熊野 kumano (6) 2010
私は世界に対して有限である。世界をみた時、聴いた時、世界はとてつもなく、あまりにも広い、この意識など無視しうるほど小さい、私は世界に対してあまりにも有限である。直に感じている実感だからもう何とも言いようがなく深い。こうした意味においては人間の人間のための自由などそもそもないといっても過言ではない。
だがこの強い自覚のもとに、私は私自身に対してのみ、はじめて無限であることができる(無限ははたして自由といいかえられるだろうか)。私は鴨長明や道元や兼好法師から学ぶことは本当にはできないのであって、私の経験とその失敗の繰り返しからしか本当には学ぶことができない。しかしその過程において過去とつながりうる、過去に私が呼び寄せられる。ここから何らかの力が生じるからこそ仕事がやれている、大きな時代の波のなかでいまここに立つことがどうにかできている、そういう感じを時にはいだきながらこの毎日がすぎる。
私が私に無限である時、そこに因果はなく目標もなくただ彷徨い漂い続けるものを微かに信じながら、たよりなく変化する存在であり続けるのだが、再び道元を借用するなら、私の中の「仏性」に立ち返り、仏性からその私を聴き続ける。私はこのとき、そうと意識することのないまま、そのままであるがゆえに世界に開かれ、そのことによってようやく立っていられる。
写真に映されたものごとや音の響きは、世界に対する私の有限と私に対する私の無限のあいだに漂っている私と世界の変化する気流のなかで、世界を経験した痕跡の断続的な軌跡を描くのだが、写真と音楽がそうした方法であり装置であるならば、写真や音を見つめ聴いていくことは同時に、世界に対する私の有限をあらゆる方向から自覚させられることによって、私の私に対する無限を聴き、身体を内側に隠している皮膚、無と有の通路である心を、世界と私との淡い境としながら、仏性という普遍的な場に、写真と音楽をも超えて、自らを定位していくことにつながる。各々の行為はそのためにあるようにみえる。
自意識や写真や音にとりまく記憶からひとまず可能な限りはなれてみると、自他が自他であること、それ自体に働いている引力と斥力のダイナミックな運動へと向かう経験を、写真と音楽はもたらす。それらは自と他を仏性という場において等しい次元で干渉させ、場に波動を生じさせる契機をなし、その音と写真のつくる境界は身体、とりわけ皮膚感覚のような薄い膜によって微かに縁どられており、無尽蔵でありつつも抑制された心の変化がその縁の膜色を塗りかえうるものでもある。
したがって写真や音は、何かの通路としての直接的な膜としての装置なのではなく、言うまでもなく膜の正体は他ならぬ身体と心であり、その装置は身体と心をあらわしたり隠すためにあるというよりも、仏性という普遍性を場に呼び場に波をたて、正体としての心と身体の膜が凝縮された痕跡、消息や断簡として膜の本体を伸縮させるように宿しつつ軌跡を残す、そうした間接的な通路として音も写真もまた、それ自体が存在を境界をあらわにしつつ、心と身体とはまた独立した系をなして、この世界のなかに自らを定位していくようにみえる。
一枚の写真や一つの音、その世界のほんの微々たる断片としての痕跡にさえ、普遍が宿りそのときは知ることのない遠い未来に開かれることがあるのは、音と写真もまた、生じた場の波動が身体と心を揺さぶり変化させる仏性をもつということ、時に自ら出している音が全くの外部から聴こえるように思えるのも、道元をよむとおそらく意識の思い込みや勘違いなのではなく、そうしたこととおそらく関わりがあるだろう。私と写真と音の境界面は、外部からの有限性と内部への無限性その境界に各々が漂い、仏性として互いが干渉する場であるとも言いうる。
知らぬ間に日が傾きかけている。隣の竹林の隙間から強い西日が差し込み、竹は風に揺れている。
言葉を書くとき、最も大事で慎重かつ注意を払うべきはそのリズムであり、その緊張と弛緩が意味を意味としつつも意味を解放し、言葉の意味内容を超えることにある。それはそのときの心の動きを素早く追う手であり、句読点や文の体裁をいわば無視して書き進めていくことであり、一刻の猶予もならない心の記録をそのはじまりとしている。その夢の記録から覚めたとき、その羅列と切れ切れの言葉のはしはしを少しずつつなぎ補修する、その繰り返し、言葉の夢の記録と現実のつぎはぎのせめぎあう形にならない形の消息こそが詩、あるいは場のはじまりであろう。
こうして書いて読み返して少し手直しするという実践は、私にとって演奏することや写真を見直すことにも役立つものとおもう。それにしてもきりがない。
熊野 kumano (5) 2010
ニュートリノが光よりも速い可能性があると新聞にでていた。もし実験が正しいなら、科学的理論のなかでは過去に戻れることになる。ニュートンによって世界の空間的座標軸をもちこんだ把握が行われ、アインシュタインは20世紀に空間に光と時間を組み込んだ新たな相対的な軸を設定したが、心と身体は絶対的な座標をもたなければ、相対的な座標ももたない。まわりに座標のない動く重心が支え、引きつけあい、斥け合う。
道元から学んだことの一つは、心と身体を一つの状態として変化のなかにいかに定位させていくか。それは変化のなかにあるがままにおかれるという一つの実践の方法ともいえるが、方法的実践からの離脱、実践の断続的連続によってこそなされる。音と写真というものの本質そのものにそれを発見しつつ、己にそれを見いだしていけるか。
あいだにあるものは境界をなし、境界にあるがゆえに中庸となって、ものとものの、ものとことの、こととことの隙間にただよっている。逆に隙間が中庸であることの過剰によって微かに存在を呈し、何かの境界をなして、ぼやけてあらわになった境界自体が、先端的、先鋭的、権力的な極端なあり様を避けて、極端に達することによって生ずる力に引き裂かれる心と身体ではなく、引き裂かれた心と身体を、世界の織り地、その襞に漂いながら、一つの動きながら流れる重心として個々を定位させる。その斥力と引力によって自ずから動く、重心がありながらも不安定に漂う世界は、人間の自然における位置を問い直すだろう。
今世紀は、より広大な時空の占有のために技術と人間の夢を追い求めるよりも、心と身体の重心を個々が各々にひきよせながら、闇の世界を生きていく不安定で流動的な過程にある。それは、真理へ向かう科学の方法が問われるよりも現実へ向かう方法のなかに科学を退歩させ、人間の心と身体の現実的実感を確たる背景とした実学として 科学のあり方を位置づけ直す、方法の科学が問われる過程でもある。
宇宙への旅やタイムマシーンの発明に夢見るにせよ、方法において地上の今ここの現実を俯瞰しながら遠ざけ心と身体を分裂させるのではなく、今ここに立つ心と身体、その普遍的問いを内側からなお求め外側からながめるにせよ問いを囲いこまない形、自らが自他を排除しないような隙間に身を寄せる形、闇と光の境界に心身をおぼろげに点滅させあらわれながらこの世界を個々が生きていくことの可能な形を模索していく過程である。
熊野 kumano (4) 2010
吉田兼好の徒然草を契機としていくつか。
人が確かな息をしだす場所、だが息をするとは、日常にはあまりにおぼろげな気がつかない自然な運動。何気なくそうと意識せずも確からしいからこそ浮かびあがるのだが、確実には確かとも言えないような現実と幻想の接点としての痕跡、記憶の連鎖していく運動をたどるような場所へ開かれていくために、はじめの音がある。徒然草のはじまり、その序段の言葉のはじまりにそのことをみてとれるだろうか。詩が音楽性を含まなければ、詩は記憶から遠ざかる。音楽や写真が詩性を含まなければ、そこに記憶は容易に宿ろうとはしない。徒然草はこのような確からしくもあり確からしくもない場所に書かれている。
記憶の痕跡は意図されたものと意図されないもののあいだに浮きつ沈みつ、音の光に照らされた心の磁場が瞬間にひらかれた空間に映されて、つじつまのあわない徒然草、その劇場を演ずる言葉のように、台風がきてもやっと灯っている蠟燭の火のようにうごいてゆき、しまいには音の痕跡がなくなる、音楽は消える。だが記憶、みえずきこえないが、何ものかが確かに残響や残像としてそこにのこっている。音楽という経験の凝縮された時に広げられた空間を歩きながらうごき、音の響きに夢見られた現実を掠めとりながら、響きの死のなかにのこされた何かが、静寂のなかにみえない輪郭をおびて浮き彫りにされ、音楽のやんだ今ここに目覚めている。それは確からしさによって浮かんだ不確かな何ものかの軌跡、その運動によっていまここに確かにあらわれた、ものごとの痕跡。それは言葉では言い表せない。
写真をとったとき、もうその過去はやはり記憶でしかなく、紙に写し出された写真のような影を残して音楽は去ってゆく。そして撮られた写真も過ぎ去った音楽も現実ではない。音楽が響いている時間、静寂が幻想のなかで音に象られて、生きた現実の記憶の息を微かにしている。写真と音楽が、いくども呼び起こされては消えていく記憶をたどり動きを象っていく、己が隠れつつも自ずからあらわになる行為であるならば、一方でその記憶の住処こそが、日常の徒然なる言葉であり日々の行いということになるだろうか。写真は言葉そのものではなく、音楽もまた言葉そのものではないが、時間が凝縮され空間に開かれた写真や音楽は、このような記憶をたどりながら時間と空間の隙間の迷路を分け入るような、徒然の言葉によってしか語ることもまたできない。
今年は災害続きであるが、この台風の中、このようにいま徒然のように思いつきで書いてみても、その時出てきた言葉をそのままつかまえてその場で文にしていくことは、並大抵のことではできない。即興的にしかも的確に心にあることを表現することはかなり難しい。作家といえどもそういう文を書く作家は意外と少ないだろうと思われる。日ごろ書いているが故にやっとできること、書いていなくても心がけある行いを行っていることによって持続されるもの。それは演奏することとよく似ている。徒然草の音楽性はこのような即興性にもあるのではないだろうか。
熊野 kumano (3) 2010
俗であって俗のまま聖になるのが道ということ
道元のように稀な人間は
心身脱落して無(聖)にたどりつき
そこから正しく(つまりは一つ一つ立ち止まりながら)降りてくる
そういうことを成し遂げた
それが道元の「正法眼蔵」だろう
それはあからさまな詩という形をとり
詩でなくては表現できなかった
私がいま好まないのは聖域に達したような、にせの姿格好をしていることと
そこへ到達してもそこに耽溺することによって聖がそのまま俗化してしまうような表現だ
好まないということは裏返せば
そういう悪しきところが自らを巣食っていて
いつ頭をもたげてくるかわからぬということに他ならない
私のともすると陥りがちな悪しき危険性の最たるものは
そうした表現をはからずもしてしまうこと
それはすなわち聖を勘違いした俗まるだしの嗜好家
本当の数寄ということをを知ろうとしない単なる数寄ものということである
だがあえてそうならないようにしても意味はないし
それをおそれていてもはじまらない
本質的にそうでないためにはあまりに遠いことではあるが最後の最後で
聖域から正しくゆっくりと地上に降りてくるところまでやらなければいけない
途中で死んだとしても(おそらくそうなる)
常にそこを目指さなくてはいけないだろうと今は思っている
そんな難しいことはできないと放ってしまうことが
私にとっての道の今に反するからだ
自分自身をそうさせないことが私が私であるという僅かな自尊心の一つということにもなろう
道元にみるような表現の過程は聖域である雲海から俗へ降りてかえり
大地である俗よりも低く海にもぐるということであって
山頂に登ることは道そのものに過ぎないのだろう
そこへどう到達するかはいろいろだが
そこからどう降りるかをみなで分かち合い楽しむことが
表現ということの理想であるだろうと想像できる
だがそのためには今の社会全体が俗から聖へ転生する必要がある
意識的でないにしても
そういうところまで見据えて道元はたぶん説いているのだが
それは現状にあっては遠くて儚いだけの夢かもしれない
それはそれとしてよいものだとしても
言葉や表現は
離脱することによって無の侵入を待つことのみならず
言葉を大事にすることでしかえられないにしても
方丈記のように聖をあえて汚しつつ
その言葉でもって時空を断ち切って己を通じて聖を犠牲にし
そこにみえたり聴こえたりするものを通じて
極言すればそれぞれがこの汚れた俗を互いに救うためのものだという夢想は
ここ半年ほど遠く及ばない道元に影響されてきたが故の
いまの私の理想でもあるとおもう
毎日の実践はもはやはっきりとして
みなで最後には本当の巨大な仙人風呂につかる
そんな夢想のためにもあるが
現実との葛藤は多いし、社会に生きていればそうでなければならない
生産的な葛藤が生じるのは一人一人に対して諦めないことから始まるのだが
それは諦めることと表裏一体でもある
道元はもの凄いとするより
道元には心底勇気づけられたとするのが
私にとっては生産的でよい書き方かもしれない
方丈記については道元のときと違って解説など読みもしなかったのだが
少し読んでみると鴨長明は和歌と琵琶のかなりの名手であった
あえて時空を犠牲にすることでかなうもの
その数寄とは何だろうかということに興味を抱かされる
ディレッタントとはちがうような数寄の本質とはどういったものなのか
鴨長明は挫折と失敗から無そのものには向かわず
有であることを徹底した
ついに最後には有でありながら有に無を宿らせた
道元と同じく西洋に眼を転ずれば同時期のエックハルトも言っているが
離脱から離脱するところに無が充満してくる
方丈は鴨長明にとっての離脱の具体であり
方丈記は最初で最後の離脱からの離脱の具体なのだ
それでも自らを省みて無や聖なるものの意義を
近くに遠くにあこがれていただろう
このように方丈記から学んだもう一つのことは
長明のあの名文は俗であることから生まれていて
その詩性は山頂に達さずにして
文章の裏にそっとして宿っている
俗と聖の間を漂う、それだけで足れりというあり方
そういうことも実際可能であり大きな意味があるということだ
鴨長明は
山頂へ登らずして山中に迷い
山頂を見渡せる谷へやっと降りてたどりつき
川を見ながら出だしを書いた
川の先に遥かな海を聴いた
そういうあり方は良寛に通ずる
蕪村は離俗論というのを書いているらしいが
何をしているものであれ本を読み詩性のようなものを先人から学ばなくてはならない
そういうようなことを言っている
俗と聖そして詩性ということについて一考する必要が大いにあるということだ
そのためには世阿弥とか兼好法師とか芭蕉とかまで含めて
中世から近世への文学空間全体をそろそろ一度俯瞰的にみわたしてもいいころだとおもう
(こうしたことは日本人としての常識という言い方もできるが、そうした基本の勉強をあまりにも怠ってきたのは他ならない日本人の私である。そしてそうした恥ずべき私の経験とその反省からもいえるのだが、競争にかまけて自らを知ろうとすることなく歪んだ形で伝統という本質を破壊したり、逆に実体のない固着された権威的かつ攻撃性をふくんだ妄想をつくりあげたりして、真の伝統と創造のあり方やその宿っている場所というような本質的なことを謙虚になって学びとろうとしない。自由な時空間であるはずの伝統へのきっかけすら与えてこなかった。そういう教育のあり方の弊害をも今の自分自身にみることができるということだろう。競争ではだめだからゆとりだというのでは根本からさらにずれるだけだ。とりかえしのつかないことになった原発事故も、そうした類いの象徴であると私にはおもわれる。)
私自身はといえば
もとを正せばそのきっかけは自ら東京を離れたことと
たまたま近くにあった古美術のよいお店
私はまだその断片のさらに断片しか知らないが
過去にはいまなお深くて広い時空間が開けている
やっと、それでも身にしみてわかってきたこと
物質的にははるかにいまは豊かだが
私たちのいまの時代の堕落さは
道元や鴨長明や親鸞の時代の過渡期とやはり重なるように思う
方丈記を読むといまと同じ現象が書かれていてほんとうに驚く
便利になればなるほど頭を使わなくなるし身体も弱くなるし精神も枯渇する
人間が人間であることへの希求そのものすら薄れるが
それでも今をまだ人が生きている
むかしの人の考えたことがやはり今を生きるためのヒントになるだろうと思う
(夕方、早朝に書いたものに言葉を加え変更した)
熊野 kumano(2) 2010
方丈記になぜかはまっている
何回かむかし読んだことはあるが
これほどは、はじめて
写真は現実が降りかかってくると同時に選びとるもの
偶然と必然の境目に生ずるもの
岡本太郎は写真を偶然を偶然でつかまえて必然化するものといったが
必然化するといったとき撮影者や編集者の世界に対する一つの態度が生まれるだろう
その態度に見る者が共感したり共感できなかったりする以上に
写真は写されれば撮影者の意図を超えて
それぞれの立場をすでに超えて存在している
したがって数十年もたてばどのような写真も時間の重みをそれぞれがたずさえるのだが
その時間の蓄積の重みを選ぶ側が感じているかどうか
またそれをどのように感じているかがその時点での人間性そのものであるだろう
いかに個性的か、概念的に新しいかよりもいかなる態度をもっているかであり
それがごくふつうの写真である限り
その態度が時間の厚みに裏打ちされているかどうかが問われている
経験の厚みと想像力を基盤とした写真への姿勢が問われているだろう
これと同時に写真を写真としてみていく態度
写真の根をなしている力
すなわち現前する世界のリアリティに対して謙虚になり
ものごと、そして世界の光に対して身を投じつつ身をわきまえることだ
なかなかむずかしいがそうして写真の力を引き出していくことが
一つの最低限の責任であろうとおもう
写真の実践のなかで培うことはこのようにきわめて個人的であり
また写真であることによって不変であり普遍的である
方丈記についてどこかでおもっているのは
方丈記はこのような写真と似て
一文一文がそのほとんどについて鮮烈なイメージを抱かせる徹底されたリアリズムに貫かれており
また経験的実証主義とも言える医学的な態度を持ち合わせ
さらに繰り返されるずれをはらんだ言葉の音楽的運動をも内包していることに気づく
それでもって時間の重なりと厚みが凝縮され
何世紀後のこのいまの世界にも生きてあらわれるのだろうか
私にとってはこの点において三つの価値が結実されている規範的文章と言える
これは一つの詩の極みであるといってよいのではないかともおもえてくる
私がこの三つの行為において現在このブログのように言葉を必要とするのは
第一義的に自らの臨床態度や写真や音を主張し説明するものではなく
言葉によって自らの世界に対する根本的態度を広げ深めることであり
本来その結実と世界との交差点に不断に生じるものが
名付けられようのない私の診療でありだす音であり撮る写真であるべきである
だがそれでもなお
世界は常に絶え間ない明滅を繰り返し未来は絶えず降ってくる
そのなかに私の態度自体はいったん溶け込み
他者との関連性のなかで再び選びとられていく
そうした抜き差しならない今を
身をもって持続していくこと以外にない
そうして毎日の臨床で学ぶことは四季の季節感のように
我が身に知らず知らず血肉化している
診療することにおいてどうしても避けられない大事なことは
否応なく他者にふれるという経験なのだ
その場所、他者と交差する場所においてこそ
言葉が外へ向かうような態度が必要とされるのだ
それは論理でもあり情感でもあり経験的でもある言葉
言葉の内なる限定力、内省する力よりも
言葉による外への力の運動を引き出すこと
詩というものはその本質がまだよく私にはわからないが
どちらかといえばそういう言葉の力を本質とするのだろうか
こうしてみると善し悪しは別としても、たとえば思想書をかじったとき
詩的な論考とそうでない論考の質の差は大きい
ロゴスとパトスの境界に位置するもの
偶然と必然の境界をさまようもの
ゆく河の流れ
人の行き交い
それ自体が動く境界という運動から個々をながめることは
固定化した内省的(自家中毒的であることも非常に多いのだが)視点をもつことではなく
詩という言葉の力
その結実された外への運動を通じて
この現実を渡り歩いていくような
歩きながら世界の音を聴く経験
現実をみながら写真を撮り歩く経験とも似た
不断に更新される世界に対する態度を導くかもしれない
それを皮相的に再構築することもない
方丈記にも内包されているように
悟りをさとらないような態度に通ずるだろう
方丈記のかの有名な出だしは何度もよんでいると
観念の比喩ではなく
まさに鴨長明の見た経験的事実の
言葉による完璧なまでの見事な写実なのだと
それも突如として生まれ
さらに練り上げられ無駄を省いているのだと
そのようにじわじわと想像されてくるのがたまらない
それは無常観というような一言ではすまされない
それが詩の本質なのだ、というような
言葉のリアリティに身が震える
そこから詩という実体が浮かんでは静かな闇に沈むのだ
ふと気づけばもう真夜中
風とすず虫の音がする
紀伊をおそった台風のことをおもう
熊野 kumano, japan 2010
台風が来ていて風がすごく強い
日本の最たる特徴はその地理的位置であり
もたらされる四季の変化が
言語の様態や呼吸感にあまりにも大きく影響している
私はこの四季の変化というものの実感とその変化の過程が
大きな身体の基本となって身に付いてきているように思う
東京を離れて数年たち
四季の変化ということはたぶん
自分自身にとって最も必要な感覚の泉であり
最も自然に心と身体が楽しめるもののようだと思われてきている
じっとしているようでしていられない感覚
冬から春になるときの空気の変化、草の芽吹きのように
あまりはしゃがないで自然の次の変化を待っている
それだけでも充足できる
だがそれを突き破るものは何か
この台風のようにそういうようなことも
これからないはずがない
そういうふうにも思える
花鳥風月はそれ自体が繰り返す過程であり
毎年ごとの変化と差異を感じるための
動いている指標だ
音や写真に託すものが
ある指標とその変化を目的とする以前に
四季の変化の感じ方そのものから
そこに浮遊してくる音や景色のなかに身をおく
それは四季を表現することではなく
自ずからそこにある
時々のそのとき偶然生じている
毎年おなじような過程のなかにあって
だが複雑な差異の奇遇に満ちた四季に乗っかって
音と写真が浮き出てくるようなもの
その心地よさは
今やここという概念に縛られてもいず
必死になることも自由になろうとすることもない
無という境地もない
あるがままという規定からも離れるところに動いていくものごと
それが道元の「有時」
あるいは単に「今」ともいえるだろうか
結果として浮遊した音と写真は
人のあり方を自然のなかに結果として象徴するのであり
そこに人のおもしろさを発見する
その楽しさをもたらす
有名なヴィヴァルディの作品とはやはり対照的に
あらかじめ措定されたような四季の象徴を
音と写真が表現してもあまりおもしろさはなく
「四季」という題名の創造はとうてい完成できないだろう
私自身が四季の変化と同根であり同等でなければならない
この大きな災害後にいかに心を落ちつけるか
一つには方丈記を読むことだということは多くの人が思いつくかもしれない
私もその一人であのあまりにもうすっぺらい文庫本を読んでいるとじんとくる
方丈記は庵のなかでさとったような心でたんたんと書かれているが
平坦な書きっぷりのなかに
時々一気に花が開くように顔をのぞかせるその偉大なる機微は
子供のうたう歌の抑揚にも似ている
春のなかに冬のなごりをみて
夏の終わりに秋の気配をすぐさまに感じ取り
終わる夏を惜しんでいる
そのなかに突然この肉体を刺してふるえあがらせた蜂の針のごとく
はっとしてある災害がふってきては
ただただ川の一点をずっと見つめながら
ただれふくれあがった皮膚と静かに対峙してもいる
川縁でせせらぎの音の微細な変化を聴きながら
生きることの苦難な時代を
言葉に見事に写し取っている
とはいえ私はさいごに悟りをすべて拒絶するような最後の吐いて捨てたような一言が
最も好きなところだ
こんなふうにして方丈記の出だしのように
昨日の言葉はもはや今日の言葉ではなく
書かれたことははじめの思いと異なる方向にいくこともしばしばだが
それこそが四季の移ろいであり運動としての変化
今を生きているということ
そうしてみると方丈記ひとつとっても
その背景にはあまりにもおおくの出来事と言葉があることは明らかだ
イイカゲンに変化に任せて書くのではなく
よい加減に世界に加えることと世界から減ずることの機微のなかで
確かにそこにあってそれでいておぼろげに浮かんだ運動をしている
蛍のようにその軌道は定まらず、だが大きく歪みもしない
秋のおとずれのごとく夏の終わりに私は今いるということを
ともかく感じている
鴨長明の方丈のように音を出すのは難しいようで簡単なようで言葉を書くのとおなじようで
実践しだすと終わらないだろう
それにしても今年はあまりにも暑く長い長い夏だった
蟻の大群を目の当たりにすると
生きているということがあまりにも巨大な
計り知ることのとうていできないような力に満ちている
無意識の大きさといってみてもそれでもまったく足りない
そういう事実にもうただただ己が驚愕する
まど・みちおさんの百歳の言葉も
読んでみると本当に実感がこもっている言葉なのだと
この私にもわかってきたような気がする
己から離脱せよ、離脱からも離脱せよというエックハルトの言は
飛躍すれば道元の根本的な何かにも通ずるように思う
とうてい自覚できないその欲望の大きさのなかに己を浸しきってみよ
蟻の大群の住処におきているマグマのような力の塊を
蟻塚の巣のなかにまるで己が入ったかのごとく生きよ
生の苛烈な場所に生じているものごとに触れよ
そうした生の計り知れない巨大な運動の
ちょうど対偶に位置するかのごとく
ひどく近くていながらにして
静寂が沈黙によって破られるところに
無限の遠方から秘そやかに
だが一筋の強烈な光とともに発露されてくるような
ひたひたとしていながらあまりにも速いような
教えの言葉として
エックハルトはいまここの風に響く