前橋 maebashi(4)2009
一世紀の人生が閉じた
百年と数ヶ月
晩年は蕎麦をこしらえ来たるものを歓待し
詩吟をうたい健康を維持した
事故で入院してからというもの
ぼけが始まり身近な人のことも一見するとわからないようになった
それからは施設のなかでみなに囲まれて
ありがとさん
ありがとう
ありがとさん
ありがとう
ありがとさん
くりかえし
単純な節をつけて
単純なうたを歌った
意味が分かっていたかどうかわからないが
文字活字は最後まで大きな声ではっきりと読んだ
生後百年を迎えてからは
窓越しにみえる届かない花とともに生きた
空間と時間の分離できない生
相対的なるもののあいだに
絶対的なるものが垣間みられる場所
無限の哀しみからほころびた一つの生きた世界にすべてを離脱して立つとき
生きながらにして死を経験する
明日の犬山の姿は三十年前の前橋の姿と全く同一である
ボルヘスの「永遠の歴史」を紐解いてそのことを思うならば
死の深い哀しみも大いなる単純性と不動性のうちに
深く癒やすことができる
入れ替わることのできない一つの絶対性
生の歴史の有限
一つの生の表象した世界ともう一つの生の表象した世界が相対性を保ちつつも同一である
その哀しみの無限
有限と無限が交差し一つになるとき
時間と空間を内包する物質が
あらわれてくる
死は物質の偏在し充満する時空を解放し
はじかれた物質はヒトの記憶のなかへ
物質は新しい物質と交わって生命となり
言葉となって
一つの歌となる
前橋 maebashi(3)2009
音と写真と医学
補助線の
考え始める過程のうちに
直後の結論がすでに聴き取られている
直観幾何学の補助線ともいうべき感覚の力
思考をもたらし結論の萌芽を担う感覚の補助線
言葉の源から突出してくるように
すでにそこに感知されてあるような思考
そのように思考する態度から
行為の第一歩がうまれる
思考の自由と臨床的方法は
多数の補助線の拘束と連鎖から導かれる
ひかれ消される補助線とともに
座標軸そのものを問うて
臨床の場に立ちつづける
前橋 maebashi(2)2009
マイスター・エックハルトは説く
何も流出せず
何も接触せず
何も思惟されない「一」
離脱した心の状態であるという自覚からも離脱せよと
毎日同じ堤防の道を運転し
木曽川の水面と辺の木々を眺めて
時に田んぼのあぜ道にわざと迷い込んで
カエルの声と軽自動車のエンジン音がいかに違うかと思ったり
夕暮れの湾曲した光と高い湿度の質的な対比と融解をみていると
ネギのピンと張った薄緑色に暗い影が落ちてきて
音の差異がより際だつ
そんなふうに日々の微々たる変化を感じ取ることに
歓びを感じているとき
こじんまりとして
日々何がしかをともかく忙しくも懸命にやっていて
明日もそのまた明日も続いて終わりがなく
明日が恐怖でもなく希望ですらなく
ただ明日という日が地球の自転に任せてあるものとして感じられる
そのような繰り返しのなかに多様な変化があるような自然に
自らが近づこうとしている
自分にしかない何かを達成すべくと
どこかできっと思っていたにちがいない東京での仕事が
生の小さな一面でしかなかったことに何とはなしに本当に気がついて
小さな自分もまた繰り返しのなかの変化の一コマであるという十分な自覚すら乏しく
謙虚にすらなることができていなかったという思いにかられる
一コマといっても十全たる一のうちにあって
自らを消すのでもなく表すのでもないあり方に漂っていて
なおかつ何がしかをどこか懸命にやっていて
この精神と身体が生を受けてあるということに向かっていく
そういう生を生きるということがどこまでも果たせないことであるとしても
生まれて差異化されて生きてきた何かを
そばにあるようで自己と離れた
別種の差異のなかに静かにしずめていくことのなかに
何かから真に離脱していく契機があるように感じる
生まれ故郷の前橋の家と利根川の中流を
犬山の住処と木曽川の中流との差異に
ひたひたとしずめていくように
日常に寄り添うようにある音と写真は
自らをほとんど主張しない
それでもそのような
何もないあり方が何かを導いている
そしてそれは満たされていることと同時にある
差異のしずめられた先にあるものは
眼に見えない聴くことのできない糸となって
誰も着ることのない一つの織物がいつのまにか編み上げられ
ほどかれた糸に色がついている
そのようにして見られ聴かれる
音と写真かもしれない
そして少しづつ迂回する途上にあることが
もはや東京での出来事の記憶すら薄れてきた
「今ここにある」ことかもしれない
前橋 maebashi, japan, 2009
言葉にアーティキュレーションがあると
言葉の意味の外側の
言葉の艶の変化に心うたれる
声の艶、音の艶と言葉の艶が同次元に存在して
言葉の艶が意味を支えて
一度意味から遠くはなれて
再び声と音の艶のなかに
豊富な意味が戻ってくる
人間にとって音楽は
意味をもたない意味であって
分からない何かを分かるためではなく
分からないものをつくることでもなく
分からない場がつくられること
そのことによる身体と精神のフィードバックだ
積み重なるフィードバックが
人間の多様で太い幹をつくりあげる
音の修行を続けることは
音に支配されず言葉に支配されないために
意味なき場所へと自らを追い込む
そして追い込まれること
音の時空と生命の時空が掛け合う
音と耳の摩擦が真に生じる
その豊穣さのために
息をして生きる
意味なき意味を鍛える