出雲崎 izumozaki(8)2010

Pasted Graphic 22

音がなっているとき
音の粒の点滅こそ
生命の絶え間ない泡の輝き
音に託されたわからない何かが
流れる輝きの過ぎ去っていく痕跡なら
生命とは流れ流れていくものだ
固定されたものではなく
そもそも流れゆく

そこここに各々が点滅している命がなければ
音の点滅を聴くことも
音の消滅に感じ入ることもない

生きている事実の内側から
言葉が離れていくと
音はもはや音でなくなる
言葉が離れないように
言葉の始まりと音がひっついたままでいられるのは
私の外に私の内部があるとき

写真は止められた時間のなかで
止められた生命によって立体的に浮かび上がる
あの壮大な視覚空間と想像
言葉が生の言葉を突き放す場所
すでにそこにあるかのようにふるまっている
みえることがみえることを際限なくうながす宇宙
あの言葉の力による見え方
それをさらに超えていくこと

写真が時としての輝きをもつために
一瞬の記録のなかに潜んだ眼差しの奥に
時を含有している
何かの感触
他とつながる感じとともにあること
撮影者の眼差しのさらにとおくにあるものとともに

時間のとめられた写真のなかの
時の流れがあらわれるために
人間の態度
言葉の態度をかえる

流れ出した時間はどうしようもなく
とまらない
もはや時間は何時何分ではなく
決してとまらない時となったようだ
時間のないこの世で
時をさがす
はじまりもなく終わりもなく
終わりがはじまりのような時

写真がたった一枚そこにあれば
それだけで時のようなものが流れ出す
その感じはいったいどこから
事実とノスタルジー
犠牲によって消滅したものたちと いまここにあること
人間と機械
そのあいだのどこかの隙間からか

一枚の写真のなかにいることと音が途切れていないこと
目の前の写真から立ち去ることと音が止むこと
意志の言葉とそうでない言葉
生きることと生かされること
そのあいだのどこかの隙間から
ただよってくる何か

言葉の正体
ことばそのもの 
時の母体をさがして
いまどこかをさまよっているようだ

おそらくもはや疑い様もなく
これまでで最悪の生物
人間のつくりだした
放射能あふれる原子炉のなかに思いがけず繁殖していた草の母体を
ミミズのようにさがしている呻き




出雲崎 izumozaki(7)2010

Pasted Graphic 23

近くの古本屋で先日偶然みつけ、「日本写真全集/写真の幕開け」という本が気になって、買い求めてきてみたのだが、カバーをとって開いてみると、約百年前の三陸沖地震の津波直後の被害を写した一枚の写真がおさめられていた。撮影者不詳とされている。

今回の大地震後と似た、悲惨という言葉を超えた光景が印画紙に定着されている。きれいにプリントされた白黒の写真はノスタルジーのようなものを強く誘うが、この郷愁にも厳然とした意味がある。犠牲者が存在したという事実、そして過去が決して洗い流されないという事実がその裏に隠されているのだ。それが到底フィクションとはいえない事実であるというその感触、触覚感や聴覚にも似た原始的な器官のはたらきが、あるところでみることを凌いで、本当の郷愁、言葉では言い尽くすことのできない郷愁を誘う。郷愁は、単に感情的であるだけではない。

それは動物的な本能にも似て、猫の視線から猫の言いたいことを瞬時に感じ取るような、事実のいわば本能的把握なのだが、その事実が写真に定着されることによって、時間が停止し、瞬時にそこにあったはずの動物的本能がそれによって永遠の時間のなかに再び蘇生する。停止された時間の露出した一枚に、もう消えてしまったものが擬似的に宙に留められている、写真の郷愁はその一枚のなかを心が動くその動きの本能の痕跡が、再び身体を通じてその情動を揺さぶるものだ。

亡くなったものへの郷愁は、あくまでも、亡くなったという一瞬の消え去ったこの事実と裏腹にあって、その事実はいつも存在し続け、それは誰も決して消すことはできないという証、しかもそれは物質的な証だけではない、生物としての人間の生とその死の証なのであって、それが写真のひとつの大きな生命でもある。それは写真に何かを写し込ませた、そこにはいないそこに生きていた死者の存在の抵抗の一撃をみてもよい。

生きた音楽の音がなっている状態から消え去る瞬間へとむかい、その余韻からやってくるものともこの郷愁はよく似ているように思う。生き残った、そして死んでしまった被災者の命がけの声をどこかで聴くたびに、言葉を持った生物としての人間の生命とその死ということを本能的に感じ取り、言葉のあとで生じる何ともいい様のない何かに、どうしようもなく戦慄を覚え、我が身が震えるようなことも、この今というとき、しばしばある。

以前からこうしたものを感じとったとき、写真や音楽に言葉の解説や意味付けはいらないと思うときがあったことはあったのではあるが、いまはやはり、この一枚の百年前の写真を前にして想像をめぐらさずにはいられない。

人家も木々もなぎ倒され、船が陸地の内側で傾いていれば、転覆したような船もみえるし、遠くには煙のようなものもたちのぼっている光景が映し出されている。だがたった2本の木が、写真の端の方に生き残っているのがみえる。この木は今はやはりもうないだろうか。この日、二本の海岸沿いに生き残った木は、当時も希望を抱かせたに違いないと思うのだが、写真には一人の人も写されてはいない。ここにいるのはレンズのこちら側にいる撮影者だけだろうか。その視線が一つの通路となって、確固たる強いあの郷愁を帯びる形で、私の視線のなかに乗り移ってくるのだ。

となりの数ページには、これも百年前くらいにあったの愛岐震災後の写真が数枚のせらていた。これをみると、東北地方や原発事故の起きた福島からは比較的距離のある愛知県に住む私にとっても、今回のことは当然のごとく他人事ではないし、一人の医者としても、これほど大きな命に関わる問題は関係ない、あるいは自分を欺くようなでたらめな表現をして通っていくだけでは、決してすまされないということを改めて今日も思うのだ。私に書く資格があるかわからないが、ここまできて、今日はもっとさらに書かざるを得ない気持ちがしている。



人間がその思想によって所有し具現化してきた人間のための技術に、人間の存在そのものまでもが保証されているかのように人間が錯覚し、技術を我が物としてふるまうような近代の延長を色濃く反映したこの現実にも、事実上の限界がきていると感じる。それはいうまでもなく、西洋近代がどうかとか東洋思想がどうかとかの問題ではない。人間の幸福を何とするか、その何かのために何が大事であるかの問題だと思う。だが幸福はやはり言葉で定義できるものではないだろう。

そうならば、事故が起きたら扱えないような、おおよそ有機的生物としての総体としての身体とかけ離れた、人間のつくりだした技術を、世界に今後も保ち続け、さらに導入するべきかどうかということは、少なくとも人間の価値観と責任において決めることであるし、事態を少しでも修復するには、ほかならぬ人間の、謙虚な知恵が必要だ。検証することは従来のシステムを強固にするためにだけあるものではないだろう。システムを、有機的な生物総体としての生と離れたところにある新理論や異なるシステムで凌駕する時代は終わった。生きているという実感をもって、改めてこれから私も考えていかなければならない。

そして解決のおそらくできない技術的な問題に直面していながらも、人間が言葉という厄介なものをもった、他ならぬ生き物であるという点に立ち戻って、その場所に、本当に身体が目覚めなくてはいけない。死にさらされながらも、そうした身体から新しい言葉、生き方のあり方を模索しなければいけないようにも思う。

学問も世界水準ということよりも、あるいはむしろそのベクトルとは異なる方向で、そういうことをもはや今後は超越して、たとえば日本という極東の国であれば、目的をあやまった戦争や、自然災害や原発事故の経験を謙虚に生かして、新たに創造した価値観に基づいた学問のあり方をもつべき時が来ているのではないか。世界を世界基準でリードしようとするのではなく、たとえ漠然たる言い様のない淀んだ不安に苛まれていても、そのなかでもなおかつ、自らの真の幸福の為の契機としなくては、命を奪われた人々や被災地で生きている人々、そしてこれからの未来の人々に本当に申し訳が立たない。

たとえば人間が言葉をもった他ならぬ生物であるという強い自覚ぬきに、環境問題も生物多様性も意味をなさないのであるが、原発事故は、この嘘めいてはいるが大事な視点をも、さらにさらに現実的に遠ざけてしまった。これにみるように、世界、世界といいながらも、よくしてみればこれまでの人間の側ばかりにたった行為が根本から覆され、より世界の側によってたつというその契機を与えられたといえば、ほんの少しは何かがみえるだろうか。

人間がいまの言葉を持つ限り人間と世界が等しくなれないのなら、人間と世界とのあいだに、どのような距離をもつべきなのかを模索しなくてはならない。あるいは言葉のあり方そのものを変えなければならない。

こうした感触は地震の前から、少しずつあぶり出されるように、この世界に漂い始めていたように思うのだが、こんな大きな事態でも、身近な自然が本当のきっかけを与えた、そういうことを教えてくれたと思うようになることが、あと何十年か後の、少なくとも私のなかで、何らかの形としてもし叶うならば。

しかしながら、少なくともいまみえている権力者の言葉からは、その権力がなければもはや簡単にはできないような、未来の命を救うための大事な行為はおろか、その人間への態度、あるいは自らに対する態度すらにも、何の心もないように思える。そうであれば、 人間の側にすらたつことが全くできないのであれば、人間が世界の側にたつことなど到底できない、そこへの道はあまりにも遠い。

だがそれでもなお、負の遺産を抱えた未来に生きる人々にとって、今を今の個人個人がどう生きるかということは、切実な問題だ。今という現実が押し出す未来の夢の中に、誰がどのようにそこにみえるだろうか。これ以上、少なくともその心が、悲惨な未来であってはならないだろうと思う。

対物的な考え方も即物的な考え方も、単なる反省だけでも、それだけではもはや何も産生し得ない。それらをともに俯瞰したところ、それでいてなおかつ現実からかけ離れず、適切な距離、人間と世界の境界をどこらあたりにおくのかといった問いを発し、世界における人間のあり方を、生き残った者たちが、一人一人この不安のなかに模索し、この現実から、未来の想像しうる限りの幸福な姿を押し出していく時期なのではないだろうか。

私は未来は溶解しながらあらわれるというイメージをもっていたのだが、それは違っていた。未来は今のなかにあるこの動きが押し出すものといえばいいのか。その余韻がほうり出しほうり出された余韻が現実となるように、託すものが託されたものへと繋がらなければ行けない。被害による世代の絶対的な断絶は何ももたらさない。

人間は死ぬ時期を最後の最後まで本当には知らないから、この今を何とはなしに生きていけるのかもしれない。動物も植物もおそらく死ということを現実にはよく知らないように思える。だが、たとえそうだとしても、これからの未来の人間の苦難の軽減のために、一人一人の人間の意志によって、今なにができるのだろうか。

こういっている間に時は過ぎてゆく。だが、ほんとうに月並みな言葉の表現であっても、いまの私にとって長々と言葉にしていかなければいけない。自らの生物としての言葉の感覚と実感を歪まない形で、それをもっととりもどすために。言葉をかいて、これまでの言葉のあり方を自らたちきっていかなければいけない。それは言葉の形の問題ではない。言葉の想像力や言葉の表現力そしてその抵抗すら超えて、言葉の身体そのものの問題である。

言葉の主張に言葉をさらす為にではなく、言葉の批判に言葉をさらす為にでもなく、これからの人間への橋渡しをどのように、できうる最善な形でしていくか、そのために身体から発せられる言葉を書かなければいけない。それは生きている小さな自分を信じることでしかない。またそれは今、たとえ旋律がついていなくとも、どんなに長いくどくどしい文章であろうとも、ある祈りでもあり、ある歌でもありうるのだ。裏を返せばそれほど無意識によってかかっていた軸を失い意識が解放された、そういう自由な形で今、大きな何かが問われていると言い換えても、よいのだろうか。



再び写真をみてみると、一枚の写真はそこにあるだけで、静かにものを語っている。個人の物語ではなく、そこに定着された一瞬のなかに、そこに定着されなかった過去、現在、そして未来をもすべてをも想像させるかのごとく、そこにその写真がある、そういう写真は何十年経ったあとも、深く心に刻まれ、今をどうするか、今いかにあるのか、そのことを、契機として考えさせられるのだということを、はじめてこの身体が本当に経験しているのではないかと、今日感じている。

これから百年後のことをどう想像できるか。百年後この今はどう映っているのか。




出雲崎 izumozaki(6)2010

Pasted Graphic 24

学問はいったい何の為にあるのだろうかと、どこか深くで自問している日々でもある。 心がいま苦しい。 学問というものは古今東西、各地で発生してきた「知恵」と言い換えても、本来はそう変わらないはずだ。

日本における学問的権威のような大学に、学生とあわせれば18年間もいたからだと思うが、学問とあえてここで言いたい。 学問の基本構造といった原理的な話ではないけれど、学問が純粋ないわば知恵を離れて、ある種の権威それも非常に狭い視野の権威と、ある種のシステムの内部の動きに癒着していることは、少なくとも一部において否めない事実だ。

学問が人が生きるのに役に立つためだとしたら、人を殺すような学問のあり方はいけない、だが現状を見る限り、その前提がそうではないということだ。そう思わざるを得ないのだが、本当にそうなのか、そうなのか、そうなのか、そんなもんだ、では到底すまない。

アリストテレスはたとえば生とは何か、死とは何かといったようなシンプルな命題に向かい、合目的性ということを強調していたように記憶している。勝手な解釈かもしれないが、アリストテレスの合目的性にならえば、それが一体何の為にあるのか、を問わない学問は学問と言えないと、私はあるときからいままで信念として思ってきた。科学的発見も今の科学の言葉の文脈だけでは到底語れない。

とくにその学問をする職業のなかにいるなら、いろんなことに対する想像力をもたなくてはいけない。1万人に一人が癌になるという統計的事実があったとしても、一度はその一人になってみて想像を働かせてみなければならない。そうすれば本当にいろんなことを考えなければならなくなる。少なくともそういう思いを保つこと。

病気の人をみていると、大袈裟に言えば学問としての「病気」の分析に比重がいって、その人の身になるということが難しくなっていく方向と、大袈裟に言えば個人の人生や尊厳としての「病人」に比重がいって、治療を緩和しつつ、その人の身にならなければいけないという方向とが同時に生まれる。両者は別に対立もしていないので、妥協というあり方ではなく、単純にとはいかないまでも、少なくともその場における最善の方法があるし、どちらも大事なこととしてある。

学問的成果といっているものが、そのときそのケースにおいて、かえって生きることに負担を強いるようなら、やはり勇気をもって撤退するべきだし、成果を適応した方がよりよく生きることにより寄与するなら、それを進めてよいだろうということであるはずが、権力や過度の欲望によって、権威付けとその保持のため、予算の獲得と個人の私腹のため、と言わんばかりの、一部の極度の不自由さから生じた、悪しきふくろ小路のなかで、学問の生命線自体が本当に激しく痛み、歪んでいく。それに知らぬ間に引きずられるように、より大多数の人間にとっての生きるための尊厳もずたずたに引き裂かれていく。こんなことはひどく悲しいことだ。

音楽が好きなのは、たぶん、音楽は身体的な魔力そのものであるし、未知なものに対する畏怖をそもそも備えているからだ。写真は現実を一瞬に凝縮して捉えては、それをじっくりとみることで、ふだんはみることのできない大事な何かを救い出してくれる。想像の力がそこに出現する。

わからないことはわからないと、いざというとき、自分に言いきかせることができるのは、世界のなかに感じている、そのような畏怖の念があるからだ。アインシュタインなど、彼の言い残したものを少し読むと、そうした世界に対する畏怖の念に満ちていたはずだ。いわゆる芸術だけの問題ではない。

いざというとき、わかっているようでも実はわからないような、境界にいるような場所から現実をみつめてみなければ、人間にとって何が大事であるか、本当にはわかってこない。 何もわからないというあり方のような、平地から新しい道をつくっていくのが学問の、人間の勇気というものだろう。わからないということが本当にわかるようにならなければ、そこに立ち戻ることができなければいけない。

わからないから何かできないというのではなく、わからないということを本当にわかり、わからないから、わからないということを、たとえば書いていくということのなかに待たれ、実感される、覚悟のようなもの、そうしたものを蓄えながら、勇気をもたなくてはいけないだろうと思う。何のために、いまここにあるのか。




出雲崎 izumozaki(5)2010

Pasted Graphic 25

いい日和だが仕事を終えて家に帰ると 何とも言えない心地よい虚脱感とともにある

だが このあいだの大雨で 晴れない霧が晴れても 今度は黄砂が城をみえなくしている
黄砂がこなくなっても この眼がかすんで いつもの城はよくみえない
夜の霧の中を走る車のライトは何も照らさない そこにあったもとの道を照らすだけ

ジャンケレヴィッチがいったように 過ぎていく時は戻らない
そして延々とひたすら書いていかなければ 言葉は言葉を超えられない
黒い言葉の先には 何の色もみえない

だまし続けられて それがこれからずっとそうであっても
おこっていることは一つ
もののふるまい その事実と現象がただあるだけ
環境に慣れていくのが生き物
そうした当たり前のことを受け入れないような抵抗の意志
言葉という意志すら容易に麻痺していくものなのか

愚かすぎて不誠実で 人間の存在自体が井の中の蛙であることに自ら気づかなないまま
意志をゆがめていかないと 力が保てずまた力が持てない
そうした力によってでは 危機を脱することができない
ゆがめられた力によってゆがめられた力を制しても
何ももたらされない

生物にとっての生は一回限り 人間も飽和し死滅するまでが命
写真を撮っているとよく経験されるけれど 廃墟がときに美しくも感じられるのは
そこに植物が新たに芽生えてこようとする その力によって


風は
何も知らないかのようにふいて
木々は初夏の強い光のなかで
ひたすら音を立てて揺れている
ひたすらに

何も知らない風になることは
自分の知らないところで
自分の知らない
別な力を生む
そのとき風もまた
風がなにものかを知る

目覚める前の夢のなかで
音が旋律と一緒となって聴こえる
どこかで身体を通じて作用している
とどめることの
どうしてもできない胡蝶の夢

いくらそれがすばらしくて
いくらそのなかにずっと漂っていたくても
もう追いつくことができない忘却の彼方へと
音の夢は
目覚めとともに去る

音をつかみとりたいあこがれが
生きる喜びに通じている
そういう感触が
あの知らない風の力を
知らない場所で予感させている

過ぎ去った音の影
それはどこか
みえないところに
確かにある
残っている
この手という感触の上に
手を風にかざすだけで
その汗をかわかすだけで

意図されていなかった感触が消えるという感触のなかに
はじめて自覚されるそのとき もうそれはない
決して生まれない歌の
その影が
明日の夢のなかで
音となってみえているのだ

だがそれは
今日とどめられない
ずれのなかの錯綜した歌のふるまいは
固定されることなく延々と
風に揺れる木々の音のように
毎日違う形でくりかえされる
みえない歌きこえない歌という一つの響きのような
密林の伸縮からこぼれでた林の音


何かを待機するに足る身体になって やってくるものを本当にはとどめられないということを大事にしていくというその途上にあるならば 一回限りの行いがいかに尊いものか 私にも本当にわかってきたといえるのだろうか だがあくまでも道元は実践を説いている




出雲崎 izumozaki(4)2010

Pasted Graphic 26

早朝に起きてしまったので、少しまた道元を読む。

井上ひさしさんが道元について触れた文章で、どこかでこんなようなことを書いていたように記憶しているが、言葉の保守性を打ち破るためには内的経験を書くしかなく、精神という名の劇場のなかでその心の、各々の特殊な具体性を帯びて綴っていくことだ。

そういう個性が、培ってきた社会性を一旦排して、特殊であればあるほど、個性を超えて広がりをもつ。没個性的なものから入ると逆に個性が浮き出る、おもしろいものだ。

社会を知っていきながらも、知れば知るほど、社会的に形成された言葉の通念(科学の言葉ももはやそれと似ているところがあると思うのだが)、 約束事のたちの悪いこの邪悪な人間の言葉を脱して、 社会の形成物ではない言葉の場所に、道元は結局のところ至らなくてはいけなかったのではないか。

当時の人間社会の厳しさと堕落さ加減を道元の言葉は裏付けているように思えてくるし、時折今の状況と重なって、道元も同じ一人の感情ある人間だったのだと思ったり、やはり切なくもなる。

道元にしかわからない、彼が絶対に言葉にしなければならなかったもの、その心の動揺と発見を綴った言葉を体験するということは、道元の心のなかにその難解な言葉を通じて分け入っていくことであり、その感動とか発見を私自身のなかの精神に呼び込んで、私自身の精神という畑を耕していくことだ。

道元自体が一つの理論、その運命を背負っている、理論自体が生死のように常に新しく生まれては死んでいく。道元を読む時、その言葉の運動にあとから追随する暇はないから、忙しく読むか、一文に一年あるいは一段に一生をかけるか、そのどちらかが道だ。

そうしてみると道元は伝えようとするということより、やはり発見をそこにとどめるために言葉を発しているように思える。自分にしかわからない言葉で、とどめなくてはならなかった。芭蕉の俳句とはまた違った言葉のあり方で。

他者を容易に受け入れようとしない言葉の厳しさ、そのあまりにも難解ではあるが透明の細胞膜のような場所を通じて、多くの他者の具体性と普遍性がともに透けてみえてこようとする。この言葉の運動はそれ自体がすごいものだ。

言葉の羅列、無意味のなかに浮かび上がるもの。言葉という襞の表裏。言葉のつくる空間がそこらじゅうに開け広がっている。時間すらも否定され、時間のない空間は、ゼロの発見が無限をもたらしたと同じく、そのまま時を超えて現在であり続ける。

音の襞をつくることにおいてもこのあり方はやはり示唆に富んでいるし、写真はそもそもが機械の写し出した世界の一枚の襞を平面にしてみせているようなものだから、当たり前すぎてかえって難しく扱いにくい。そこが写真のおもしろさでもある。道元は違うアプローチで同じところへ行くために十分な方法論を内包した言葉。しかも単なる言葉の羅列といってもおかしくないこの滑稽さ。

言葉の身体を通じて我が身にどうこの言葉を乗り移らせることができるか。技術の真似をしていてだんだんできるようになることもあるが、それだけではやはりそれにとらわれていて到達できない、深いところでの技術を超えた変化、個のいびつさが個のいびつさに繋がる場所、一つの大きな精神性のようなものを私は今、道元のなかに探し求めているのだ。

良寛から掘り起こされたとはいえ、たとえるなら、またしても一つの長い旅。老荘、ペソアのときもそうだったが、なぜ大事なきっかけがこういう文字や言葉なのか。好きな写真や音楽や医者の経験から大事な要件を抽出していく過程において、各々の分野の偉大な先達から学ぶことももちろんあるけれど、そうではない言葉の先達から大きなきっかけや示唆や発見のようなものが与えられ、それが自分の鏡となるのはなぜなのだろうか。たまたま今、道元が私にとって契機として都合が良かったにすぎないのではあるが、とにかく深くてしかも見方を変えればしごく浅いようでもあり、面白い。

朝は頭が働くように思える。夜は一日中他人と会話して精神を使い果たし、より没個性的になっているためか、個の活力がどうもないな。何かを書き留めるには朝、とりあえずでもパっと書いてしまうのがいいかもしれない。




出雲崎 izumozaki(3)2010

Pasted Graphic 27

子供の子守唄をコントラバスで真似してとてもゆっくり弾いてみると
とんでもない哀しさがしまいには漂ってきた

明るい旋律なのにたとえば古いイギリス民謡などは
どうしてこんなにしみじみするのだろう
伝えられてきた歌の強さなんだろうか

作為なく少し感情を抑制して音の奴隷のようになって導かれながらも
子供の視点のようなぼけていて一点だけは鮮やかな色の視点を感じながら
音の状態を大事にしながら弾いてみると
常識的な世界にぽつりと開いている入り口
その穴のなかに入ってしまうこともある

先日大阪に中平卓馬さんの写真展をやっとのことでみにいったらそんな感じだった
その影響かわからないけれど
ずっと即興でひいたあとに子守唄の旋律になったのだった
その旋律のずれと繰り返しのなかに音がやんだとき
風に木が揺らぐ音がこれほどの密度の濃いものであったとは全く驚きだった
これまでにないような確かでそれにさわれるような
ざわめきと静けさのなかに満たされた
心と身体の満たされたところ
静寂に喜びが芽生えだす
春に草が芽を出す喜びと似ている
歌という哀しみと喜びはそんなところにあるのだろうか

さっきかけていたヴィラ・ロボスをじっと聴いたあとの静けさはこんな感じかもしれない
複雑で深くて透明な感情のなかに入ることができる
それで今日は書こうと思ったのだった
言葉はいつも過去形だが言葉のなかにも
沈黙のなかにも未来はある
言葉のこれまで歩まなかった道があるだろうと思う

原点にかえっていけばそこから
必ず違う風景がいつもみえてくる
元の道を戻らずともそこから違う道へそれて
違う道をすすんでいくということの大きな意味は
意図せずに迷路の中に迷い込んだような経験
迷ってもいったん出てみれば身体の響きが変わっているような経験のなかにある

そこにあるような確からしさのなかにいて
固まった技術やイメージ、理論に溺れていても先がない
人間もまた生き物なのだから
古くさそうな場所からいつも新らしい世界はやってくる
それがよいものなら
古い技術も人間がそれをまた使っていくことのなかに新たな面がみえだす
今日の診療もそう、ベースを弾いてもそう、いつもそうだ
確かなものはみえないけれど原始的なところにある

朝が開けて
薄曇りの光とうぐいすの豊穣な声で目覚める
一羽だけほんとうにすごい声のうぐいすがいる
他のうぐいすの声があの豊穣さによってより引き立つ
いまはたまたまかかったジョン・ケージのバイオリンを聴いてみている
昨晩はギターを聴いていたので共通項と差異がよく聴き取れる

これが本当にジョンケージなのか 
うぐいすのあの声と比べてしまうがすばらしいの一言
こんな演奏がもし即興でできたらどんなに素晴らしくうれしいだろう

最近は忙しく本当にとりとめもないが何かをときどき書き留めておきたい
夜中に書いたものを少し削って書き足した