての生を踊りに込める

壁には踊り手の写真が飾ってあって第一人者のようだったが
私はその方の名をその場で知りたくなかった
今も知らない
手元に写真が数枚あるだけだ
それほどの時間だった
写真中央の既に踊り終わった他の踊り手の眼差しは
真剣そのものだ

踊り手はある観光客に踊りながら突如
NO VIDEO!!と叫び注意を喚起する
一瞬場が静まる
ギターは平然と演奏を高め
踊り手はその叫びをも身体にこめる
叫びは肉体化されその意味を失うことで場が新しくなる

ここにはいわば通念としての倫理ではなく
得も言われぬ生の必然へと向かう倫理がある
このような生の倫理はどこへいってしまったのか
このような場において自らをまず顧みらなければならない

何かものすごいものを発している人に
真正面からカメラを向けて写真に写すのは
非常に労を要することはよく知っている
このとき写真を撮ったエネルギーは
かつて演奏を終えたエルヴィン・ジョーンズを楽屋で撮影した際の一瞬に通ずる
ものすごい緊張感を踊り手と私の間に感じていた
そして踊り手の身体のテンションは私のそれをはるかに上回っていただろう

私は私自身のために
数枚の撮れるか撮れないかの写真を通じて
この時間と対峙することがどうしても必要だった
撮ろうとしている私と撮っている間の私
そして踊りが終わって会場を出てからの私の心の変化が最も大事だった
自分を東京から遠くはなれたこの最高の撮影舞台で試したかったのである
たかが一人の観光客に過ぎない私のことすら
踊り手は最初から知っているかのようだった

店を後にし
アルハンブラ内のホテル・アメリカへの坂道を上った
夜は深まるだけ深まり
風の音が遠くから聴こえてくる
厳かな大気に包まれて
はじめて月光がここまで明るいと気づいた
心は自然に高揚し涙が出るような夜
そして心はとても静かだった

もう行くことはないかもしれないが
グラナダは永遠に身体にしみつき
記憶されるだろう